【古代中世言語好きがオススメする歴史漫画(7)】暴虐の皇帝ネロを主役に据えた『我が名はネロ』(安彦良和先生)のラストに不覚なほど涙してしまいました
機動戦士ガンダムのキャラクターデザインで有名な安彦良和先生は歴史漫画の名作も多く手掛けており、このマガジンでも以前に『アレクサンドロス』を紹介させていただきましたが、
家族コンプレックスにまみれた男性を描くと筆が冴えに冴える先生が、あの皇帝ネロを主人公に据えたとなると、これは近親相関や家族殺しや嬰児殺しや性的虐待がしつこいエグい漫画になるだろうな、と思っていたら、ハイ、描写としてはまさにそのとおり。むしろ予想以上にウツになる陰湿さでした。
ところが本作『我が名はネロ』は残酷・陰湿描写では終わっていません!
母を殺し、妻も殺し、後妻も死なせ、娘も死なせ、部下も続々と殺し、ついでに集めた美少年たちを性的虐待していく皇帝ネロ。ところが読み進めるに従い、本作のネロと、それを取り巻く人間たちの模様は微妙な色彩の変化を見せ始めます。
この作品は安彦良和先生の別作品『イエス』とリンクし合っている物語であると読むべきかもしれません。
というのも物語が後半になると、ネロ本人よりも、ネロに殺されていくペテロやパウロといったキリストの使徒たちに焦点が移っていき、だんだん本書の隠れたテーマは、「どんな暴力や悪をも超える崇高な愛なんてものが、本当にこの世にあるのだろうか?」という深い問いであったことがわかってくるからです。
そして最終話、史実の通りに部下たちに見捨てられ、もはや自害するしかなくなったネロのところに、最期の最期に一瞬「人のぬくもり」の素晴らしさが顕れる大展開があるのですが、ここはかなり史実を無視した挿話だろうとは思いつつも、不覚にも涙がこぼれそうなほど感動してしまいました。
最期の最期に一条の光のように「あるキャラクター」から与えられたメッセージの意味は、ネロにはちゃんと通じたのでしょうか?
それとも皇帝ネロは最期まで、その深いメッセージに気づくことがなかったのでしょうか?
その問いに対する回答は曖昧なまま物語は終わりますが、最終コマが何とも言えない余韻を残してくれます。これ以上はネタバレになるので、あとは読んでください、としか言えませんが。
キリスト教と皇帝ネロ、という究極の対立項に、一瞬だけとはいえ、和解の可能性を示唆する大胆な解釈が、しっかりとした時代考証に裏打ちされた名作で、こちらは是非、オススメです。
それにしても安彦良和先生が、あとがきで「古代ローマがそのまま滅ばず続いていたら、21世紀のテクノロジー社会はもう1000年くらい早く実現していたのではないか」ということを仰っていますが、こちらは私も同感です。すでにスーパー銭湯もあれば分譲マンションもあったわけですからね、、、!今更ながらですが、あらためて古代ローマ帝国は、凄い、、、!
子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!