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うつ病から双極性障害と認知症…60代の母の「老後」に直面した日|30代で向き合う親の介護と終活問題(1)

「介護」とか「認知症」なんていう話題と自分が関わることになるのは、まだもう少し先の未来の話だと思っていた30代のある日。突然、その波がやってきた。でもきっと、こういうことに突然直面しなければならなくなるのは、決して私だけが例外ではないと思う。

今回、記事として公開するにあたって、私の本業とは全く関連のないトピックであること、そして、自分の家族のこういう話を人様に公表することにものすごく悩んだ。YouTuberは自分のプライベートを切り売りするような仕事である部分もあるけれど、それでもこういう内容はさすがに悩む。

でも、表向きに見えていることだけでなく、生きているとみんなそれぞれいろんなことがあるわけで、それもこれもあっていまの私ができている。私は幸か不幸か自分がいろいろと経験を”させてもらった”ことから、自分と同じような経験で悔しい思いをされる方が出来るだけ少なければいいなと思っている。知っていて心算ができることで、受けるショックを減らせたり、ご本人やご家族の選択肢が増えるのであれば、絶対にその方がいい。

私と同じように手探りで情報を調べられている方の手がかりとして、また、「こういう人もいるんだよ」と、少しでも何らかの形で支えになれたら、私の経験がこの世界のどこかにいる、どなたかの、何かのお役に少しでも立てたらと思い、勇気を持って、敢えてこの記事を書くことにする。

※私個人が経験したことを書き残しております。記事の内容がいわゆる一般的なケースに沿った内容かどうか定かではない部分もあります。

※私自身は医療や福祉、行政サービスの専門分野の人間ではないので、具体的な方法や突っ込んだご質問にはお答えしかねますので、その旨、ご了承ください。

60代の両親は、ひとり暮らし

私は30代、両親はまだ60代半ば。両親は私が高校1年にあがった直後に離婚しているので、両親はそれぞれひとり暮らしである。割愛するが、我が家は過去にいろいろあって、あまり「家族」っぽい関係性や距離感を築いてこられなかった。なお、私はひとりっ子なので、兄弟姉妹はおらず、”過去にいろいろあった”ので、両親の親族はそれぞれ共に疎遠気味。特に父方の親族とは数十年前から疎遠で、唯一の繋がりは、私が帰国の度に祖父のお墓参りに行っているくらいである。

両親はまだ60代なので、「介護」や「終活」のような話題は私にとってまだまだ縁遠いと思っていた。けれど、母の昨年末の退院を機に台湾から一時帰国したこの半年の間、驚くほどに日々常に状況は変化し、遂にこのテーマが現実のものとなってしまった。

今回の記事ではまず、母のことについて触れていく。

母の様子の変化

私の母は、私が高校1年の頃から20年以上、うつ病を患っている。私を出産した後に産後うつを経験し、その時に入院していたことを知ったのはほんの数年前の話なのだけれど、私が高校生になってうつ病を発症するまでは、母は元気な人だった。

20年以上うつ病を患う中で、母は何度か入退院を繰り返してきた。離婚後には数年間パートに出ていたけれど、そこを辞めてからは数年おきに1回、うつ病による加療、膝の手術、脳動静脈奇形という珍しい病の検査などで入退院を繰り返し、実は今回も昨年秋頃からうつ病で入院しており、こういう時期であることもあり、昨年末の退院のタイミングで台湾在住であった私は退院後しばらく母のそばで様子を見つつ、その間は日本で活動をしながら半年ほど様子を見届けてから台湾へ戻るつもりで一時帰国をした。

退院直後は1ヶ月程、調子の良さそうな兆候が見られた。しかしその後、鬱状態再び。桜が咲き始めた頃にようやく「少し調子がよくなってきたのかしら?」と安心できたが、その安心はいま思えばほんの一瞬のことだった。

4月半ば頃からだろうか。母の性格も行動も急に活発的になり始めた。冬から春、梅雨にかけては、季節柄、毎年うつ病などを煩われている方の調子が大きく影響を受ける季節だということは随分前から認識していた。また、母はこの春からデイケアにも通い始めたので、当初は調子が良い自分が嬉しいからだろう、と受け止めていた。

しかし、当時何年も母のサポートをしてくださっていた訪問看護師さんも相談員さん(介護の業界では「ケアマネージャーさん」と呼ばれている立ち位置でいてくださる方)やヘルパーさん、そして私自身も、すぐに母の異変に気付き始めた。

これって「躁状態」?

母の病にはこれまで「うつ病」「反復性うつ病」「不安障害によるうつ病」などという診断名がついていたのは、過去の入院や転院の診断書にも書かれていたので、私もそれは知っている。

私の周りには「双極性障害(躁鬱病)」の人はいなかったし、母がこれまで躁状態になったことがなかったものの、それでもなんとなくこれを「躁状態」と言うのでは?と思う節が母の行動や言動に見られ始めた。

母は、日に日に調子が高くなっていった。一般的に言うと「テンションが高い」という表現がわかりやすいのかもしれない。自分から話すときの勢いがものすごい。LINEのやりとりもいつも長文で、情報量も多い。「半年間の通信講座でこの資格が取りたい」など、これまで聞いたことのないような突飛な内容も目立つようになった。また、お金の使い方も急激に荒くなり、冷蔵庫と冷凍庫は食材でパンパンで、野菜が入りきらないくらい。だからと言って、ブランドものを買って散財したりすることはなかったけれど、サプリメントの定期コースを2件申し込んでいたり(食品はクーリングオフ制度が使えないとのことで、お金戻って来ず。涙)、これまで土いじりに興味を持たなかった母が急に植木鉢を5つも買っていた。そして連日大掃除に励み、ありとあらゆるものを捨て、「え!?これ捨てすぎじゃない!?」と思うようなレベルで、まだまだ使えるものも含めて断捨離大会を始めた。

ここまで並べても、素人の私がこれらの症状から母の病名を判断することは極めて難しい。プロではないので、ハッキリとわかる訳がない。けれど、これはこれまでのうつ病ではないんじゃないかと感じた。

この状況をすぐに主治医に何度も話した。主治医には「躁ではないと思う」と判断され、その変化をキャッチしてもらえず、唯一、こちらがどうしたらいいかアドバイスがほしいと尋ねてもらった言葉は「見守ってあげてください」だけだった。

本格的にまずいなと感じたのは、本来、私が台湾へ帰国しようとしていた予定日の3日前。朝から何度電話しても、母は電話に出ない。直接母の家に行ってみると、ベランダから向かいの家の自転車置き場の屋根に自分の靴を全て並べて天日干ししていて、なぜだか部屋中が水浸し。その床を水溶性のトイレットペーパーで拭いているから部屋中が紙くずと水浸し状態。

私は「嫌な予感」しかなかった。

心は動揺しながらも平静を装い、部屋の片付けをひと通り済ませて母と夕食を食べた。その時、嫌な予感を確信へと変えるような一言を母が放つ。

「ここから羽田空港まで歩いて何分?」
※母の家は都内だが、徒歩で羽田まで到底行けない距離に住んでいる。

固まった。
でも母は真剣だ。冗談を言っているわけではなさそうである。
これは確実におかしい。
「ここで日本を離れるのは見送った方がいいのでは?」そう思った。


認知症?躁鬱?「思考の混乱」の現れ方

翌日の昼過ぎ。「嫌な予感」が続いていた私は、ヘルパーさんの訪問時間に母の家をアポ無しで訪れようと思った。嫌な胸騒ぎがしたからだ。こういう時の私の予感は、残念ながら相当な確率で当たってしまう。

到着すると、家の前で真っ青な顔をして電話をかけているヘルパーさんの姿が。目があった瞬間、ヘルパーさんが手招きして私を呼ぶ表情に、ただ事ではないなと察した。

「娘さん!お母さんが大変!」

半日前に整頓して後にした家の様子は見る影もなかった。タンスの引き出しが全て開けられ、服がそこら中に散乱。洗濯機には野菜やゴミ、洗剤のボトルと一緒に洗濯された服の形跡。テレビ画面には歯磨き粉が塗られ、よくよく見たら自身の耳に歯磨き粉を詰めている。母によると「気持ちが焦っていると片耳から『ピッピッ』と電子音が聞こえるし、耳が痛いから耳の中をキレイにしようと歯磨き粉を入れた。」らしい。また、ヘルパーさんが来た時には納豆を手づかみで食べていたそう。通販で買ってしまった栄養ドリンクはどうやら本日3本目。電気ポットにはオーツミルクやグラノーラが入れられ、開封していないお砂糖の包みがまるごと何袋も入れられていて、それを飲もうとしていたところをヘルパーさんが止めに入ってくれ、これはただ事ではないと事業所に連絡をしていたちょうどその頃に私が到着したらしい。

私もそんな母を見て、声をかけた。
「これは飲んだらダメでしょう・・・。」

母は私に不思議な笑みを浮かべて答えた。
「え?なんで?」

困惑した私は、母にそのまま返してしまった。
「え?なんで???」

目に入ったものを手に取っては、それを袋の中に詰めたり他の場所へ移したりと、思考と行動がまとまらない様子。全てやりかけだし、行動が意味不明すぎて訳がわからない。
「なんで?」と聞きたいのは私の方である。

まずい。とてつもないことが起こっている。
これまでこんな母の表情を見たことがない。
肉体は間違いなく母なのだけれど、まるで別人と話している感じ。
こちらの話していることが母に全く通じていないことがわかる。
何なんだ。よくわからないけれど、ただ事ではない。
そして、娘の私としては、この事実を受け止めるのがショックすぎた。

そこへたまたま訪問日だった看護師さんと、連絡を受けて慌てて駆けつけてくださった相談員さんも合流。緊急で主治医の先生に診てもらいましょう、と、すぐに病院へ電話して午後イチで予約を取った。

なお、その後、私が母の入院先の主治医から正式に現在の病名「双極性障害(躁鬱病)」と、それに加え「軽度の認知症だと思われる症状が見られる」ということを教えていただけたのは、母が入院してから半月後の面談のことである。

「入院先は自力で探す」はレアケースではないらしい

今回驚いたのは、入院施設のないクリニックに紹介状を書いてもらい入院先を探す際に、そのクリニックや病院が入院受け入れ先を探してくれるとは限らなかったこと。

母の通院先だったクリニックは「入院先の病院はご自身で探してください。うちが提携していたり、おすすめするような病院はありません。」と告げ、さらにこれまでの経緯や詳細がほぼ書かれていない、次の病院がこれまでの診療の経緯を追えないような程度の超簡素な紹介状を渡され、私たちは病院を出された。受付で交渉を粘ったけれど、話しても全く埒が明かなかったので、時間と労力の無駄だとすぐに自身で探す方向へと切り替えた。

後から聞くと、最近はこういうことはレアケースではないらしい。うつ病や統合失調症、双極性障害(躁鬱病)などでクリニックに通われていた方が入院加療が必要になった際に、通院先のクリニックや病院が入院先を探してくれるとは限らないそうだ。この時点で既にご本人やご家族はメンタル的に相当ハードモードであるはず(だから入院レベルなのに)。そんな中で「入院先を自分で探してね。」は何とも酷な話だと思った。「家族だって既に心折れそうなんですけど。」そんな心の声を口に出さないようにするのも至難の技。

精神疾患で緊急で医療機関を探さなければならないとき

もしご家族が我が家と同じような状況で、受け入れ先の病院探しでお困りの場合には、下記の窓口に問い合わせの上、尋ねてみるといいかもしれない。

予め断っておくと、残念ながら下記の窓口でも代わりに受け入れ先の病院を手配してくれるわけではない。但し、精神疾患で緊急で受診を受けなければならない、入院受け入れ先を探さなければならない、など今回のようなケースで、居住エリアを伝えると、その近郊の病院を探して電話番号を教えてくれる

自分でGoogleマップで病院を探して1軒ずつ当たるよりも、これらの機関が「入院施設のある精神科がある病院」の当たりをつけて教えてくれるので、効率よく病院探しができると思った。

◆平日日中の場合
全国の保健所
全国精神保健福祉センター

◆夜間や休日の場合

夜間休日精神科救急医療機関案内窓口

結局、この日は昨年入院していた病院での受け入れが難しく、自宅で私が付きっきりで母を看ることに。翌朝、上記の窓口で教えていただいた近郊の病院へ1軒ずつ電話。6軒目、最後に電話した精神科専門の病院で当日受け入れてもらえることが決まった。

6軒目に至るまでの返答として多かったのは
「診察予約を取って、外来診療を受診してもらわないと入院受け入れはできません。当日の診察予約も無理です。」
という返答。

家族としては「そんなこと言ってる場合じゃないレベルだから、とにかく入院させてもらわないと。」と言いたいところなのだけれど、世の中、そういうシステムのところが多いらしい。
ましてや昨今は特にコロナの流行で、あちこちいろいろと制限がある。

世知辛い。実に世知辛い。けれど、これが現実。
今回はたまたまコロナに翻弄される時期だったから「コロナだから病院側もいろいろ大変なんだ」と言い聞かせたけれど、もしかするとそういう問題でもなく、日頃からこれくらい受け入れ先って見つからないのかもしれない。
そんなことを心算しておくと、受けるであろうショックも少しは抑えられる。

ご家族にまずお伝えしたい「おつかれさま」

病気であるご本人はもちろん辛い、という話は大前提として、ここではご家族にフォーカスさせてほしい。

ご家族にお伝えしたいのは
「おつかれさまです。本当によく頑張っていらっしゃると思います。辛かったですよね。ちゃんと眠れていますか?ごはんも食べられていますか?病気を患っていらっしゃるご本人ももちろんお辛いでしょうし、大変だと思います。でも、どうかご家族であるあなた自身のことを後回しにしすぎないでください。ご自身の人生を大事に生きることの優先順位を下げすぎないでくださいね。
という言葉だ。

まず、本当に心から「おつかれさま」を伝えたい。元気であるときのその人を知っているだけに、ご家族はきっとその変化を目の当たりにされてすごく辛いと思う。それに「病気」だから、何を言われても、何をされても、病気の悪化に繋がる恐れがあるから、グッと飲み込んで本人に反論をしてはいけないし、刺激してはいけない。本人に代わってあちこちに「火消し」に回らないとならないこともあるかもしれない。他人が想像する以上にしんどいし、そこで自分自身のメンタルを持っていかれないようにガードしたり切り替えることにもパワーが要る。

ご家族も、どうかご自身を癒す術や気晴らしを上手にしてほしい。また、私がまさにそうであったように「抱えすぎないで」ほしい。また、周りの人や頼れるサービスは頼った方がいい。まだまだ過去形で言えるほど落ち着いてないけれど、今回、私自身が当事者として経験し、相当しんどかっただけに、しつこいけれどもう一度言いたい。

自分だけで抱え込みすぎないでほしい。

そのためにも、今後の記事で私が実際に頼った方々や情報、サービス、調べたことなども、日頃の活動と並行してシェアしていきたい。

(つづく)

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