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日本語の誘惑(フランス恋物語③)

忠告

「フランス語が上手くなりたければ、現地で日本人とつるむな。」

東京のフランス語スクールを卒業する時、フランス人講師が贈ったはなむけの言葉である。

そんな先生のありがたい忠告を、私は渡仏後1週間で守れなくなった。

ジュンイチ

「こんにちは。」

久しぶりに生で聞く日本語に、私も思わず「こんにちは。」と答えた。

語学学校の初めての授業が終わりみんなが帰ろうとする中、机でぼんやり座っている私の前にジュンイチくんはやってきた。

見上げると、星野源を幼くしたような顔が笑っている。

今風の若い男の子のファッションと、ニコニコ笑う無邪気な笑顔を私は好ましく思った。

私たちは改めて、名前や年齢やどんな仕事をしていたかなどを日本語で話し、「同胞」としての交流を開始した。


「ジュンイチくん27歳」の経歴はこうだ。

日本ではキュイジニエの卵で、その修行でフランスに来たという。

トゥールには半年前から住んでいるとのこと。

彼も私と同じ世田谷区に住んでいたことがあり、最寄り駅が隣という偶然に話は盛り上がった。

東京時代のフランス人講師の忠告が頭にちらついたが、29年間慣れ親しんだ日本語の誘惑には勝てなかった。

楽しすぎる散歩

その日、私たちは自然な流れで一緒に行動することになった。

デジカメを持ってきていた私は、色んな所で写真を撮ってほしいと彼に預けた。

校舎の中でも撮ってもらったし、散歩中に見つけた1月のクリスマスツリーや大きな教会、駅近くにある観覧車など、珍しい物を見つけては一緒に撮るようお願いした。

また、私が「ジャンヌ・ダルクが好き」だと言ったら、旧市街の中の赤色が目立つ建物を指差し、「ここは1429年にトゥールを訪れたジャンヌ・ダルクが鎧を作らせた場所なんだよ。」と教えてくれた。

数日前にも一度この街を散策したが、やはり誰かと話しながら散歩する方が絶対楽しい。

昨日までの私はとても孤独だったのだ。


歩き疲れた私たちは、ジュンイチくんの行きつけのカフェに入った。

フランスのカフェに入るのが初めてな私に、ジュンイチくんはドリンクの種類や注文の仕方を教えてくれた。

ジュンイチくんオススメの”café viennois”(カフェヴィエノワ=ウィンナーコーヒー)はとても美味しくて、それは私のお気に入りとなった。

おしゃべりは尽きなかったが、お互い晩御飯までには帰ろうということになり、ジュンイチくんは家まで送ってくれた。

初めのうちだけかもしれないけれど、その紳士っぽい対応はいいなと思った。

写真

その夜、撮ってもらったデジカメの写真を一枚ずつ眺めてみた。

カメラを預けている間、ジュンイチくんは私が頼んだ時以外にも色んな風景を写真に収めてくれていた。

その中の一枚に、私が校舎のオルガンを戯れに弾いているのをこっそり撮った写真があった。

その古ぼけたオルガンには椅子がついておらず、立ったまま鍵盤に向かう私の髪を、窓から差し込む冬の光が優しく照らしていた。

・・・ファインダー越しに、私はジュンイチくんの好意を感じた。

「いやいや、まさかね。」

私は即座に否定し、うぬぼれを恥じた。

でもその写真は、確かに綺麗に撮れていた。


翌朝目覚めると、私の頭にはジュンイチくんの笑顔が浮かんでいた。

まだ出会って一日しか経っていないのに、私は彼を意識し始めてしまっている。

・・・私のホームシックを治してくれた恩人だから?

・・・久しぶりに日本人の男の子に優しくされたから?

・・・あんな思わせぶりな写真を撮られたから?

でも、私はフランス人の恋人を作るためにわざわざ渡仏したんだし、ここでジュンイチくんを好きになってしまったら本末転倒だ。

これは恋じゃなくて、唯一の日本人の知り合いに依存しているだけに違いない。

私はこの現象を「同胞依存の法則」と命名し、決して恋ではないと自分に言い聞かせた。

多国籍なクラス

語学学校に通いだして1週間が経とうとしていた。

日が経つにつれクラス全体が見えてきて、だんだんみんなとも仲良くなっていた。

アラブ系のクラスメイトは初めはとっつきにくかったけど、話してみるとみんな陽気でいい人たちばかりだった。

女子大生だという韓国人の女の子2人組とも仲良くなり、ジュンイチくんと一緒に彼女たちがシェアするアパルトマンで韓国料理をご馳走してもらったこともある。

彼女たちと会う前、韓国の人々は反日のイメージで日本人は嫌われているんだと思っていたけど、彼女たちはとてもフレンドリーで、偏見で人を一括りに見ていた自分を恥じた。

日本にいたままだったら、こんなに多国籍の人と友達になることもなかっただろう。

グローバルな視野を広げるためにも、日本を出てフランスに来て良かったと思った。

担任の先生は面白くて優しいし、フランス語の授業も少しづつわかってきて、学校生活にもだいぶ慣れてきたようだ。

親密すぎる友人

ジュンイチくんとは日本人同士の気楽さで、放課後は毎日のように一緒に過ごすようになっていた。

彼のおかげでorangeのプリペイド携帯を手に入れることができたし、別の日は私のブーツを買うためにトゥール中の靴屋を一緒に回ってくれた。

次第に彼の態度から、親切を超えた好意のようなものを感じるようになっていた。

私はそれを嬉しく感じたが、ジュンイチくんのことを好きなのか、単に依存しているだけなのか分からないままだった。

そもそも私のフランス滞在計画の中に、日本人男性と付き合うという選択肢は入っていない。

しかし、彼と過ごす気ままな時間は、ぬるま湯のように心地良かった。


そのジュンイチくんとたまたま一緒に行動しなかった日、私はあるフランス人男性と出会うことになるのである・・・。


ーフランス恋物語④に続くー

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