見出し画像

現代フランス哲学界「最強の夢日記作家」アルチュセールのこと(彼の遺稿集に含まれる「夢の記録」が…なんというか…質量ともに…凄え…そして怖え…!!)


皆さん、こんにちは。noteで夢日記をやっているヤシロと申します。

自分が夢日記などをやっている分、

古今東西の偉人や文学者が残した「夢文学」や「夢分析理論」の本も、とうぜん私の大好物でして。私、そういうものをピックアップしては読んでる、お堅めの本好きでもあります。

そんな中、

先日、「現代フランス哲学界の夢理論家」として、バシュラールの話をしましたね。

それに続いてミシェル・フーコーの話もしましたよね。

でも、

「バシュラール、フーコーときたら、、、」

現代フランス哲学好きな方はとうぜん、気になってきちゃいますよね?すなわち、、、

「へえ!バシュラールにもフーコーにも、人間の『夢』をテーマにした著作があったんだ!、、、あれ?でも待てよ?ヤシロさん?バシュラールとフーコー、と並べたら、もう一人、三人一組のように語られる、あの方がいますよね?ほら、あの方、、、ええと、、、あの事件をやらかした、あの方、、、」

はい、、、

もちろん、、、

わかっております、、、

あの方ですよね?

おりますよね、、、

大事な方が、、、

バシュラールの理論を吸収し、それをフーコー世代へとつないだ、超重要人物にして、、、

奥さん殺害というあまりにもスキャンダラスな形で精神病院に送られ、現代フランス哲学好きの中でも、どこか「晩年に狂って殺人事件にまでいってしまったあの方のことを話すの…なんか怖いな…」とされている方が、、、

ですよね?

あの方のことを話すのは、

いや、私としても、話したいネタはたくさんあるけど、

名前を出して語るのは「だけどちょっとだけどちょっと僕だって怖いな」と思うあの方。

はい、、、ですが、覚悟を決めて、ついに彼の話をしましょう。

それでは↓

ルイ・アルチュセールといえば、

・バリバリの「フランス構造主義」の論客

・のみならずコテコテのマルクス主義者

・奥さんを殺害し逮捕されキャリアを終えた

と、現代フランス哲学好きの中でも、記憶されている名前でしょう。

私としても、まずは、はっきりと、このアルチュセールという哲学者に対する、私の感想を言いましょう。

確かに、私自身も、ソ連が崩壊した後、北朝鮮や中国共産党の抑圧性が目立つ時代に育った世代です。

つまり、「マルクス主義の哲学者」として、初めてアルチュセールの名前を聞いた時は、

「なに?コテコテのマルクス主義者で、しかも殺人犯?そんな怖い人の本は読まなくていいや!」

と、最初から「読まず嫌いリスト筆頭」でした。

ところが!

私が近年、度肝を抜かれたのは、

奥さん殺害事件後に出版した、赤裸々な自伝、『未来は長く続く』を読んだことと、

そしてもうひとつは、

遺稿集の中で、まさに「夢日記」集の様相となっている『終わりなき不安夢』の日本語版を手に入れたことでした。

この『終わりなき不安夢』の「まえがき」には、以下のようにあります↓

アルチュセールは多くの夢を見た(中略)彼の夢にはひどい悪夢が多かった(中略)大量の夢、うなされる夢の数々のうち、アルチュセールは一部を記録して保存していた。タイプライターで打ったものさえある。彼の書庫には、1947年から1967年までのそうした記録がいくつも残されている

『終わりなき不安夢』市田良彦訳

そんなアルチュセールの遺稿から、夢日記を集めて出版したのが、こちらの本、『終わりなき不安夢』というわけですが、

アルチュセールが日々、みていた悪夢のインパクトも、そしてそれらの夢に対する彼自身による「分析」の生々しさも、、、いやもう、いちいち凄くて、、、とにかく、この夢日記、読者は凄まじい緊張感を強いられる。

故人の遺稿から夢に関する日記部分を集めた遺稿集にすぎないのに、なんなんだ、この、極限状態で生きてきた男の叫びがスパークしてる本は!

「死んだ友人たちが出てくる夢を見た。先生が言った。『人は死んだら、目をくり抜かれます』。死者から目を抜かなくてはいけないのは、彼らが腐るのを防ぐため。…この夢の意味がどうもよくわからない」

「薄暗がりのなか、女のあとをつけている。追いついて、有無をいわさずセッ○スしなければならない」

「連れ立って墓場まで行く人々の映像に、突然立ち上がる子どもたちが加わる。腕を引っ張って地面から引き抜いたかのよう。彼らは尋ねる。どこへ行くの?ねえ、どこへ行くの?」

彼の夢に現れるのは、露骨な「性」「死」「狂気」そして「暴力性」を思わせるイメージの乱舞。

こういう赤裸々な夢日記が出版されたことをもって、

「コテコテのマルクス主義者、いまや時代遅れ」と敬遠していたアルチュセール氏への、私の印象はガラリと変わった。この人の正体は、サルトルやらカミュやらの「フランス実存主義」の巨匠たちの100倍、強烈な「実存」問題の中でのたうちまわりながら思考をしていた人でした

しかも、サルトルやカミュは、「実存は苦悩と孤独だらけだ」とため息をつきながらも、なんだかんだ、本人たちはダンディでカッコいい。アルチュセールはカッコよくない。つーか、ぶっちゃけ、この夢日記を読めば読むほど、

言っちゃ悪いが、気持ち悪い。

だが、読者が気持ち悪くなるほど赤裸々にこの人は悪夢で見たことをど正面からぶつけてくる。「夢の中、暗い道で魅力的な異性が歩いているのを見た、がまんできずに○った」なんて夢、見ちゃったとしても目覚めた後に猛烈に自己嫌悪に落ちるのが普通でして、、、わざわざタイプライターで記録してファイリングして残しておかないでしょ普通…しかも本人は世界的に名前が売れてた哲学者…なのに記録を残しておくド正直さがアルチュセール先生なのです…本当に凄え…そして怖え。

そしてこの本の最後には、「二人で行われた一つの殺人」という、

アルチュセール本人による、あの、奥さん殺害事件の赤裸々な告白の書が載っているのですが…私にはこの文章をどう扱えばいいかわかんない…あのうそのう…なんというか…これ自体、現実と妄想が混乱している、特異な人生を送った老人が精神病に苦しみながら書いた怪文書としか、言えない。だが、この迫力が、これまた、只事ではない。

そうなんです。この本、夢日記を集めた遺稿集なのですが、はっきり言って現代の「奇書」の一つと思います。哲学者が書いた文章だが、もはや、前衛文学に近いのでは?

そして、自分も夢日記を書いている私は、この本を読んでアルチュセールを、「マルクス主義者」とか「構造主義者」とかではなく、「夢日記文学の偉大な先輩」と認めざるを得なくなったのです。

もちろん、アルチュセールの夢日記などを「特に重要な書物」とピックアップする私が、普通の「哲学好きな方」とはずいぶん違った変な切り口で現代フランス哲学史をみているからかもしれませんが、

そんな私だからこそ、強調したい!

古今東西の、いろんな夢文学や、精神ヤバめな作家の夢日記などを読んできた私ですが、、、意外や意外、そのような文学者たちよりも、構造主義哲学者のアルチュセールの夢日記こそ、過去最高レベルに衝撃を受けた夢日記でした!

どうやら、このアルチュセールという人は、まだまだ「読み尽くされていない」とんでもないポテンシャルを遺稿に抱えていると見た…しかも読む者を痛烈にうちのめす、爆弾のようにヤバいポテンシャルを。

※アルチュセールの「オフィシャルな」主著である『マルクスのために』や『資本論を読む』は、今や読む人も少数派と思いますし、私もアルチュセールを「終わった人」のように勝手に思ってたのですが、、、さてはて、このような「遺稿集」が出てくるとなると、今後、夢や精神世界の探究者の先輩としてのアルチュセールとは、私、どうも長い付き合いになりそうです。マルクス主義とはこんなに縁がない私が、なんとなんと、この年齢になって急激に注目対象としたのがアルチュセールて!?正直、私の周りも(世代的に仕方ないのだが)マルクス主義嫌いがたくさんいるのに、私の本棚にアルチュセールが入ってるのをみたら「ヤシロ!どうした?」と仰天するでしょうねw。

ここでアルチュセールの本に惹かれるとはなんという意外な出会い(まさにアルチュセールのテーマのひとつ「偶然の出会いの哲学?!」)、、、だがこれもまた、読書なるものの深さ、面白さ、恐ろしさなのかもしれません。そうですね、読書遍歴って、時に不思議で、恐ろしいものですね。

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!