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般若心経:空とは何か/質量・情報とエネルギーの等価性

 お寺の宗派は曹洞宗といい、唱える経典のひとつは「般若心経」というものだ。その経文が短くて解りやすいということで以前に配られていたのを持っている。

 全部漢字だからさっぱり分からん。そのなかでも「色即是空(しきそくぜくう)」というのは、その代表的な箇所ということで多くのところで引用されているから知っている。誰かが冗談で「エロいこと考えてもむなしいだけという意味だよ」と言っていた気がするし、お坊さんが唱えるのだからそれに似た教えだろうと勝手に思っていた。

 詳しくは書けないが、ちょっと不思議な夢を見た。目覚めてから内容を整理することにした。自分なりに考察したことを以下に書こうと思う。

 まず、前提として「空(くう)はエネルギーのことだ」という夢の啓示を受けた。以下、区切りのいい場所ごとに漢文を解釈していく。ネット検索で幾つかの和訳例を参考にしている。

 では、玄奘三蔵(三蔵法師)がサンスクリット語を漢文に訳した全文を、以下に載せる。

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経

玄奘三蔵による般若心経の漢訳

 以下では、これを逐次解釈していこうと思う。

> 仏説・摩訶般若波羅蜜多心経 (1)

◎ お釈迦さまが説いた偉大な、般若波羅蜜多(智恵による彼岸へ到達するための修行)の教えの核心 【1】

 ということになる。つまりタイトルだ。ちなみに般若心経の般若とは智恵のことであり、怖い顔をした「般若の面」とは無関係である。

> 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
> 照見五蘊皆空 度一切苦厄 (2)

 観自在菩薩というのは観音様のことで、「観自在」のあたりが、後の(10)の理由により時間を遡行したり自在に行き来できる能力のように思えるが、それはさておき、観音様がその修行を深くやっていたときに「五蘊がどれも空」であることに気付き一切の苦厄(苦労と災厄)を追いはらった、という説明になる。そうすると五蘊が何かということになる。

 五蘊(ごうん)というのは、次のように色・受・想・行・識の五つだ。

色(しき) 世界を構成する物質のこと、特に人間であれば肉体のこと
受 刺激を感じること、またはその情報のこと 例「背中がかゆい」
想 記憶を引き出すこと、あるいは記憶 例「昨日はカレーを食べた」
行 何かを望むこと、思考 例「深呼吸がしたい」
識 心から考えを生み出すこと、感情 例「このバラは美しい」

 この五蘊は後の説明(4)から色と受想行識のブロックに二分される。簡単に言うと、色は形のある「物質」で、受想行識は形のない「情報・記憶・思考・感情」だ。ここまでの結果を読み替えると次のようになる。

◎ 時空間を見渡せる観音さまは、修行中に、物質・情報・記憶・思考・感情の五大要素はどれもエネルギーであることに気付き、一切の苦厄を打ち払った。【2】

 これが般若心経の最初に出てくる「あらすじ」の紹介、ということになる。では、先に進むことにしよう。

> 舎利子
> 色不異空 空不異色 (3-1)

 舎利子というのは弟子のことで、つまり弟子がちゃんと説話を聞いているか問いかけている。さて、核心部分が出てくる。

 色不異空 空不異色

が同じことを二度言っているように思えるが、そうではなく左右の反転で両者が等価ということを強調したのだろう。色は空と異ならないし、空は色と異ならない。だから・・・

◎ 物質とエネルギーは等価である。 【3-1】

 なおアインシュタインの特殊相対性理論から「質量とエネルギーの等価性の関係」が知られており、式に示すと次の通りである。

E = m c^2 ;   ここで E はエネルギー、m は質量、c は光速(定数)。

アインシュタインの「質量とエネルギーの等価性」の関係

さて、話を般若心経に戻そう。

> 色即是空 空即是色 (3-2)

 その続きも同じことのように思えるのだが、文章に無駄がないと仮定すると、何か違うことを言ってるはずだ。ここでは「即是」を変換可能のことと推理する。そうすると、色は空に変化するし、空は色に変化する。だから・・・

◎ 物質とエネルギーは相互に変換可能である。【3-2】

 なにか深遠なことを示唆している気もする。「ビッグバン」は、138億年前、1点に集結していたエネルギーが物質に転換して膨張し、宇宙が誕生したという仮説である。

> 受想行識亦復如是 (4)

 受想行識も同様だ、と言っている。つまり

◎ 情報・記憶・思考・感情とエネルギーは等価である。【4-1】
◎ 情報・記憶・思考・感情とエネルギーは相互に変換可能である。【4-2】

 ここで思い出されるのはエントロピーという概念である。それは物の配置や情報などのデタラメな度合いを示すもので、そのデタラメ度は宇宙全体で見ると徐々に増加しているという仮説もある。物理学の実験で、物質の運動(熱)と情報は、いずれもエネルギーの一種であってエントロピーの性質を持つことが示されている。もし宇宙自身に苦厄があるとするなら、エントロピーだろうな。

> 舎利子
> 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 (5)

 調べると、「諸法」とは有形無形のすべてのもの(万物)のことのようだ。自分の直感では「諸法」は五蘊の関係を律する法則、理(ことわり)だと思った。「空相」は空の姿、なので、「空」を一歩下がって観測したということか。この一文は次のような意味になるだろう。

◎ 五蘊の関係を結びつけるすべての法則もまた、エネルギーと同様の性質を持ち、生じたり滅したりせず、汚いとか清いとかもなく、増減もしない。【5】

 ちなみに、現代物理学では、エネルギーは形を変えても総量は変化しないというのが法則として知られている。また、我々が知るどんな法則も、それが変化したという形跡は無い。そして浄不浄の区別も無い。まあ、神か仏が交代したなら、法則も変更されるかも知れないが。

> 是故空中 無色無受想行識 
> 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 
> 無眼界 乃至 無意識界 (6)

「眼耳鼻舌身意」というのはインタフェース(感覚器官)のことであろう。そうすると「色声香味触法」はデータである。何度も出てくる「無」は、ここでは「執着しない」と解釈した。

◎ それゆえ、物質も情報・記憶・思考・感情も、それらのインタフェースもそこから受取るデータも、執着する必要などなく、インタフェースを通して知る世界もまた執着する必要などないのである。【6】

> 無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽 (7)

「無明」は愚かなこと、「老死」は老いて死ぬことで、お釈迦様は苦厄の原因を分類して12種類を示したそうだが、この2つが苦厄の原因を代表していると考えられる。

◎ 「愚かさが怖い」「死ぬのが怖い」といった様々な苦厄はありもせず、無いのだから苦厄が尽きることもない。【7】

> 無苦集滅道 無智亦無得 (8)

「苦集滅道」というのは「四諦」のことでお釈迦様の初期の教義。煩悩とそれを取り除く方法を指す。「智」は「般若」の言い換えで、般若心経自身のこと、「得」は「悟りの智恵を修得する」こと、だと思う。

◎ (前にお釈迦様が教えた)煩悩を取り除く方法に執着する必要はないし、この般若心経をはじめとする般若経にしても修得することに執着する必要はないのである。【8】

 執着しないほうが身につくということか?

> 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
> 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
> 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 (9)

◎ 菩薩さまは、悟りの智恵を身につけることで、心から引っかかりを取り去り、恐怖も無くなり、ややこしい考えも遠ざかり、平穏な心の境地に達した。【9】

> 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 (10)

 三世というのは過去・現在・未来の三つの時間のことで、三世諸仏は連綿と続くすべての時間に居る仏さまたちのこと。阿耨多羅三藐三菩提というのは音訳らしく、このうえない正しく平等な目覚め、という意味になるらしい。

◎ 時間軸に展開するすべての仏さまたちも、般若波羅蜜多を身につけることで、このうえない正しく平等な目覚めを得た。【10】

> 故知 般若波羅蜜多
> 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
> 能除一切苦 真実不虚故 (11)

 呪は「合言葉」的なもので「真言」ともいう。

◎ だから、般若波羅蜜多は、神からの、優れた、この上ない、比べるものも無い、合言葉なのだ。あらゆる苦を取り除くことができる、真実の言葉なのだから。 【11】

> 説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
> 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶  (12)

 後半をサンスクリット語から訳すと「往く人、往く人、彼岸に往く人、彼岸に善く往く人よ、祝福あれ!」になるが、ここは原語の発音を尊重し、訳さないでおく礼儀のようだ。

◎ 説明しよう、悟りの智恵を身につける合言葉を。こう言うのだ。ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディスヴァーハ 【12】

 ちなみに、日本のお経では、「菩提薩婆訶」は「ボダイ・ソワカ」と発音されている。

おわりに

 般若心経は千数百年前に仏陀の弟子によって作成された経典である。その全体を眺め直すと謎の単語「空」は万能変数のように思えてくる。それをどう解釈するかによって千差万別の世界像が現れるのだ。しかも「空」が何であろうと後半から結びに至る流れには影響しない。ということは、「空」の定義の多様性は最初から織り込み済みで般若心経の真の目的は、脳を活性化するための教材、ブレインストーミングの手法を使った思考ツールだったのかもしれない。

 以上の解説は、柴崎銀河が独自の解釈をしたものです。その点はご了解ください。


般若心経:空とは何か/質量・情報とエネルギーの等価性

2015年2月8日

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