恋をした母を見て、私は初めて母を知った
「ちょっとあそこのバー今日やってるらしいの。いかない?」
母から突然こんなことを言われた。母と出かけるのは特に珍しいことでもなかったけれど、その日だけは何か私に言いたいことがある気がした。
最寄駅から一つ道に入ったそのバーは、私が住む街の中ではおしゃれで、少し雰囲気の合わないような店だが、いつもカウンターには人が座っている。
そのバーの雰囲気が母も私も好きで、自分までオシャレになった気がした。
いつも決まって、母と座るのはカウンターではなく窓際のテーブル席。
何か言いたげな母の顔に気づかないふりをして、テーブルのキャンドルに手をかざしては「あ、本物だ。」なんて言ったりしていた。多分母は、何か言おうとしている。多分悪いことでもないけど、私が喜ぶような良いことでもない。昼間のカフェではなく、バーで話そうとすることも、なんだか心地悪かった。
お酒とレーズンバターが運ばれてきて、店のテレビには洋画が写っている。なんの洋画か分からないけど、季節外れのクリスマス映画だった気がする。
「お母さんね、お付き合いしたいって言ってくれる人がいるの」
なんだ、そんな話か。ここまで気を揉んだ私の時間を返して欲しい。
私が、かすかに頭に描いていた選択肢とまったく違う答えを言われたから、そんな風に思った。
今まで、母からそんな話をされたことは1度もなかった。
母は私が生まれた時から、仕事に生きる人だったし、母にご飯を作ってもらった記憶はない。授業参観も、もしかしたら来ているかもと何度も後ろを振り返っては、やっぱり来ていないとがっかりしていたし、母にそれを求めたこともなかった。
私の中の母の記憶は、一人の女性であったかもしれない。一般的な「母親」というものが私には良く分からなかった。母を怒らせたこともなかったし、怒られるほど母に深入りすることもなかった。私の場合、祖母が母親代わりだったから、それ相応の愛情に包まれていたが、私と母の関係性は、一人の女性同士であった気がする。
それは私が成長するほど顕著になった。私も一人の女性として、母だけでなく周りからもそう見られるようになったからかもしれない。
そんな風に考えていたはずなのに、今私は母親の女性の部分を見たら、しっかりと彼女は、私の母親であったことを確信させられた。
「フランスに住む日本人なんだけどね。」
そう言葉を続けながら母はその彼について話してくれた。
確かに私の家にバラの花束が届いたことがあったな、それについて母はなんて言い訳したんだっけ。
たくさんフランス語の本を買って来た時に「いくら去年行ったフランス旅行が素敵だったからって、言葉なんて覚えなくていいじゃん。」
母には言わなかったけど心の中で思ってたっけ。
ふとそんなことを思い出しながら話を聞いていた。
目の前の母は、嬉しそうな笑顔で彼について教えてくれる。
そんな笑顔を見ていたら、バラの花束もフランス語の本も、可愛いく感じた。
「幸せなんだろうな。」
心の底からそう思ったし、そんな母が羨ましかった。
私の中の母親はいつも綺麗な女性だった。
私の憧れの女性だった。
私にとって、彼女の中に母親を求めることは、彼女の人生において難しいことも理解していたし、子供ながらにそれはダメだと思っていた。
でも今、その母が一人の女性であったことを痛感させられると、私は彼女に母親を求めていることに気づかされる。
楽しそうに彼の話をする母を見ながら、その話の中に母親だと感じる要素を探していた。
「でもね、言ったことなかったけど、お付き合いするなら◯◯のことも同じように大切に考えてくれる人じゃなきゃ嫌だったの。それを話してダメになるならそれまでの縁って考えていたからね。」
母の幸せそうな話に気まずくなって、溶けた氷で薄くなった残りのお酒を飲もうとした時にそんなことを言われた。
「そうなの。」
私の精一杯の返答だった。男の人の影なんて一度も母から感じたことはなかったけれど、確かに30代の初めに離婚をして誰も好きになっていない方が不思議かもしれないと、その時ふと思った。
母が背負って来たものは、どれだけ重かったか分からないけれど、母なりに私を愛していてくれたじゃないか。その言葉を聞いた時にそんな風に思えた。
多分私は、心のどこかでいつも母親にとって私はどのような存在なのだろうかと考えていたし、母親の愚痴を言う同級生が羨ましかった。
母に母親像を求めることはできなかったけれど、もしあの友達のお母さんみたいだったら、思うこともあった。
そんな母を見て、まさか、私もこんな恋がしたいと思うなんて、想像もしなかったけれど。
「幸せそうだね、お母さん。」
私から出た言葉は、この感情を説明するに足りないようで十分であった。
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