SF映画考察:『マトリックス』は大好きだが初見時からどーしても納得できない「哲学的問題」についてモーフィアスに切り込んでみたらこうなった
皆さん、こんにちは。SF好きのヤシロと申します。
「世界の古典文学のキャラクター達が出てきて現代映画のウンチクを語る」手作りマンガシリーズ、
▼第一話▼
▼第二話▼
▼第三話▼
第一話~第三話ではずーっとB級界隈の話ばかりしていましたが、今回は珍しく大作SF映画を取り上げましたので、
ややいつもの「B級臭」がしない記事のため、ナンバリングはあえて外し、「第四話」ではなく、番外編としてお届けします?!
題材は、
私も大好きな『マトリックス』ですよ!
ただし、いかにも哲学・論理学肌のSF好きらしいひねくれた取り上げ方になっちゃいましたが、、、↓↓↓
※あと、今や『マトリックス』のストーリーを知らない人も珍しいとは思いますが、いちおう、以下、ネタバレ含みになりますので、「まだ『マトリックス』を見たことがない、これから見たい!」という方はご注意ください!
でも、、、でも、、、私だけとは思えない!哲学的なSF考察が好きな方は、初見の時から、↑『マトリックス』のこの問題、気になりませんでした?
むしろ、どうして、キアヌ・リーブス演じる主人公は、この哲学的問題に悩まず、素直にモーフィアスについていったのだろうと不思議に思いました。
あ、まあ、もちろん↑これはいささかフザけて言っているだけで、私も真の理由はわかっておりますよ。「そんな問題に主人公がいちいち悩んでいたら、そこで映画のストーリーが進まなくなっちゃうから」という物語創作上の都合だってことは勿論w
そして誤解のないように、繰り返しますが、私自身もまた『マトリックス』シリーズの大ファンですし、
そもそも私自身とて、『マトリックス』の映画を見ている間は、こんなことに頭を悩ませてはおらず、アクションや冒険を心から楽しんでおります。ただ、もっと哲学的に複雑怪奇な展開をする、「現実と仮想の境界が壊れていく系」のハードSF名作に慣れていると、「マトリックスの主人公は素直ないい奴だな、、、あれがもし、フィリップKディック文学の主人公とかだったら、ぜったい『もはや俺は誰も信じねえ!』とかこじらせた反応をするのにw」などなど、鑑賞後に、どーしても、思ってしまうのでしたw
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