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SF小説家の先祖とみなした場合のルキアノス—その「西洋らしくなさ」について

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フランスのジャック・サトゥールという方の書いたSFの歴史についての本で、

SFの元祖といえる作家として、サモサテのルキアノスのことを紹介していますが、これは我が意を得たりな導入でした。

古代ギリシャローマ文学といえば、現代の日本ではソクラテス、プラトン、ソフォクレス、キケロといった大御所ならばともかく、ルキアノスとなるとほとんど知名度がないかもしれません。

ただし現代思想好きな方なら、ロシアのミハイル・バフチンが、カーニバル文学の代表者としてしばしば言及するので、バフチン経由で読んだことがある人はいるかもしれません。実際、私もそのクチです。

それにしても、実際、ルキアノスの『本当の話』や『空を飛ぶメニッポス』は面白い!

単に面白いだけでなく、

・月への旅行が出てきたり

・巨大怪獣が出てきたり

・「象五匹分の大きさ」の昆虫に乗って暮らしている人々が現れたり、

着想が、いちいち、現代のSFと類似していて、驚いてしまいます。

それにしても、、、皮肉で言うのではないですが、古代ギリシャ・ローマ時代の後のキリスト教時代の西洋文学が、「宇宙はどうなっているか?」「人間意外にも知的生命は宇宙に存在し得るか?」等々の問題について徹底的にキリスト教的な世界観の「中」に限定されて考えていたのに対し、

古代ギリシャ・ローマの文学者とか詩人が空想を働かせる時は、そういった宗教的な先入観に縛られておらず、ちゃんと「サイエンス・フィクション」してるというのが面白い!

もちろん、実際には現代でいうトルコやシリアのあたりで生まれたギリシャ語話者であるルキアノスの作品を、「西洋」文学としてカウントしてよいかの問題もありますが。

また、最後にもうひとつ。ルキアノスの『本当の話』は、序文で「これは、ある男の一人称で書かれた、あたかも本当の旅行記録のようなスタイルで書かれているから『本当の話』というタイトルをつけたのであって、中身はフィクションだよ、あしからず」と宣言して始めているところ、ある意味、現代のフェイクドキュメンタリーな感覚ともいえる。

そう考えると、なんとなんと、ルキアノスはフェイク・ドキュメンタリーの先祖としても解釈できるのだw!

などなど、あまりの「先進性」に驚かされてしまうのが、紀元二世紀頃頃に活躍したルキアノス。

多少、ギリシャ語に興味を持ち勉強を続けている古典文学好きにして、かつ、現代SF好きという私の立場からすると、これほど痛快な存在は他におらず、日本における知名度もぜひもっと上がってほしい、と思うところなのであります。


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