【読書録】『働き方2.0 vs 4.0』(橘玲)
今日の本のご紹介は、橘玲(たちばな・あきら)氏の、『働き方2.0 vs 4.0』(PHP研究所)。副題は『不条理な会社人生から自由になれる』。
世界中で、生き方や働き方が衝撃的に変わりつつある現在、日本型雇用(年功序列・終身雇用)の下で働いている「サラリーマン」のままでは、この先、生き残るのは難しい。では、どうすればよいのか?という問いを投げかける本。
とても読み応えのある本だった。この本がすごいと思ったのは、データや出典、具体例を豊富に引用しつつ、ショッキングな事実を、次々に、これでもかと、たくさんの切り口から明らかにしているところだ。
内容がなかなかシビアであるし、読みながら少々絶望的な気分になるところもあり、他の自己啓発本と比べて、読了するのに時間がかかった。読後感は重いのだが、これが現実であり、目を背けてはいけないと思った。
(若干、話があちこちに飛んでいるような印象を受け、具体的エピソードの相互関連性や、論理のロジックを追いにくいな、と感じた。しかし、巻末の「おわりに」で、本書は、橘氏へのインタビューをライターさんがまとめたものに加筆したものだということが分かり、納得した。)
以下、特に私の印象に残った点をまとめてみる。
働き方1.0~5.0の定義
まず、本書冒頭の「はじめに」の章(p3)において、働き方1.0~5.0の定義が示されている。
働き方1.0:年功序列・終身雇用の日本的雇用慣行
働き方2.0:成果主義に基づいたグローバルスタンダード
働き方3.0:プロジェクト単位でスペシャリストが離合集散するシリコンバレー型
働き方4.0:フリーエージェント(ギグエコノミー)
働き方5.0:機械がすべての仕事を行うユートピア/ディストピア
上記のうち、日本の「働き方改革」とは、働き方1.0を強引に2.0にヴージョンアップしようとするもの。働き方1.0は目を覆わんばかりの機能不全を起こしているという。しかし、働き方2.0を実現したとしても、それではぜんぜん世界の潮流に追いつけず、最先端の働き方は、3.0から4.0に向けて大きく変わりつつあるという(p4)。
そして、本書の「おわりに」の章で、働き方5.0について、シリコンバレーの起業家、ジェリー・カプラン氏の言葉を引用する (p267-269)。それには、少しゾッとした…。
階層化する働き方
本書で紹介されている、最近の様々な働き方の変化についての論述のうち、最もショッキングだったのが、欧米で進んでいる働き方の階層化についての箇所だった(「6つに階層化する働き方」)(p186-190)。
ピラミッド型の図で、わかりやすくそのヒエラルキーを図示している(p187)。その頂点が、「資本家」。その次に、「クリエイター」や「スペシャリスト」が来る。ここではフリーエージェント化が進んでいる。
その下の階層に「管理職」が来るが、「ブルシットジョブ」化しているという。「ブルシット」というのは、牛の糞を意味する英語"Bullshit"で、文化人類学者のデヴィッド・グレーバーが使った言葉である。世の中には、部外者から見てなんの役に立っているのかまったくわからない仕事があると言い、そのような仕事を総称してこのようにと呼んだ。
その下に位置するのが「バックオフィス」で、組織に所属しながらマニュアルに従った仕事をするということで、これを「マックジョブ」と呼んでいる。そのさらに下には「ギグワーカー」が来る。
この「ブルシットジョブ」と「マックジョブ」という辛辣な用語に、ドキッとした。資本家やクリエイティブな仕事のできる高スキル人材と、誰でもできる仕事、AIや機械と競争しなければいけない低賃金の仕事とで、格差がものすごく広がっていることが、残酷なくらいに可視化されている…。
日本型雇用が生む「ゼネラリスト」の弊害
そんな中、日本型雇用のサラリーマンは生き残れるのか。著者は、年功序列・終身雇用を律儀に踏襲し続ける日本型雇用の弊害について、以下のように指摘する。
年功序列・終身雇用の日本企業では、社員は、「ゼネラリスト養成」のためと称してさまざまな部署を配転させられる。社員は「サラリーマン」という、通常、特別な専門性のない身分となる。
ゼネラリストばかりで専門性のない社員や官僚を量産することで、ビジネスや国際政治の場で交渉で負けてしまうなど、足かせとなっている。ビジネスが複雑化しているのに、終身雇用で、外部人材を中途採用しない。ゼネラリストの社員に、専門性の高い難解な業務を担当させ、指揮させる。このような不適材不適所の人材配置が長時間労働を生み、パワハラや過労死を生む。能力を超える仕事の責任を負わされ、こころを病む。
また、サラリーマンは、会社の資源を使って仕事をしているに過ぎないため、個人としての知識や人脈が蓄積されず、会社を辞めたとたんに多くのサラリーマンがビジネスの世界から脱落していく。
それに対して、欧米では、資格と仕事が一体化しているスペシャリストが存在する。企業に所属するスペシャリストは、会社の看板を借りた自営業者として、専門性を企業でマネタイズしているに過ぎない。
また、欧米の企業では、ビジネスが複雑化して専門性が必要になった場合には、いつでも外部からエキスパートを中途採用して、エキスパート集団を作りあげることができる。そのため、上記の日本型雇用の企業のように能力以上の仕事を負わされて疲弊するといったことは起こらないはずだ。
フリーエージェントのすすめ
では、これから、流動化する働き方に、日本型雇用のサラリーマンは、どのように対応できるのか。本書では、好きなことや得意なことを仕事にして、「フリーエージェント」化することが、ひとつの解として示されている。
「人生100年時代」に最も重要なのは、好きなこと、得意なことを仕事にすることです。嫌いな勉強を1世紀も続けることなど誰にもできませんが、好きなことや得意なことならいくらでもできるからです。
(中略)
人生100年時代には、原理的に、好きなこと、得意なことをマネタイズして生きていくほかありません。もちろん、すべてのひとがこのようなことができるわけではありません。だから私は、これを「残酷な世界」と呼んでいます。(p201-202)
不安感が大きいというのは日本社会に深く根付いた「病理」で、その結果、会社に「安心」を求めて終身雇用にこだわり、自分たちでタコツボをつくって苦しんでいるわけですが、これは逆にいうと、まわりがみんなネガティブなのだから、ポジティブな選択をするとものすごく有利になるということでもあります。(p212)
アメリカでは、高収入のスペシャリストのあいだでフリーエージェント化が進んでいます。私はこれを時代の必然だと思いますが、その理由は人間関係を選択できるようにした方が人生がずっと楽しくなるからです。(p234)
高度化するネットワーク社会で起きているのは、「会社から個人へ」という大きな流れです。そこでは「大きな会社」に所属していることではなく、個人としてよい評判を持っていることが成功のカギを握っています。
ネットワークのなかでよい評判を獲得するもっとも確実な方法は、自分の知識や人脈を惜しげもなくギブすることです。(p253)
(...)どんなひとも60歳(あるいは65歳)になって定年を迎えれば「フリー」なのです。そう考えれば、サラリーマン生活は「フリー」への準備期間です。
(…)「人生100年時代」では誰もが「フリーエージェント」を体験することになります。30代や40代で独立するひともいれば、60代でフリーになるひともいるというちがいにすぎません。
「未来世界」で生き延びるのは、会社に所属しているときでも常に「フリーエージェント」として仕事をしていると考え、会社のブランドに依存するのではなく、自分自身のよい評判を増やしていけるひとです。(p260-261)
感想
なるほど。これから、高度に知識化して階層化する社会で生きて抜くために、好きなことを仕事として、フリーエージェントとしての生き方を模索するべし、か。
そりゃあ、「言うは易し…」だわ。私の家族友人を含め、まだ働き方1.0真っ只中の会社に勤めるサラリーマンも多いし、外資系の私の勤務先は、1.0ではないけれど、まだ、せいぜい2.0か。今後、4.0のフリーエージェントを目指して、好きなことを仕事にしていくことにも、個人としての評判を高めていくことにも、ハードルは高いとしか思えない。いかにもしんどそうで、少しうんざりしてくる…。
でも、これから、働き方の大きな変化という荒波は、もはや避けられない。だとすると、じたばたすることなく、自分個人のブランディングや、好きなこと、得意なことのマネタイズの道を、日々、地道に探してみようか。そういう目線で日々を送るだけでも、会社で、決められたことだけを機械的に行う生活を漫然と送るよりは、将来的にかなり大きな差がつくだろう。
日本型雇用が世界の変化に耐えられずに崩壊して、会社という枠組みが取り払われたあかつきには、個人が自由に、柔軟に働ける、明るい未来が来る、ということかもしれない。そう信じて、そのときに備えていこう。
ご参考になれば幸いです!
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