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【読書録】『これからの男の子たちへ』太田啓子

今日ご紹介するのは、太田啓子氏のご著書、『これからの男の子たちへ』(2020年8月、大月書店)。副題は、『「男らしさ」から自由になるためのレッスン』

社会から性差別をなくすために、性差別をしない男の子を育てるべきことや、これからの男の子たちに考えてほしいことについて提言をする本だ。

この本を初めて目にしたとき、今までにあまり類書のない、珍しい書籍だと思った。

著者の太田氏は、弁護士。離婚問題、セクシャルハラスメントなど、男女の間の問題やトラブルについての案件処理の経験が豊富だ。そのなかで、性差別的な考え方を持つ当事者を多く目にしてきたという。

また、著者は、2人の男の子のシングルマザーで、日々、男の子の子育てに奮闘しているとのこと。そして、そのなかで、男の子たちが、社会から「男らしさ」を押し付けられ、それが子どもたちの性差別的な価値観や行動パターンに影響するのではないかという危惧を抱いているという。

そのような視点から、男の子の子育てをする親たちに対し、「男らしさ」の押し付けについての気づきを促し、差別をしない男性を育てる必要性を訴え、また、同調圧力の中を生き抜かなければならない男の子たちに対し、「男らしさ」の呪縛に苦しめられないでほしいというメッセージを発している。

これは、著者の職業上のご経験に基づく性差別についての思考と、男の子の子育てについてのご関心やお悩みが、見事に結びついてできた書籍だ。まさに、著者のような属性の方にしか、書けないものだと思う。

性差別について書かれた文献も引用し、ジェンダーギャップの事象も豊富に示されている。それらを、とても読みやすく論じていらっしゃるところが、さすが弁護士さんという感じだ。

以下、本書で特に印象に残った点を記録しておく。

「有害な男らしさ」

本書では、「有害な男らしさ」という言葉が、重要なキーワードとして用いられている。1980年代にアメリカの心理学者が提唱した、"Toxic Masculinity" という言葉だそうで、以下のようにまとめられている。

社会の中で「男らしさ」として当然視、賞賛され、男性が無自覚のうちにそうなるように仕向けられる特性の中に、暴力や性差別的な言動につながったり、自分自身を大切にできなくさせたりする有害(toxic)な性質が埋め込まれている、という指摘(p21-22)

そして、男らしさについて、続いて、次のように説明する。

『男らしさの終焉』(グレイソン・ペリー著、フィルムアート社)という本に紹介されている、社会心理学者による「男性性の4要素」は、①「意気地なしはダメ」②「大物感」③「動じない強さ」④「ぶちのめせ」です。弱音を吐かず、社会的な成功と地位を積極的に追求し、危機的状況があっても動じずにたくましく切り抜け、攻撃的で暴力的な態度をとることも含めて、社会の中で「男らしさ」といわれている、という説明ですね。(p22)

そして、さらに、「有害な男らしさ」が無意識のうちにインストールされるということと、それによる悪影響について述べている。

 「男らしさ」を良しとする価値観をインストールされた結果、競争の勝ち負けの結果でしか自分を肯定できなかったり、女性に対して「上」のポジションでいることにこだわりすぎて対等な関係性を築くことに失敗してしまったり、自分の中の不安や弱さを否定して心身の限界を超えて仕事に打ち込んでしまったり……といったことが、男性にはしばしば起こっているのではないか。私が離婚事件やハラスメント事案で見てきた男性の行動の背景には、そんなこともあったのではないかという気がします。
 だからこそ、そのような「有害な男らしさ」が自分にも無自覚にインストールされてしまっていることを意識し、その悪影響から脱却することが男性には必要ではないでしょうか。(p23)

ジェンダーギャップ事象の例

また、本書においては、ジェンダーギャップの影響を受けていると思われる事象の例が数多く紹介されている。

「男子ってバカだよね」問題。幼くて笑ってしまうような子供の行動に対して、性別によって周囲の受け止め方が違う。また、他者への暴力的なふるまいの萌芽があった場合でも「男の子はそんなもんだよ」と許容してしまっている。(p24-27)
「カンチョー放置」問題。ある程度の年齢の男子の間で行う「カンチョー」を「悪ふざけ」としておもしろがる。(p30)
「男の子の意地悪は好意の裏返し」問題。相手への好意があるということによって、相手に嫌な思いをさせる行為の「悪さが少し減る」かのような勘違いを子どもにさせかねない。(p33-34)
過労死や過労自殺は圧倒的に男性が多数。「男らしさ」の縛りが彼らを追い込むのだろう。誰かの助けを借りるという発想が出てこない。(p43)
「インセル(Incel = Involuntary celibate)」(自分で望んだわけでもないのに女性と性的関係をもてない男性を表現する言葉)による暴力がアメリカやカナダで問題になっている。インセルの考え方の特徴は「自分には女性とセックスする権利があるはずなのに、女性がそれを拒否しているからできない、拒否する女性が憎い」「本来あったはずの権利を不当に奪われている」という発想(p56-58)
女性を強引にセックスに持ち込んだ回数を比較して評価しあっていたケース(p62)
「男性を立て、手のひらで転がすのが賢い大人の女性」といった言説があるように、なぜか男性が女性に機嫌をとってもらえることを許容する風潮(p64)
男性向けのAVは男性の「支配欲」を満たすファンタジーだとか、セックスに至るまでのコミュニケーションが省かれている。一方通行でコミュニケーションがなく、いわば女性の体を使って男性の支配願望を満たしているもの(が多い)(p115)
性犯罪の加害者は圧倒的に男性。法務省の犯罪白書によると、重大な性犯罪の加害者の99%以上が男性(p162)
日本におけるレイプ・カルチャーの浸透はかなり深刻。性暴力があたかも自然災害のように「普通」のことと扱われ、被害者のほうがそれを避けるための対応をしなくてはならない。(p173)
日本社会では、異性愛男性の性欲、およびそれに基づくとされる行動が特権的扱いを受けている。(p188)
1990年代ころまでは、子どもも見るようなゴールデンタイムのテレビのお笑い番組で、女性の裸の乳房が平気で映され、「お色気シーン」とされていた。(p188)
女性の胸やお尻など性的なパーツを極端に強調したグラビアやイラストが、コンビニや電車、駅の売店などが、誰もが出入りする公共空間にあふれている。(p190)
『ドラえもん』で、のび太君が、しずかちゃんの入浴シーンやスカートの中を偶然に見たり、見えそうになったりして「ラッキー」と喜ぶ場面がある。(p197)
雑誌『週刊SPA!』の記事で、「ヤレる女子大学生RANKING」というコーナーにて、セックスしやすい女性が多いランキングを勝手に決めて、具体的な大学名を紹介した(p203)

弁護士というお仕事柄もあってか、たくさんの事象をとてもよく観察されているなあと感服した。

そして、確かに、よく考えてみれば、私たちは日々、ものすごい性差別の中で暮らしてきているなあと気づかされた。

コンビニでもパチンコ屋でもカラオケ屋でも、お色気キャラクターが大きく掲示されているし。通勤電車では、おじさんたちが、スポーツ新聞のエロ記事を、周りの人にも見えてしまうほど、堂々と広げて読んでいるし。

不快に感じつつも、そういうことに慣れてしまって、怒る気にもならない。もはやそのような諦め感があり、既に感覚が麻痺しているのだなあと認識させられた。

世の中の男の子たちに伝えたいこと

最後章では、男の子たちへのメッセージが続く。

伝えたいことは、大きく分けるとふたつです。
ひとつめは、「男らしさ」の呪いから自由に生きてほしいということ。
ふたつめは、「男性であることの特権」に自覚的になって、性差別や性暴力を許さない、と、男性だからこそ声をあげてほしいということです。(p236)

そして、それに続き、10のメッセージを伝える。それぞれに、熱く優しい思いがこもっている。

自分の弱さを否定しなくていい
性暴力に関することを、笑いごとにしないでほしい
ホモソーシャルな同調圧力に抗える男性になってほしい
性的サービスをお金で買うことの意味を自分なりに考えてほしい
「男性であること」だけで「特権」があることを知ってほしい
「特権」をもつ側としての責任を行動で果たすこと
何もしないことは不正義に消極的に加担するということ
社会は変えられると知ってほしい
対等な関係性を築けるようになってほしい
「新しい常識」をつくって、一緒に社会を変えていきたい
(p236-p259)

ひとつひとつが、とても深く考えさせられるメッセージだ。特に、最後の「新しい常識をつくって、一緒に社会を変えていきたい」というくだりには、著者が本書を書くに至った思いが込められている。

 私の周囲で見聞きする限りでも、いまの20代や30代の若い男性は、その父親世代よりも家事や育児を柔軟に分担する傾向があると感じます。私の息子やその同世代の男の子たちが、この社会の差別構造を認識し、女性と一緒にたたかってくれるようになれば、旧世代の退場とともに、日本社会はずいぶんと変わるのではないでしょうか。
(中略)
 …私たちの世代が次世代にレガシー(遺産)として残せるものはなんだろうと考えるなら、とくに男の子を育てている者としては、「わが子を差別的な男性にさせないこと」や、「性差別や性暴力に怒り、一緒にたたかってくれる男性をもっと増やすこと」なのではないか。
 そんなことを考えて、この本を書きました。(p258)

感想

女性目線で女性に対する差別について論じた書籍は、今までよく読んできた。今回、男性に対する差別の視点から書かれた本書を読んで、目から鱗が落ちる思いをした。

しかし、その根っこは共通だ。これは女の子の子育てと「女らしさ」の呪縛についても当てはまる。

「男らしさ」「女らしさ」についての固定観念が社会の同調圧力により刷り込まれ、男の子たち、女の子たちが無意識のうちに、男らしくなければならない、女らしくなければならない、と思い込む。それが性差別につながる、という構図だ。

根本的な解決のためには、社会の同調圧力がなくなるべきだ。でも、同調圧力はそう簡単には払しょくされるとは思えない。

では、どうすればよいか。社会の変化が遅くても、親など、子どものまわりにいる大人たちが、まずは、自分たちの無意識の偏見に気づき、性差別の刷り込みをしないように行動を変える必要がある。

簡単にできる一つのアイデアとして、家庭において、「男の子なんだから」「男のくせに」「女の子なんだから」「女のくせに」といった、性別による「らしさ」を強要する言葉を、使用禁止にする、というルールを決めてはどうだろうか。いかに無意識に、性差による刷り込みを行おうとしているかに気づけるのではないか。

そして、大人たちが、子育ての家庭において、社会の同調圧力に屈しないでほしい、というメッセージを発することだ。たとえば、次のように、子どもと対話をすることは、今日からでもできるだろう。

これから、世の中は、あなたに、いろいろな方法で、「男らしさ」「女らしさ」を押し付けてくる。まずはそれに気づいてほしい。そして、そのことに気づいたら、冷静になって。そして、それに流されないで。負けないで。

男性だからといって、女性より強くある必要はない。弱みを見せてはいけないなんてことは全くない。自分らしさを押し殺さなければ、なんて思わないで。逆もしかり。

また、たとえば、周囲の男性たちが、女性に対して性暴力的な表現をするような状況があったとしたら、それに同調するのではなく、勇気をもって、異を唱えなければならない。社会がどう言おうと、自分の頭でよく考えて、正しいと思う行動をして。

家庭でこのような対話を重ねることにより、子どもは、物事を正しく見る目を養えるようになるだろう。そして、メンタルタフネスを高めることもできるだろう。

思い返してみると、私の場合は、私の家庭(父や母、祖父や祖母、親戚たち)こそが、まさに、私に対し、彼らの考える正しい「女らしさ」を強要する、強烈な同調圧力の場所そのものだった。

それが、私が職業上のキャリアを追求することに対する、心理的に大きなハードルとなった。それがとても辛かったことは、今まで、いくつかの記事で書いてきた。

もし、LGBTQの方々のご家族が、私の家庭にいた大人たちのように、性差別的な考えを強要する人々だったとしたら、きっと、私などの想像を絶するような、ものすごく苦しい思いをされたに違いない。

これからの子どもたちには、そういった、「男らしさ」「女らしさ」の呪縛に苦しんでほしくない。また、その下の世代に対し、そのような苦しみを与えることのないようにしてほしい。

だから、子どもをお持ちの親御さんには、おひとりでも多く、この本を読んでいただけるとよいなと思う。そうして次の世代が、性差別のない世の中を実現してくれることを期待したいと、心から思うのだ。

また、私のように子どものいない大人にも、この本に学ぶことは多くある。たとえば、誰にでも、親戚の子どもや、若い後輩たちと接する場面はあるだろう。もし、周りに、性差別の呪縛に苦しめられている若者がいれば、年の功で、その呪縛を解いてあげる手助けができるのではないか。

社会の風潮がどうあれ、ほかの人がどう言おうと、私は、あなたが、あなたらしく、正しいと考える生き方を貫くことを応援するよ。そんな風に、若い人たちに言ってあげたい。また、そういう振る舞いができる大人が少しでも増えると、社会は間違いなく変わっていくと思う。

ところで、Amazonでこの本の書評を見ると、賛否両論で、アンチのご意見も多い。でも、そうやって世間に議論を巻き起こし、少しでも多くの人がこういう視点を持つきっかけを作ったこと自体、本書がもたらした効用だと言えるかもしれない。

最後に、本書の中で著者が引用している、俳優のエマ・ワトソンが2014年に国連でおこなったスピーチ(※)が、とても素晴らしく、これに強く共感したので、ここに引用させていただく。

 もし、男性として認められるために男性が攻撃的になる必要がなければ、女性が服従的になるのを強いられることはないでしょう。もし、男性がコントロールする必要がなければ、女性はコントロールされることはないでしょう。
 男性も女性も、繊細でいられる自由、強くいられる自由があるべきです。今こそ、対立した二つの考え方ではなく、広範囲な視点で性別をとらえる時です。(p67)

(※山光瑛美「エマ・ワトソンが国連スピーチで語ったこと。『なぜ、フェミニズムは深いなことになってしまったのでしょうか?』」『Buzzfeed News』2017年10月6日)

ご参考になれば幸いです!

※「男らしさ」の話とは逆ですが、「女らしさ」の呪縛をリアルに描いた書籍について、過去に以下の記事を書きました。よろしければ是非お読みください。


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