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大著『サイエンスフィクション大全』の第三章が「コミュニケーションの問題」に充てられているのは面白い!

内容自体の充実もさることながら、過去のSF映画のポスターやSF小説の挿絵など、視覚資料が満載な大著『サイエンスフィクション大全』を読みました。

これは凄い本。SFファンなら狂喜して読み耽ってしまうであろう大著です。

だがとりわけ私の目を引いたのは、

第一章がロボット、第二章が宇宙を扱っていて、

第三章が「コミュニケーション」をテーマにしていることです。

これは一瞬だけ意外に思えて、よく考えると納得です。

宇宙人との遭遇も、タイムトラベルしてきた未来人との遭遇も、そして逆に現代人がタイムトラベルして過去へ行く話でも、

SFで描かれてきた真のテーマのひとつは、つまるところ、「異質なモノとどうやってコミュニケーションを取るのか?」という問題とも取れる。

よく考えると、SFホラー映画の『エイリアン』第一作だって、「コミュニケーションがまるで取れない相手」との混乱の話とも取れるわけで。

あの映画が怖いのは、相手の「エイリアン」がまったく意味不明、、、どうやら捕食のつもりでもなく、繁殖目的でもなく、宇宙船を乗っ取って何かを企んでいるわけでもなさそう、、、なのになぜあんなに積極的に人間を殺して回るのか、さっぱりわからないからと思うのです。それでいて猫だけは殺さなかったりw、本当に行動原理が不明!(「実は軍事目的で作られた生物兵器だった」的な、後のシリーズでの後付け説明の類は、ほんと、いらんよなあ、、、)。

そして、SF映画界では定番の「宇宙からの侵略モノ」も、見方を変えると、異質なモノどうしが突然出会うと、相互コミュニケーションがとれないがゆえに戦争になってしまうという哀しい現実のメタファーとも取れる。

ただし!

この『サイエンスフィクション大全』で書かれている通り、20世紀の、特に英語圏のSFでは、

「地球よりも優れた文明をもった宇宙人がやってきたら、とうぜん、地球を侵略して植民地にするだろう」というのが定番パターンでしたが、

21世紀になると、そういう単純な関係ではない「宇宙人との遭遇」が多く描かれるようになったし、だいいち、アジアやらアフリカやら非西欧圏の作品もたくさん翻訳されるようになると、「宇宙人ってどんな奴らだろう?」という想像力についても、文化や宗教観の違いによって千差万別のパターンがあることがわかってきた、、、という指摘は面白かった。

まあ、個人的にも、「宇宙人といえば地球を征服しようと考えてるに決まってる」という思考が、それ自体、19世紀・20世紀の時代に制約された固定観念だったという指摘については「そうかもしれん」と身につまされるところはある。

※もっとも『新トワイライトゾーン』には、さらにその逆をついて、「宇宙人といえば侵略してくるモノだ、という固定観念はもう古いよねー」と言っている現代人が、まさに古典的SFに出てくるような征服野心をもった宇宙人を信用してめちゃくちゃ簡単に征服されちゃうという、捻って一周してきたようなエピソードもあったから、単純ではないけど。

「そうはいっても、何を考えているのかわからない相手との出会いって、やっぱり怖いのは怖いですよね。。。そういうときは向こうもこっちを怖がってるのかもしれないけど」

ただ、SFの隠れテーマが「コミュニケーションの問題」だというのはとても面白い指摘だし、それを突き詰めれば、私も先ほど「西欧圏」とか「非西欧圏」とかいう言葉を安易に使ってしまったけど、結局、現実の地球で日々起きている「異文化コミュニケーションの難しさ」の投影がSFに託されているのだ、ということかもしれませんね。

などなど、考えさせられました。面白かった!


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