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『君主論』の私が思う「正しい現代ビジネスへの応用」は「なめられない」こと只一つ

ある自己啓発本に書いてあったことに、違和感をおぼえた。

現代のリーダー必読書としてマキアヴェリの『君主論』をあげていて、それはいいと思うのだけど、

「リーダーは恐れられる存在になるべき」というところを強調して、「だから私も、使えない部下はズバズバッと切り捨てて、恐れられる管理職になった」みたいなことを書いていた。

その読み方には反対したい。

マキアヴェリの君主論を私が読んだ限りでは、リーダーたるものは「愛されるか、恐れられるかであるべきだ。だが愛されるのは難しいので、それなら、せめて恐れられるリーダーになるしかない」と書かれている。恐れられればいい、というわけでもないのだ。

私の思うところ、『君主論』の要点は、一つだと思う。

「なめられたら終わり」

ということだ。

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※↑『君主論(マンガで読破)』(Teamバンミカス)より引用

リーダーはなめられたらもう何もできない」ということを、あらゆる例を挙げて説明している本だと言ってもいい。

「なめられたら終わりなんて、当たり前じゃないか!」などと思う人は、たぶんリーダーというものの難しさを本気で経験したことがない人だろう

「なめられない」ということだけで、本当に生涯を費やすほどの難しいテーマなのだ。

なるほどマキアヴェリは、中世イタリアの、たとえばチェーザレ・ボルジアのことをあげて、容赦なく裏切り者を誅殺する冷酷さを「なめられないコツ」と賞賛している。

けど、それはあくまで、マキアヴェリが生きた「中世イタリア」での、なめられないコツである。現代日本の会社で裏切り者を暗殺したり毒殺する奴がいたら?それはなめられる云々の前に警察のお世話になるだけだ。

現代のリーダーも、『君主論』の時代と同じく、「なめられたらおわり」であるが、「どうしたらなめられないか」は時代によって変わる、簡単じゃない。中世イタリア君主のような謀略家でいればいいわけはもちろんないし、昭和のコワモテ上司キャラのように、怒鳴ったり殴ったり横柄な態度をとれば恐れられる、なんてことも、今の時代には、もはやない。

現代リーダーで「おそれられる」リーダーたるにはどうするか?

正解はひとつではないだろうけど。

私にもひとつ、こんな方法がいいのでは、と思っていることがある。

いっけん放置しているようで、じつは異常なまでに部下の様子を観察していること

これだと思う。

ちょっと手を抜いただけで、

「あれ?君、この間の資料とずいぶんテイストが違うね?君の作る資料って、いつも下調べがキチンとしてる気がするんだけど」

と言ってくる上司。

前日に夜中まで飲みすぎて二日酔いだけど、黙っていりゃバレないと思っていたら、

「あれ?君、いつもよりなんか会議での発言少ないね?何かあったの?」

と言ってくる上司。

やばい、この人、オレたちのことを凄くよく観察して、見てくれているんだ、、、!

と思わせられれば、怒鳴ったり、殴ったりしなくても、じゅうぶんに「恐れられるリーダー」。

そしてこういう、「ロジカルに怖い」リーダーこそ、とりわけオンライン業務が増えてきた今は重要だと思う。

オンラインだから、直接見られているわけではない。それなのに、手を抜いたらすぐバレる。

その怖さを握ること。

オンライン時代でも通じるリーダーシップだし、

「『君主論』を読んで感化された!中世イタリアの君主のように、裏切りや陰謀も平気でやる、冷酷なリーダーになろう」なんてのよりも、

はるかに正しいマキアヴェリ『君主論』の読み方だと思うのだけど、どうだろう。

だいいちマキアヴェリ自身、読者には時代に合わせて「今の時代に恐れられるリーダーとはなんだろう」と考えてほしくて書いたと思う。なにもチェーザレ・ボルジアの真似をしろ、という意図で書いてはいないと思うのだが、どうでしょう??


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子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!