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【読書録】『人生は「2周目」からがおもしろい』齋藤孝

40代以上の方で、ちょっと人生に疲れてきたかな、と思っている方、朗報です。こちらの本、『人生は「2周目」からがおもしろい』が、ヒントをくれます。

人生100年時代にあっては、人生の1周目を終えた50歳くらいで、人生の2周目を始めることになる。

私もちょうどその世代。一回りした、という感覚で、疲れが出てきてやる気がなくなる人が多いようだし、自分も時々ふとそんな気分になるが、筆者の結論はシンプル。

人生は2周目からがおもしろい!(p4)
2周目こそ本番なのです。(p5)

私は、この本を読んで、大いに元気づけられた。私と同世代以上で、2周目を前にして、あるいは、2周目に突入して、踊り場で戸惑っているような感覚の方、元気になりたい方には、ご一読をおススメします。

目次

この本は、以下の8章から構成される。この目次を見ただけでも、元気になれそうではありませんか?

1章 心の庭に「うつの雑草」が伸びていませんか?
2章  一周目でたまった「重さ」を取り除く
3章  「身体の固さ」を取ると心が柔らかくなる
4章  毎日の「向上感」が新しいアイデンティティをつくる
5章  「お金」の考え方、使い方を整理する
6章  節度ある「雑談力」が人間関係を豊かにする
7章  好奇心、感動 ― 2周目で初めてわかる楽しさがある
8章  学校教育を回収して「真善美」を追究する

心に残った表現

まず、50代で感じるモチベーション低下、アイデンティティクライシスについての記述に共感した。親や身近な人にもこういう人がいたように思うし、自分もふと、そのように感じることもある。


医学の発達や生活環境の向上で人生100年時代と言われるまでに寿命が延びたのに、残りの50年、人生の2周目になんの希望も持てないとしたらそれはもったいない。苦役のような時間になってしまいます。/ ところが程度の差こそあれ、苦役に近い2周目に入ってしまっている人が少なくありません。最近特に問題となっているのが「初老期うつ病」と呼ばれるものです。人生に新鮮味を感じられず、何を見ても心が動かない。このまま歳を取っていくのかという虚しさのようなものが込み上げてくる。次第に気力を失い、活動力が落ちてしまう。(p24)

1周目にモチベーションとなっていたものが一つ一つ失われたり、変質したりしていく。/地位や役職、お金、周囲の評価、家族……これらのことが変わっていくのが50代です。その変化を敏感に察知し、柔軟に対応できるかどうか? 状況の変化を受け入れ、自分自身のモチベーションをどこに置くか。/人生のシフトチェンジを迫られるのが50代だと思います。これまでトップギアで加速してきた生き方を、シフトダウンし、ゆっくりながら力強く進んでいかなければなりません。/ところがなかなかこれがうまくできない人がいます。するとモチベーションを失ったまま、自分の存在意義を見失ってしまう。いわゆるアイデンティティ・クライシスが起きがちです。/それがひどくなると、うつ病などのメンタルの病に至ってしまう。(p102)

1周目が終わると、競争社会の中で、他者の評価軸で生きてきた人生が、一区切りつく。2周目においては、他人の評価から自分を解放することができる。2周目こそ、他者の評価を気にせず、自分がよい、楽しいと思うように生きればよいのだ。本書は、このような発想の転換のきっかけをくれて、ポジティブな気分になる。

1周目と2周目の大きな違いは、評価を他人に委ねるか、自分で自分を評価するかということでもあります。(p68)

良識ある他人、心ある他人が見れば「それは価値があるね」とわかってくれるようなものに対して、特に誰かがほめてくれなくても自分で「価値がある」と認め、納得して生きていける力を持つ。それができるのが、人生の2周目なのです。(p114)

1周目は、他者評価を基準にして他者からの承認欲求を満たすのがモチベーションでした。2周目は軸足をずらし、自己評価を基準にして自己承認欲求を満たす、つまり1周目をしっかりと走り、客観的な評価眼を養ってきた自分自身に認められ、ほめられるような毎日をすごすことに重心を置く。/ モチベーションの軸足を少しずつずらしていく。評価をこれまでのような会社一辺倒、ビジネスに一元的に託すのではなく、評価基準を多角的に増やしていくことがポイントになると思います。(p115)

世の中も、人の能力や才能もじつに多元的です。あるがままに見渡せば、そのことが自ずとわかるはず。1周目は競争社会の中で一元的な価値観を嫌でも持たされましたが、2周目はその軛(※くびき)から逃れることができるようになります。(p129)

とはいえ、1周目で他者評価に従ってまっしぐらに進んできた人々にとっては、やはり、これから何をよりどころに、何を是として生きていけばよいのか迷うことには変わりがないだろう。この点、筆者は「真善美」を追究することを提唱する。

2周目になっても、全部自分の欲望や快楽だけのためにお金や時間を使っているのは恥ずかしいことだと思います。これからの才能や、これからの人たちにそのお金を意識して使ってみましょう。(p183)

学ぶ楽しさ、おもしろさを味わえるのが50歳を過ぎて、人生の2周目に入ったひとたちなのです。/しかも1周目で私達は、嫌々ながらでもさまざまなことを1回学んでいます。それがじつは大きい。どのような学問でも1回やっていると一種の既視感があるため、初めて学ぶのに比べてずっと吸収が早くなります。(p202)

1周目が、仕事を通じて給与などの収入を確保する経済力、すなわち「欲望を追求する時代」「責任を全うする時代」だとしたら、2周目は「真善美を追究する時代」だと言っていいかもしれません。(p202)

真善美を追究しているのが、じつは学校の教科そのものなのです。しかし残念ながらそれが中高生時代、魅力的であったとは必ずしも言えません。/本当の学問の目的である真善美の追究は、そんな社会システムに距離をおくことができる2周目から可能になる。/あらためて中学、高校の教科書を開いてみましょう。1周目では感じることができなかった発見、喜びがあるはずです。(p208)

考えれば考えるほど、中学や高校の教科は新善美を教えてくれるものでした。それに気づかず勉強が苦痛でしかなかったのは、知性をたんに能力評価の手段にしてしまっていたから。(p217)

これを読んで、中学や高校での詰込み教育で、テストで点を取るために必死で覚えたものは、実は大変な教養と知性の宝庫だったのだと改めて気づかされた。

例えば、世界史の年号を、高校生の頃、ゴロで暗記して覚えたりした。たとえば、「1309年といえば、『坊さん(13) 飛んで(0)く(9) アヴィニョン』(アヴィニョン捕囚=教皇のバビロン捕囚)」など。当時、暗記は苦痛でしかなかった。(ちなみに、山村良橘先生の「世界史年代記憶法」には大変お世話になった。)でも、テストに出るから覚えたというだけで、バビロン捕囚そのものについて、詳しく知りたいとは思わなかった。

その後、社会人になって、旅に出て、ローマ帝国やらビザンチン帝国やらの遺跡を見たり、あちこちの神社仏閣のご由緒を聞いたりすると、ああ、高校生の時、習ったなあ、あの時代のことか、と、ひととおりの知識はよみがえる。ただ、暗記中心だったので、ごく浅い知識に留まっている。だから、もっと知りたいと思い、Google検索をしたり、関連する書籍を読んでみたりする。

そんなふうなので、社会人になってから、「学生の頃に、文学、歴史、科学、芸術などを、もっと勉強しておけばよかったなあ」と後悔することが多くあった。でも、この本は、「1周目は、それでよかったのだよ」と言ってくれるので、気が楽になった。

そして、それらの1周目で学んだ基礎知識をベースにして、そこに、自分の半世紀の経験、思考や興味を加えて、自分のペースで、自分らしく、自分の学びたいものを深めていけばよいのだと思った。学びを始めるのに遅すぎるということはないのだ。

本書には、上記のようなメッセージのほか、2周目の人生ならではの、時間の使い方、お金とのつきあい方、雑談力を身に着ける方法など、2周目の人生を豊かにする、具体例に富んだ実践的アイデアも盛りだくさんだ。すぐにでも実行できるアイデアや、筆者お勧めの書籍なども多く掲載されている。

2周目の生き方について考えている方には、是非、本書を手にとってお読みいただければと思います。


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