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令和版ゲーム脳——人生がゲームになってしまった人たち

人生はゲームじゃない。
そんなことは分かりきっている。
しかし、人生にはゲームみたいなところがある。
そう言われると否定できないような。


子どもの頃。
親からゲームは1日30分と怒られたものだった。
1993年生まれのぼくが子どもの時代は、「ゲーム脳」って言葉が、支配的で教育感度の高い親はこの言葉をありがたがって引用した。


ゲームはやり過ぎるとバカになる。
今となっては、「ゲーム脳」は一部の脳科学者の見切り発車と引くに引けないプライドでしかなかったわけである。


ゲームは脳に悪くはないどころか、
ゲームをすることによってしか発達しない能力があるという。
なんにせよ、
新しいものは、なんらかの洗礼を受ける。


ギリシャ時代には、読書という行為でさえ批判の対象だったという。
今、読書が危険だと言う識者はさすがに聞いたことがないが、ゲームに関しても10年後、20年後の未来にはどんどんゲームを危険視する人も減っていくことだろう。
香川県のゲームを規制する条例のような、極端なもの淘汰されていくだろう。


ゲームはそれほど危険なものではなかったことはよくわかった。
しかし、それでもぼくはゲームによる弊害はあるんじゃないかと考えている。
そこで、ぼくはあえてもはや死語であるゲーム脳という言葉を引っ張り出して、令和におけるゲーム脳という問題に挑みたい。
それが、今回のテーマだ。
『令和版ゲーム脳——人生がゲームになってしまった人たち


人生がゲームになっているとは、どういうことだろうか。


それは人生には設計者がいて、
設計者が意図した枠組みの中での評価軸でしか自分を評価することができないことである。

規定からはみ出さず、規定の中で生き、規定の中で楽しみ、規定の中で上下を決めて、
規定の中でしか評価されない人のことである。

自分で決めた基準よりも社会の誰かが決めた基準を唯一絶対の基準として生きながら、そこが何かおかしいのに、それに気づかないフリをして必死にしがみつく人たちのことだ。

Twitterを見渡せば、そんな人であふれていないだろうか。
どこどこ大学よりも○○大学の方が上だの下だの。
クソどうでもいいことに白熱したり、それが社会人になったかと思えば、
どこどこの会社よりも○○の職業の方が上だの下だの。
そんな人たちのことである。

その世界ではプレイヤーにしかなれないのに、
プレイヤーとして評価される生き方しか知らないかわいそうな人たちのことである。


偏差値という競争の構造も学力にゲーム性を取り入れたことにより加速したという。
偏差値が実装した背景と学生運動の消沈には明らかな因果関係があるという趣旨の言説を読んだことがあるが、説得力があるように思えた。

このように、人の本能には競争心で燃えるというプログラムがインプットされているのだ。
それは『イカゲーム』のような蹴落とす世界のことだし、
『バトル・ロワイアル』のような一人しか生き残ることができない世界のことだ。
そして、両者に共通するのは、「運営者」というさらなる上の構造が用意されているということである。

その構造自体を否定せずに、何かがおかしいことに疑問すら持たない。盤上の戦いなのに、蹴落とし、勝ってマウントを取る。


要するに、なんらかの設計者が設計したルールの中を上手にプレイすることができるのが人生だと考えるようになった人が、人生がゲームになってしまった人たちであると思う。


——このnoteの読者は、そういうやつが大嫌いだろう?
というか、そういうやつはこんな文章読まないと思う(笑)


そして、Tik TokもnoteもYouTubeも伸びるコンテンツは、どれも攻略法的なものだ。
恋愛・ビジネス・仕事術・勉強法・ライフハック・発達障害のトリセツ・セックスまでの上手な持ち込み方・ファッション・コスメ・男を沼らせるハック・ダイエット方法・美容整形の医師レビュー
ありとあらゆるものに値段がつけられている。


こんなこともあんなことも
すべての欲望の攻略法がハックされているのだ。
この攻略法が出回る社会構造そのものも、もしかしたらゲームのもたらした弊害なのではないかと考えている。


実際に出回っている情報がすべて弊害だと片付けてしまうのは、あまりにももったいない。


実際に役立つ情報もあるし、ChatGPTの活用法などは、こうした媒体にアクセスした方が効率がいい。


しかし、なんでもかんでもコスパとか効率とか要領のよさだけが人生になってくると、


効率が悪くてコスパが悪くて、要領が悪いことは、すべて無駄になってしまうのではないだろうか。


人間は効率やコスパ以上に、無駄とわかっているけどけど、こだわりたいこととか、貫きたいこととか、時代に逆行してみたいこととか。


なんというか、そういう人から見たら、「コスパ悪いっすよww」と思われてしまうようなものに全力投球できる人の方がかっこいいというか。
そういうものがあるから人間なのではないだろうか。

こういう現象のことを全部ひっくるめて、ぼくは「ゲーム脳」と呼びたい。 

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