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【読書録】『女子という呪い』雨宮処凛

3週間前に、アルテイシアさんの『40歳を過ぎたら生きるのがラクになった』という本をご紹介した。

今日ご紹介する、雨宮処凛(あまみや・かりん)さんの、『女子という呪い』も、同書と、テーマがとても似ている。日本という男性優位社会において、女性に強いられた不条理について明確に言語化してくれる一冊だ。(ただ、語り口は、アルテイシアさんの本がおふざけ要素満載なのにくらべて、こちらは、極めて真面目なのだが。)

まず、冒頭で、本書のタイトルである<「女子」という呪い>について、日本で見られるたくさんのおかしな現象を挙げている。

 メディアでたまに目にする、「夫の不倫を謝罪する」妻。
「頑張れ」「努力しろ」と言うわりには、「でも、男以上には成功するな」というダブルスタンダードを要求する社会。
 夫・彼氏以上に稼いだ時に、なぜかそれを隠してしまう妻・彼女。
「女子力」とか「女性の活躍」という言葉への違和感。
「そんなこと言ってるとモテないぞ」「お前は女の本当の幸せを知らない」などと余計なことを言ってくるオッサン。
 男が子育てすれば「イクメン」と言われ、介護をすれば「ケアメン」と名付けられ持ちあげられるのに、女が仕事して子育てして家事してその上、介護までしても誰も名付けてくれないし褒めてもくれないという現実。
 保育園に落ちて仕事を辞める妻。(p7-8)

このほかにも、いろいろな例を用いて、男女差別やハラスメントがいかに多いかを切々と語ってくる。データや情報源をきちんと引用した、事実に基づく考察で、淡々とした語り口。どれも腑に落ちる。

とりわけ、いとこの女の子が亡くなった時のことを思い出して紹介するシーンが、生々しくて、印象に残った。

 まだ20代で、突然、病によって命を奪われた女の子。憔悴しきっていた彼女の家族。葬儀などが一通り終わって、彼女の家での食事になった時のことだ。リビングの一番いい席を陣取ったある親戚のオッサンは、娘を亡くした母親や妹を亡くした姉に対して、当然のように、「ビールもう1本!」「氷ないよ!」などと怒涛の命令を次々と下したのだった。(中略)
 声のデカいオッサンを、誰一人、とがめたりはしなかった。娘が、妹が死んだとしても「女」は親戚の男性のために忙しく立ち働き、酒を注ぎ、料理を運ぶなどするのが当たり前なのだ……。親戚のオッサンは、悪気なく、本気でそう思っていたのだろう。そしてこの国に住む少なくない数の男性、そして女性までもがそのことに疑いを抱いていない。いや、抱いたとしても、早々に諦めてしまうのかもしれない。そのほうが、楽だから。(p71)

ここまでひどい事例は極端な例かもしれないが、少なくとも、私は、同じような「冠婚葬祭で女だけが働かされているシーン」を何度も経験しているので、その雰囲気はよくわかる。

そして、そうやって差別されてきた女子たちのサバイバル術や、「呪い」と戦ってきた女性たちの壮絶な人生についても、たくさんの例を紹介する。

最後に、「呪い」を解く方法について、知恵を授けてくれる。そのうち、以下の箇所が特に心に残った。

 世界中で声を上げる女子がいることはわかったが、声を上げられる女子ばかりではないことも知っている。声を上げられる場合とそうでない場合があることもよくわかる。
「ここ声を上げていいとこなの?」「勘違い女って思われない?」と迷うときだってあるだろう。
 そんな時に思い出してほしいのは、(中略)「性別を入れ替えてみる」ということだ。(中略)
 例えば「女なんだから〇〇できて当然だよね」なんて言い分に、「男だから〇〇できて当然って言われたら、どう思います?」とさらりと返してみる、といったことだ。
 そのとき、非対称性が明らかになる。
 それはきっと、多くの人に新鮮な「気づき」を与えるだろう。(p221)

この点、先述の『40歳を過ぎたら~』にも、「性別を入れ替えてみて、非対称性を明らかにする」というのと同じアイデアが出てくる。同書についてレビューしたこちらの記事で引用した、ケイト・ブランシェット先輩の言葉である。さらに、同書では、「メルケル首相や、取引先の女社長にも同じことを言うか?」という基準を示してくれている。この、「性別入れ替え」「メルケル・取引先女社長」という基準は、自分が言われていることが、おかしいのか、おかしくないのかを判断する物差しとなるし、相手に気づきを与えるきっかけになると思う。

本書の話に戻ると、本書は、とてもわかりやすく、ロジカルに、たくさんの<「女子」という呪い>を言語化してくれている。この本を読んで、よくぞ言ってくれた、と、膝を打つ女性も多いのではないだろうか。

私も、過去に、いくつかの記事で書いてきたが、<「女子」という呪い>に悩んだ半世紀を送ってきたなあと、改めて思う。私が言われて嫌だった言葉で、性別を入れ替えると非対称である男女差別用語が、あれも、これもと思い出されてきた。今思い出せるかぎりでも、以下のようなものが思いつく。

以下、サザヱの受けてきた「呪い」の言葉集。

●「サザヱが男だったらよかったのに」(子供のころ、母より。特に、良い成績を取ったときの反応。)
●「女だてらに大学に行かなくてもよい。近所の短大に行って、専業主婦になればよい。」(高校生の私が進路を相談したときの父母の言葉。)
●「サザヱちゃんは、女だてらに、県外の大学を目指しているんだって。」(実家の近所の人々の噂話が耳に入った。)
●「きょうだいのなかで、サザヱ妹が、一番幸せだ。」(実母が私に言った言葉。このとき、妹は専業主婦で子供に恵まれていたが、私は仕事をしていて子供がいないから。)
●「(実母が夫に対して)サザヱが外で働いていて、(夫の)面倒を見てあげなくて、ごめんなさいね」
●「(義母が、台所を手伝おうとしてくれた親戚に対して)台所はサザヱさんがやるから、あなたたちはくつろいでいて。」「台所は女に任せて。」
●「(アメリカ留学時に日本からの留学生クラスメイトたちから)一人で留学させてもらえるなんて、旦那さんがよく許してくれたね

男性の皆さんにも、この違和感を分かっていただけるだろうか…。

本書の話に戻ると、本書は、多くの女性に読んでいただきたいのはもちろんだが、女性だけではなく、男性にもぜひ読んでほしい。著者が男性に向けたメッセージとしては、以下の箇所が印象に残った。

 今、やっと女性たちが「相手は悪気なくやっていただろうけれど、自分は傷ついた」ことに関して声を上げ始めたのだ。そのような告発によって、自分がしていたことが暴力やハラスメントだと気づく男性が現れ、社会の空気は確実に変わっているのだ。
 だからこそ、男性たちも続いてほしいと切に思うのである。(p220)

ちなみに、アマゾンのブックレビューで、男性から以下のようなレビューがあった。こういう男性がいらっしゃることを、とても心強く感じ、まだ希望があると思った。

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この記事を書いている今、東京オリパラ大会組織委員会の森喜朗会長の差別発言が話題になって、世界中から非難を浴びている。今こそ、日本にいる男性も女性も、この「呪い」に気づいて、この社会を解毒していかなければならないと、強く思う。

『40歳を過ぎたら~』とあわせて、是非、読んでみてください!

※このトピックに関連する、私の過去の記事はこちら(↓)。


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