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文学部卒——この学部で学んだ社会で役立つスキル

ぼくの刀身は黒だった

ぼくの刀身は黒だった。

「刀身が黒」とは、『鬼滅の刃』に出てくる設定のことだ。
刀を手にすると刀身の色が変わるのだ。
作中で、「黒は出世しない色」だ。


ぼくは、文学部に入って1年目でこの事実に気がついた。
どうやら学問には、出世する刀身の色があるらしい。
もちろんこんなのヒソカくらいイイカゲンな占いなのだけど、
割と当たる、よく当たる。

文学部の周りにいる人種を見てみるとたしかにおっとりしている。
なんというか末っ子気質。あるいは、一人っ子気質?
もちろんこれは比喩である。
だから、文学部には長男もいるし長女もいる。

とにかく、経済学部とか経営学部とか法学部とかと比べると、
明らかに戦闘向きじゃないというか
明らかに戦争で役立たなそうなのが並んでいる。
※もちろん例外もいる。


そんな文学部に居心地のよさを覚えていたぼくだから、
自分が選択しているこの道の先に、出世コースはないのか。
ひいては、人文科学の学びはビジネスに役立たないのか。
とよく落胆していた。

※データでもある意味そうらしいです。

ぼくは、このエピソードを「刀身が黒」と喩えているので、ぜひ覚えてほしい。

だが、
それはすごく悔しい。
ぼくは「刀身が黒」でも、出世しない色と言われても、
それでも、文学部の学びを社会で活かしたい


だから、ぼくは作家という職業を志したのだ。


作家として成功するためには、まずはインプットとアウトプットが大切だ。
面白い物語を考える傍らで、より多くの人に読んでもらうための仕掛けつくりが必要だと考えている。
そのための装置として、このメディアを立ち上げた。
文章を磨く練習をしながら、さまざまな情報を吸収するには、メディアへの投稿が最適だ。
noteというステージでコンテンツを制作し続けることは、あまりにもぼくの将来に役立ち過ぎてしまう。
メディアを始めない手はない。

SEOライティングではそれができない。
セールスライティングの練習にもなるし、ライティング力もたしかに上がる。
これもひとつの極めたい道だ。
しかし、それでもWebライターという職業は、あまりにもターゲットや出口が定まりすぎているので、そこまで真剣になれなかった。


しかし、noteは少し違った。
自由闊達な意見が飛び交う言論空間だった。
しかも、初心者の投稿もけっこう面白い。
みんなが自分のモヤモヤを言語化している道場という感じがした。
カネにはならないかもしれないけど、自分の声を聴いてくれる誰かに声を届けたい、そんな想いに駆られたクリエイター同志が切磋琢磨している。
そんな印象だった。
まさに、ここは文学部だ


ここで好き勝手に日頃考えていることを発信しよう。
あわよくばそれでカネを稼いでやろう。


ぼくはそう考えた。
「刀身が黒」い(文学部卒の)ぼくでも稼げるということを証明したい。


文学部はオタク養成所

文学部の学びを社会で活かす。
これは、ぼくの人生の課題だ。

ぼくのイメージでは、文学部は自分の好きなことに夢中になれる学部である。
もちろん、文学部の中には、心理学科や教育学科、社会学科、外国語学科が併設されている大学もあるので、一概に誰もが「好きなことに夢中になっている」とは言いづらい。
特に国公立大学の文学部は、さまざまな学問がサラダボールのようにごちゃまぜになっている。
そのため、「これが文学部」とは一概に定義しづらい。
しかし、ぼくが言っている文学部生とは、実社会ではあまり役立たそうなことを卒論のテーマにしていることである。
ぼくが考える文学部生は、企業の就職面接で心ない面接官から「そんなこと研究してなんになるの?」と言われてしまうようなことを、我関せずと黙々と研究テーマに没頭しているような人のことを指す。

そして、こういう人のことをオタクという。
オタクはぼくら(1993年生まれ)が高校生の時代には、まだまだ侮蔑の言葉だった。
しかし、ぼくの同級生(1999年生まれ)移行の時代では、「好きなことがある人」という一種のリスペクトの言葉にリフレーミングされていた。
だから、オタクという言葉に侮蔑的なイメージを持っている人は、いったん後者の世代のもっている認識でオタクを捉えてみてほしい。


では、いいオタクとはどんな人だろうか。
いいオタクを定義するためには、悪いオタクを定義するとわかりやすくなるかもしれない。
悪いオタクは、情報量やコレクション数でマウントを取るようなオタクのことである。
人の好きな世界に理解を示さないくせに、自分の好きな世界は主張するようなオタクである。
あなたの身近でもそういう人の顔が何名かあがるのではないだろうか。
あるいは、あなた自身がそういう一面を持っているかもしれない。
※実は、ぼくにも心当たりが少しある。こういうイヤなオタクをついついやってしまうときがある。

これとは反対に、いいオタクは、他人の世界を否定したりしない。
人の世界を決して否定せず、「でも、ぼくはこれが好きなんだ」と言えるのがいいオタクなのである。
そして、いいオタクは初学者を導くのが本当に上手で、自分のこだわりは決して他人には押し付けず、自分の好きな世界観について魅力的に伝えることができる人のことだ

ぼくの同級生と後輩で、いいオタクとして文学部の学びの体現者が3人いる。

一人目は建築オタクだ。
アルネ・ヤコブセンやル・コルビュジエなどをはじめとする著名な建築家のつくった建築物や家具についてだったら永遠に喋り続けていられるようなオタクだ。
ぼくは、その彼のフィルターを通して語る建築や家具の世界の話が大好きだった。
気づけば、ぼくは彼の世界観に魅了されて、少し高級なイスを買ってみたくなったのだ。
それは、家具なんてニトリや無印良品でいいと思っていたぼくにとっては大きな変化だった。
そして、ぼくは今アーロンチェアに座って仕事をしている。


二人目はファッションオタクだ。
彼は、人に対しては、「○○さん、新しいそれ似合ってますね」と誰よりも早くそれに気がつき伝える。
ファッションは、誰もがなんとなくお金をかけてこだわりを出す楽しみ方のなので、自分がお金をかけたもの対して気づいてもらえるのはすごくうれしい。
さらに、「これかっこいいんだよね」と話しかけてみると嬉しそう話に耳を傾けてくれる。
それだけでなく、「それが好きならあれも好きそう」とプラスアルファの話までしてくれる。
彼は、自分のこだわりを決して人には押し付けないが、自分のこだわりは死んでも貫くという美学的な信念にも満ちている。


三人目は文学オタクだ。
小説や詞など、英米文学の世界を心の底から堪能している。
そして、宝塚などミュージカルや映画が好きな人物だ。
ぼくは彼女のフィルターを通して、その作品を知るのが好きで、
「それはどんな物語なの?」とよく質問していた。
彼女の言葉から紡がれる物語は、原作よりも面白く、いきいきと語られるエピソード展開には引き込まれるばかりだった。
そして、たまにぼくの趣味にドハマリすると、この作品のこんなところが面白かったよと定期的にLINEをついつい送りたくなってしまう存在なのだ。
感動を共有できると言うか、面白い作品のぼくとは違う着眼点を訊いてみたくなる存在なのだ。


文学が社会に出て役立つスキル


文学部には彼らのようなオタクが大勢いる。
そして、彼らが見ているのは、作品であるようで自分であり、そして他者である。
だから、彼らは他人に優しい。初学者を自分の世界観に優しく導くことができる。
これほど高貴で気高く美しい生き方をぼくは他に知らない。


社会とは、未知との連続だ。
自分の好きな価値観もあれば、自分の受け入れられない価値観もある。
そんな違和感のある価値観に対して、頭ごなしに否定をしたり、攻撃的な態度をとるのではなく、
まずは否定も肯定もせず、彼らの言葉に耳を傾ける。
そして、その善悪や道徳は度外視して、一度受け入れる。
その後、自分に取り入れるかどうかは別問題として、未知なる言い分を受け止める。
この生き方がなぜ文学部の学びと結びつくのか。
それは、人は「好き」を通して世界を見つめているからである。
自分の好きなものを通じて世界と関わっているのだ。
その人の好きなものの好きになりかたを真似することは、その人の世界観の住人になるということである
ぼくは、彼らを通して、そういう作法を文学部では身につけたと思っている。









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