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【読書録】『流れる星は生きている』藤原てい

第二次世界大戦中、夫とともに満州に暮らしていた筆者が、敗戦後、夫と引き裂かれ、幼い子ども3人を連れて日本に帰るまでの、言語に絶する悲惨な脱出記録である。

若い女性ひとりで、身の安全の保障もなく、衣食住もままならぬ劣悪な衛生状態のなか、小さい子ども3人を連れ、歯を食いしばりながら長い道のりの逃避行を続ける。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。目を背けたくなるような苦難が次から次へと続く。

同胞の日本人コミュニティでも、裏切られたり、ひどい扱いをされたり、失望させられたりする。帰国船の上でも、お金のことでまた騙される。人間というものは、自分が極限状態に置かれると、そこまで他人に残酷になりえるのかと思うほど、非道なエピソードがこれでもかと続く。

それでも、母は強い。決してあきらめない。そして、時には、力を貸してくれる人も現れるのが救いだ。ソ連兵、アメリカ兵、朝鮮の人々の中にも、助けてくれる人がいた。

読み進めるにつけ、あまりの酷さに目をそむけたり、あまりの仕打ちに憤り、あるいは逆に、優しい人の恩情に感動し、涙が止まらなかったりした。

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実は、この本には、個人的に強い思い入れがある。何故なら、私の父方の祖父母が、著者と同じように、敗戦後に満州から引き揚げる経験をしたからだ。

私の祖父母は、戦時中、満州でビジネスをしていた。現地ではそこそこ成功していたようだ。しかし、敗戦で一転、全ての財産を没収され、生まれたばかりの女の赤ちゃんを連れ、命からがらの逃避行を余儀なくされた。

祖父母は、何とか女児を連れて帰国することができた。しかし、その女児は、残念ながら、その後、日本で、栄養失調で死んでしまった。そして、さらにその後、日本で、私の父が生まれた。亡くなった女児は、生きていたら私の伯母さんだった。もし、祖父母が彼女を連れ帰ることができなかったら、彼女は中国残留孤児になっていた。

祖父は私がまだ小さい頃に死亡したため、彼の話はよく覚えていないが、90歳近くまで生きた祖母は、孫の私に、時々、そのときのすさまじい思い出を語ってくれた。

家中をひっくり返され財産を没収されたこと、着の身着のままで追い立てられたこと、赤ちゃんを何度も奪われそうになって必死で守ったことなど、恐怖の逃避行だったそうだ。聞くも涙、語るも涙の苦難の連続で、この本の描写と見事にオーバーラップした。

(もっとも、祖父母のほうが、夫婦揃っていたし、子どもの数も1人だったため、女性1人で3人の子どもを抱えていた著者の状況よりは、随分恵まれていたとは思う。)

また、祖父母が雇っていた現地の人々が、できる限りの親切を尽くしてくれたのが救いだった、とも言っていた。そのためか、祖母は、中国人の人々が好きだと言っていた。

祖母が戦争の話を始めると、子どもだった私は、また同じ話が始まった、退屈だな、早く終わらないかな、などと思っていた。今から思えば、なぜあのような貴重な話を、もっと真剣に聞き、そして、記録しておかなかったのかと、とても悔やまれる。

祖父母は、一文無しで帰国後、親戚を頼り、邪魔者扱いされながら、生きるための最低限の貧乏な暮らしを経験した。そのためだろう、祖父母は徹底した倹約家だった。

そして、その祖父母に育てられた父も、筋金入りの倹約家だ。電気を少しでもつけっぱなしにしたり、水道の水を少しでも出しっぱなしにすると、すぐに激怒する。長電話は許さない。コンビニでは絶対買い物をしない。そんな父を、ケチだなあと苦々しく思っていたが、この本を読んで、彼らがした苦労を思い、そんな風に思っていた自分を恥ずかしく思った。

終戦後75年目となる現在、戦争経験者がどんどん少なくなり、直接に経験者から戦争の体験を聞く機会は殆どなくなった。世の中はすっかり平和ボケしていて、物質的な豊かさに満ちている。

親たちも戦後世代である私たちは、せめてこういう本を読むことにより、戦争で何が起こったかを理解し、戦争の過ちを繰り返さないように気を引き締めないといけないと思った。

※なお、こちらのnote↓にて、この本についてご紹介されている素晴らしい記事がございましたので、併せてご紹介いたします。


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