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日本でフォルケホイスコーレをつくる方法を真剣に考えてみた——VUCA時代の生存術

日本でフォルケホイスコーレのつくり方について真剣に考えてみた。


フォルケホイスコーレとは、北欧の教育制度の一部で、文字通りには「人々の高等教育」を意味します。これは成人教育の形態で、さまざまな年齢層の人々が新しい技能を学び、教育を続けるための機会を提供します。

フォルケホイスコーレは通常、学期制を取り、様々な主題や科目を扱います。これには一般的な教養教育、専門的なスキルや職業訓練、言語学習、芸術やクラフト、個人的な成長や開発などが含まれます。

この教育システムは、生涯学習を奨励し、コミュニティの絆を強化することを目的としています。また、教育の機会均等を促進し、個々の学生が自己啓発と自己表現のためのスキルを獲得できるようにすることも重視されています。

フォルケホイスコーレとは/ChatGPT4より


フォルケホイスコーレとは、高校卒業と大学の間のギャップイヤーのための学校というイメージだ。
それは、日本の塾とはまた少し異なる理念で運営されている。
日本の予備校の場合、効率的な勉強法や「試験に出るところ」を詰め込むような教育である。
ぼくがしたいのは、このような合理化を加速させるような装置ではなく、もっとのんびり楽しくぬくぬくと自分の人生と徹底的に向き合う環境の創出だ。
しかし、そんなのんびりな暮らしの中から、人生の本気になれるものを探すための環境だ。
人生で命を燃やせるようなもの探すための、自己分析だったり、反省することだったり、見つめ直す時間のことである。



実際にぼくが行ったことがあるわけではないが、「フォルケホイスコーレっぽいもの」への憧れは、ぼくの人生の中で喫緊で重要なテーマだった。

日本社会では、フォルケホイスコーレは運営できない。
なぜなら、「のんびり楽しくぬくぬくと自分の人生と徹底的に向き合う」ための期間は、文系大学の4年間と決まっていたからだ。


しかし、大学に入れなかった人はいったいいつ悩めばいいのだろうか?

もしくは、大学には入ったもののインターンやらサークルやらで色々忙しくて悩む暇がなかった人や、ある時急に人生の路頭に迷ってしまった人は、
いったいいつ悩めばいいのだろうか?


悩むことの重要性について、6年くらい考え続けてきたぼくにとっては、
どうしても悩む同志が集まって、
同じように悩み対話して、
葛藤を乗り越えていく環境が、どうしても必要な気がしてならない。
だから、ぼくはちょっと真剣に、『日本でフォルケホイスコーレをつくる方法について考えてみた』。

※実際にフォルケホイスコーレに行ったことがあるわけではないので、過剰な期待と過剰な美化が起こっています。実際に行ってみた方からしたら「現実はこんなに理想的じゃないよ・・」という意見も意見もあるかもしれません。
その際は、Twitter(@Sazakitoyomu)のDMなどで教えてください。
また、Google検索で「フォルケホイスコーレ 日本」などのキーワードから調べてこのページに辿り着いてくれた方には、本気でフォルケホイスコーレへ行くために情報をまとめていた経験があるため、何かプラスになるアドバイスができるかもしれないので、その際にはDMをご遠慮なくお送りください。


日本でフォルケホイスコーレが必要な理由

日本でフォルケホイスコーレ(的なもの)が必要な理由は、VUCA時代や人生100年時代と大きなつながりがある。

VUCA時代とは、極めて高度な変動性、不確実性、複雑性、曖昧性が特徴的な時代、つまり、変化が激しく、予測が困難な状況を指します。一般に、ビジネスや経済、社会全般に適用される概念で、グローバル化やデジタル化が進む現代社会を特徴づける用語として広く用いられています。
"VUCA"は、英語の4つの単語:Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったものです。

VUCA時代とは/Chat GPT

"人生100年時代"とは、平均寿命が100年に近づく現代社会の現象を指す言葉です。医療技術の進歩、健康な生活習慣の普及、公衆衛生の向上などにより、人々は以前よりも長く生きるようになっています。

人生100年時代とは/Chat GPT


こうした時代背景の中で、人生にはより一層、「暇と退屈」が増える。
それは、人生の中で、「自分は何のために生きるのか」と問いかける時間が増えることを指す。
なぜなら、VUCA時代と人生100年時代の相性が、最悪だからだ。


VUCA時代はこれまでの常識を覆すことが頻発する時代であるため、自分を見失いやすい時代である。その一方、人生100年時代は、個人の「暇と退屈」はどんどん増えていく時代だ。


「自分はこれで生きていくんだ」と命を燃やせるものが見つかった矢先に、それが職業として成り立たなくなってしまう可能性があるのだ。
たとえば、作家として生きていこうと決めた矢先にChatGPTが出現したら、もう作家として生活していくハードルはうんと高いものになってしまうだろう。
絵を書いたりイラストレーターを仕事に選んでもAIが絵を描いてくれるようになると、その仕事はなかなか成立しづらくなるだろう。


このように、VUCA時代とは、自分の人生の核が揺れる時代なのである。そんな時代が100年続く。

したがって、VUCA時代と人生100年時代の相性が最悪なのである。

そんな時代には、もっと抽象度の高い人生の核が必要なのではないだろうか。

「弁護士になりたい」「公認会計士になりたい」「外資の戦略コンサルに入りたい」
もちろん応援したい。でも、これらは具体的すぎる。

しかし、それらの職業に「命を燃やせる」と期待しない方がいいかもしれない、ということだ。

それらの職業を通して、何がしたいのかをもっとクリアで明確に抽象化することが、VUCA時代と人生100年時代に、ぼくたち現代人が取り組むべき最大の課題なのだ。


現代社会が私たちに突きつける課題はかなりの難問だ。
「クリアで明確に抽象化」への解答は困難を極めている。
この答えを出すためには、自分だけで考えを深めるだけでなく、メンターや友人との対話が不可欠だ。
対話を通じて、誰かに話して、誰かに受け取ってもらって初めてあなたの命の燃やせることは発火する。

そのため、今後の日本社会はますます、対話をできる場所が必要になってくるのではないかと考える。


日本でフォルケホイスコーレをつくるにはNPOが最適なのか


日本でフォルケホイスコーレを実行しようと思えば、NPO法人として立ち上がることが近道なのだろうか。
たとえば、はじめのうちは、ターゲットを不登校高校生に絞って、彼らの社会復帰の支援のための運営をしていく。
「東横キッズ」にとってのアナザーな逃げ道を用意する活動だ。
リスカやドラッグ以外の方法で、人生を楽しむための環境を創出して、
彼らに人生を向き合う場を提供する。

要するに、彼らに居場所をつくるような取り組みだが、
ここには多くの先駆者がいる。
おそらく、ぼくなんかがNPOを立ち上げてもやることがないほど、すでに大きな先駆者が何人もいるだろう。
この先駆者たちと合流して、オモシロイ企みを成功させるというのは楽しいかもしれない。

しかし、しっかり利益を取るビジネスのようなモデルでも実現するのではないかとも思う。

そこでぼくが期待しているのが、総合型選抜(AO入試)の専門塾だ。


日本をデンマークにするには、AO入試が必要なのか

日本でフォルケホイスコーレを建てるためには、AO入試の専門塾はけっこういい線行っているように思える。

「高校と大学の間の期間に」
「人生で心の底からやりたいことを発掘する」

これらを引き出すには、対話が必要だ。
対話がなければ、自分のやりたいことなんて引き出せるわけがない。
そして、対話の積み重ねがなければ、志望理由書も面接も合格するわけがない。

そのため、対話自体が合格の最短ルートになるAO入試にはかなり期待している部分がある。

しかし、AO入試もネームバリューのある大学に受かることが目的になったり、楽して合格を狙う人が増えると破綻する可能性がある。


本気になって火がつくのが目的のはずが、
お金が目的化してしまうと、中身がスカスカになってしまう。対話を目的にするはずが、小手先の受験テクニック的に攻略法を教える塾になってしまう可能性だってある。


そうなってしまうと、悩んでる人に本当に必要な教育が届かなくなってしまう可能性があるのだ。

たとえば、せっかく悩む時間なのに講師に勝手に志望校を決められてしまったり、説得させられてしまったり。
そんな「誰かの人生」になってしまう危険性について想像力を働かせて、一定の距離感をもって導ける講師でないとならない。

そのため、日本でフォルケホイスコーレをつくるためには、AO入試の専門塾では少し心許ないのである。


人生の止まり木をつくりたい


NPOとして、居場所をつくりながら対話を通して大学の合格を支援するような団体はつくれないものだろうか。
現時点のぼくはここに着地したのだ。

※このnoteには定期的なブラッシュアップが必要である。
情報がアップデートされればその都度更新して、自分の理解をクリアにするためにも。


ただ、本記事ではこうした活動を実際に起こして、将来みんなが気軽に悩める社会を実現したいと考えているのだ。


最初は、不登校高校生だけにターゲットを絞るかもしれないが、次第に、ドロップアウトした社会人や定年退職をした高齢者。犯罪歴があってなかなか社会復帰できない人。疲れちゃった人。

それぞれのオリジナルなマイノリティを尊重しあい、
対話を通して社会に戻っていけるような止まり木のようなコミュニティにしていきたい。

このビジョンに協力してくれる仲間求む。



いつでも、Twitter(@Sazakitoyomu)のDMお待ちしてます。
佐々木。









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