文体の話

・とある失敗の話
先日、失敗をしてしまいました。

毎月の有志勉強会でのことです。内容はCSRについてで、以前、僕がある勉強会のために書いた文章を先にお配りし、ゼミのような形で説明していくというものでした。

先にお配りした文章については、新しい参加者の方から、教科書的なので、ビジネス実務にも合った話を聞きたいという要望を頂いていました。

ところで、僕は元々学者ですから、一種の文章のプロと言えるでしょう。論文を書きますし、本も執筆しています。しかし、「教科書的」という指摘の通り、気を使わずに文章を書くと、全て論文のようになります。
まだ若い頃ですが、お付き合いしていた女性にメールを送ったとき、「固い、読みづらい、愛がない」と言われてしまったことがあります。
当時はまだカラー画面が出始めの頃ですから、、、言われても仕方がありませんね。

また昨年、ある会議で、始めてオンラインを行ったとき、事前に意見などを送ることになりました。
僕はいつも通り、移動中などにスマホのテキストエディタで文章を書いて送りました。僕としては、自分の意見をまとめた程度のつもりでしたが、ある方から「佐伯さんがスゴい論文を送ってきた」と言われてしまい、何だかとんでもない提案をしたように受け止められてしまいました。

話を戻して、、、

勉強会では、新しい参加者の方から、年心な質問が出されました。解りやすく話していたつもりですが、質問の内容が良かったので、つい張り切ってしまいました。
その結果、予定の時間を大幅に越え、内容も大学院レベルのものになってしまいました。

話し方や言葉の選び方も含めて、若い参加者の方には、途中からかなり苦痛だったようです。

・色々な文章
大学勤務時代は、例えば町づくりなどに参加したときも、文体を気にせずに書いても許されました。しかし町の人たちには、ちんぷんかんぷんだったと思います。それでもお年を召した方など、「大学の先生が書いてくれた」と、一応喜んで頂けました。

さて、今は色々な文章を書きます。企業案内や企業のCI、デザイナーの方とプレゼンテーションを作成したこともあります。こうしたとき、最初はデザイナーの方が、僕の文章を噛み砕いたものにしてくれましたが、いつまでも頼るわけにはいきません。内容に合わせた文章を書くように努力しました。

・難しい文章
大学院(修士課程)に進学した当初、僕はかなり苦労しました。進学を勧めてくれた恩師からは、受験するように言われたものの、「必ず落ちるから1年我慢しなさい」と言われていました。大学生の頃は遊んでばかりいて、到底受験に受かるレベルではなかったからです。しかし奇跡的に、受かってしまったため、大学院の教科書を読んでも、全く解らなかったのです。

それでは、難しい文章とはどのようなものでしょうか。

これにはいくつかのポイントがあります。

まず言葉が難しいことです。例えば大学1年生の講義の教科書は、高校卒業レベルの言葉が使われています。また専門用語はある程度、教科書の中で説明されます。つまり文章のレベルが合わないと、まず言葉が解らないので、何について書かれているか解りません。
次に説明の量です。例えば論文などでは、基本的な理論は説明しません。つまり「何がどうなる」という話の流れが解りません。中には『〇〇(人名)、19××年』のように、その論文を読んでいなければ、何も解らないということもあります。
第3に、文章の長さです。多くの内容を完結に述べるためには、長い文章になります。しかし長い文章には、多くの情報が含まれるだけでなく、伝えたい内容も大きくなります。

例えば、、、

「春になり、多くの花が咲くと、公園には多くの人が集まる。」

この文章を簡単にするには、「春がきた」「たくさん花が咲いた」・・・と、短い文章を重ねればよいのですが、これではかえって読みづらくなってしまいます。

つまり、文章を読むためには、語彙、知識、理解力が合っていなければならないのです。

・読みやすい文体
僕がnoteを始めて、1年以上が経ちました。その中で、僕はなるべく読みやすい文章にするよう気をつけています。そうすると、先に挙げた、難しい文章の問題だけでなく、文体も考えなければなりません。

デザインにトンマナ(トーン&マナー)という言葉があります。これは簡単に言うと、広告などで、企業のイメージや雰囲気、色などを統一することを指します。
トンマナは文章にもあります。例えば同じ新聞でも、経済新聞とスポーツ新聞では、文体や使う言葉が全く違います。

僕が書き慣れている論文では、文学的表現は禁止されています。また感情表現や感覚的な表現も使えません。
あくまでも完結に理論を述べるものなので、全く感情のない(実際には述べたい強い問題意識はありますが)文章になります。

あるとき、知人の指摘から、こうした感情のない文章が、実はかなり読みづらいものだと気づきました。

さらにスマホやSNSが普及した現代は、共感を大切にしなければなりません。そうすると、感情のない文章や、頑張って‘理解’しなければならない文章は、とても解りづらいということになります。

僕のnoteを読んで下さる方は、僕が書いている内容に興味がある方なので、ある程度は許されると思いますが、、、

伝わる文体というのも、難しいものだと痛感しています。

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