見出し画像

何事にも、ちょうどいい時間がある。

去年のクリスマス。
7歳の息子のために
キノピオのぬいぐるみをネットで注文した。

送料節約のためだろうか、
ぬいぐるみに合わないサイズのレターパックに
ぎゅうぎゅうに押し込められていた。

配達員さんから受け取った瞬間、
悲しい気持ちになった。

何事にも、ちょうどいい時間がある。

本来、どんなことにも、それなりに要する
「ちょうどいい時間」があり、
「ちょうどいい時間」から生まれる、
喜びや楽しさ、美しさ、クオリティというものを、
忙しさを理由に手離してしまってはいけないと
僕は思うんだ。絶対に。

『伝わるちから』松浦弥太郎p146より

最近では、時間管理をしたり、
時短や効率を求めて無駄な時間を減らすことを
よしとする風潮がある。

プレゼント選び1つとっても
今や何でもネット注文できる時代。

しかも、お店で買うより安いことも多い。
と、なると。

わざわざお店に出向いて、
プレゼントを選ぶのは「無駄な時間」と
捉える人もいるだろう。

でも、今回ネット注文で届いた
残念なプレゼントを見てハッキリとわかった。

プレゼントを買うためにお店に行く時間
プレゼントを手にとって選ぶ時間
プレゼントを包装してもらう時間
プレゼントを届けに行く時間

どうやら、私にはどれも大切な時間で
大切な人に想いを届けるために
ふさわしい時間なのだ。

「無駄な時間」と「価値のある時間」


「無駄な時間」と「価値のある時間」
その2つのモノサシで判断するのは
少し窮屈で寂しい。

大切な人に、会いにいく時間
手間をかけて料理を作る時間
ぐずる子どもの相手をする時間

無駄な時間を省いているつもりが
大切な時間まで省いることもある。

手間ひまかける楽しさや心地よさを
最近ようやく感じるようになってきた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?