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【読書録】『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』菊池寛

今日ご紹介するのは、小説家であり劇作家でもある、菊池寛の短編小説集。

菊池寛は、ジャーナリストとして時事新報に勤めるかたわら、短編小説を発表して、流行作家となった。文藝春秋社を設立した実業家であるとともに、芥川賞、直木賞の設立者であることでも知られている。

冒頭の写真の、新潮文庫の短編集には、その代表作である『恩讐の彼方に』のほか、『恩を返す話』『忠直卿行状記』『藤十郎の恋』『ある恋の話』『極楽』『形』『蘭学事始』『入れ札』『俊寛』の9つの短編(合計10編)が収録されている。

歴史モノの小説なので、各話の最初の数行で時代設定を頭に入れるまでは、若干、とっつきにくいかもしれない。しかし、一旦、登場人物や場面の理解ができれば、あとは現代の小説と同様に、すぐに、ストーリーに引き込まれてゆく。いずれも短い話なのに、限られたページのなかで、登場人物のさまざまな心情が、まざまざとリアルに伝わってくる。

不安、苦悩、葛藤、嫉妬、恨み、失望、執着、飽き…。

コントロール不能な、複雑に込み入った、人間の感情。そして、それが引き起こす、人間のさまざまな不条理な行動と、思いもよらぬ、皮肉な結末。

これらのストーリーを読んでいると、こちらの感情が激しく揺さぶられる。驚いたり、もどかしさを味わったり、やるせない気分になったり、腹が立ったり、悲しんだり、ため息をついたり、苦笑したり。手に汗握り、読み終わるまでに、気づいたら結構なエネルギーを使ってしまっていた。

そして、読み終わって感じたのは、人間とは、結局のところ、感情に支配される、厄介で非合理的な生き物だということ。そして、それこそが、人間社会を面白くしているのかもしれないな、ということだった。

また、これらの話には、自分の人生において接したことのある、複雑な感情を思い起こさせるものも多くあった。ここまで、色々な感情を持ったし、他人の色々な感情にも随分巻き込まれてきたな、と自分の半世紀の人生を振り返った。そして、それも仕方ない、それも生きている醍醐味だったのかもな、と感じた。

それぞれの話で私が感じ取った登場人物の感情は、次のようなものだ。

(以下ネタバレ可能性あり。)

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『恩を返す話』借りを返すことへの執着心。

『忠直卿行状記』人間不信、疑心暗鬼。

『恩讐の彼方に』後悔、恨み、葛藤、許し。

『藤十郎の恋』競争心、焦り、不安、苦悩、後悔。

『ある恋の話』募る恋心、理想と現実とのギャップへの失望。

『極楽』飽き、無いものねだり。

『形』思い込み、視覚効果。

『蘭学事始』良心の呵責、優越感、意見の不一致、ライバルへの敵意と敬意。

『入れ札』競争心、嫉妬、裏切りへの怒り、羞恥心。

『俊寛』憤り、悲しみ、苦悶、小さな幸福、過去との決別。

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どの話も、完成度のとても高い小説だと感じた。小さな文庫本の、短いストーリーを通じて、これほどの複雑な感情を、これでもかと強く読者に突き付けてくる。その筆力には、ただただ、圧倒される。

名作ばかりの短編集です。まだ読まれたことのない方には、自信を持ってお薦めします!


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