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みじかいお話たち

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短編小説集。多ジャンル。主に即興小説で書いたものを収録。他に200字ノベルや詩もあります。
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#小説

雨巡りて(中)

雨巡りて(中)

雨巡りて(上)

「おばあちゃん、お客様がいらっしゃったわよ」

襖を開け祖母のいる和室へ入ると、お香の匂いが私たちを出迎えた。長い年月を経て部屋に染み付いたこの香りはどこか懐かしく嫌いじゃない。
祖母はいつものようにベッドにいた。
先ほど昼食を済ませたばかりだったので、ベッドの上部を少し上げて身を起こしたままにしていた。手元には薄紫のハンカチを握りしめている。
祖母の反応はいつもワンテンポ遅

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雨巡りて(上)

雨巡りて(上)

私の祖母は八十五歳。名は小夜子という。
二十八歳という当時では晩婚と言われた年齢で祖父と結婚し、母を産んだ。母も三十路で結婚し一人娘の私を産んだのだから、どうやら我が家の晩婚は遺伝なのだと言える。
世間では晩婚が遺伝なんてあるわけないと言われるだろうが、あえてそう考えさせてほしい。
私も、もう二十七歳。
結婚相手どころか交際相手もいない、しがない事務員なのだから。
気づけば祖母が結婚した年齢にもう

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ビー玉、落ちた

ビー玉、落ちた

砂利道にビーサンなんて履いてくるんじゃなかったと、ツヨシは足とサンダルの隙間に入り込んでくる小さな石ころに舌打ちした。
辺りでは溢れるほどの人、人、人。遠くから聞こえる笛と囃子太鼓の演奏。並ぶ提灯。今日は年に一度の夏祭りで、夏休み中の子どもたちや家族連れ、はしゃぐ若者たちでいっぱいだった。
ツヨシは笑う人たちの声をかき分けてずんずん進む。焦る気持ちを抑えつつ、冷静を装った。でも目の先に現れたその人

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灰色猫を召喚する方法

灰色猫を召喚する方法

「読書に欠かせないものといえば?」と聞かれれば、私は迷わずこう答える。「猫だ」と。
喉を潤す飲料でもなく、体を預けるソファでもなく、気分を落ち着かせる音楽でもない。
必要なのは小さな鼓動を響かせてくれる温もりと、気まぐれなちょっかい。それだけあればいい。

仕事へ行く前に、通り道の公園へ足を運ぶ。
そこは市立図書館と隣り合わせの少し大きめの公園で、私は天気のいい日には必ず寄るようにしていた。
片隅

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金の樹と若者

金の樹と若者

その村にはとても美しい樹がありました。
なぜ美しいかというと、その樹の葉は金でできていたからです。枯れることのない金の葉は、村人にとって宝でした。

ところがある日、村にやってきた若者が、その樹を見たとたん感動のあまりに、樹を根こそぎ掘り返してしまい、自分の家へ持ち帰ってしまったのです。村人は悲しみました。
若者はうばった樹を大きな鉢へ植えかえると、自分の家の中央に置きました。金の葉がきらきらと、

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ガラスの船

ガラスの船

船が一隻あります。ガラスでできた船です。
それを見ている男の人がいました。男の人は、今からこの船で旅に出るのです。旅へ出るなら、この船だと決めていたのです。
透明に透き通る船の底には、海がそのままに映し出され、きっと美しいにちがいない。男の人はそう思ったのです。
一流のガラス職人に船作りを依頼し作ってもらいました。三年もかけて作ってもらった、最高級のガラスの船です。
男の人はいざ、船に乗り込みまし

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まばたき一瞬

まばたき一瞬

旅人は今日も旅を続けています。
目的などない旅でしたから、自由気ままに過ごしていました。

よく晴れた日の午後歩いていると、大木の下で何やら耳をたれ下げため息をついているうさぎと出会いました。
うさぎは何だかとても寂しそうな様子です。

「君はなぜ、寂しそうなんだい」

旅人は聞きました。うさぎは、うう、とうなると言いました。

「なぜって、昨日ぼくは迷子になってしまってね。ひとりぼっちで歩いてい

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神の手を持つ画家とマヌケな化け物

神の手を持つ画家とマヌケな化け物

ある街に神の手を持つと言われる一人の画家がいました。
その画家が想いを込めて描かれた絵には魂が宿り、キャンパスから飛び出し動くことができたのです。

女の子が言いました。
「素敵な歌を歌うカナリアがほしいの」
画家が愛らしい瞳のカナリアをキャンパスに描くと、たちまちそこからカナリアは飛びたち歌を披露しました。
病気がちで寂しかった女の子は、喜びを溢れさせ礼を言いました。
「ありがとう、画家さん」

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さっちゃんの肌

さっちゃんの肌

暗闇の中で響く水が跳ねる音。
それがシャワーの音だと気づくのに、寝ぼけ眼の私には時間がかかった。当時まだ八歳だった私は夜の闇が苦手で仕方がなかったので、布団から這い出てすぐに部屋の電気をつけた。
人工の明かりが闇を追い払うと、目をごしごしこすった。時計を見ると短い針は二の数字を示している。
夜の二時。その数字に思わず、ほぅ、と息が漏れた。
今までこんな時間世界にいたことがなかった私は、ぼうっとして

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メモリーズ・シンドローム

メモリーズ・シンドローム

「やぁ、これは珍しい症例ですな」
先生はペラリと僕の診断結果の紙をめくると次にこう告げた。
「メモリーズ・シンドロームですね」
「は?」
「直訳すると思い出症候群、となります」
そして僕は二度目の、は?を出さざるを得なくなる。一体何なんだ、それは。

「最近事例が多くなりやっと認知され始めた症例なんですがね」
先生は脚本でもあるかのように、滔々と語り始めた。
「何かをきっかけに過去の思い出がフ

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愛情ポイント

愛情ポイント

「ねぇ、あそこ寄ってみようよ」
彼がそう言って指差した方向には、ショッピングモールによくある保険の相談所だった。開けたテラステーブルが並び、手前に受付がある。開放感溢れる清潔感のある空間は、昔のような保険に対する心理的ハードルを下げてくれるような印象がある。
「え、今?」
今日は二人の休みが揃う休日で、食品の買い物に来ているところだった。それ以外は確かに特に予定はなかったのだけれど、突拍子もない提

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乙女は花列車に夢を見る

乙女は花列車に夢を見る

ルーニンが住む街では、毎年秋になると大きな祭りが行われた。花祭りと呼ばれるそれは三日三晩続く大行事だ。秋の実りと収穫を祝うそのお祭りではコスモスがシンボルとなっており、あちこちに華やかで可愛らしい花弁が咲き乱れている。
今年で十二歳となるルーニンは、そんな花祭りが大好きな少女だった。
ルーニンは花祭りが始まる日の朝、誰よりも早く起床した。
「お母様おはよう! さあ、早くアップルパイを焼きましょう」

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空に溶け込む

空に溶け込む

土を蹴って、駆けるそのひとときがシリウスは好きだった。
走って、走って、走って風を受けて。でも視線だけはあの赤い円盤を捕らえて。
そしてここだというときに、己の身体能力全てを発揮し跳び上がるのだ。
そうすれば身体は空に溶け込む。
喜ぶあの人の声も遠くで聞こえる。
勇んで円盤をあの人へ持ち運べば、力強い腕でわしゃわしゃと掻かれる。そんなひとときが、シリウスは一等幸福であった。

いつからか、あの

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美しい腰

美しい腰

指先をそっと冷たいその板に添えると、向こうで醜い女がこちらを見た。
見るな、とこちらが睨みつけるとその女はさらに醜さを増した。
当たり前だ。あれは───私なのだから。

見るに耐えず視線を落とすと、テーブルの上に置いていた巻尺を手に取った。
血を吐くようなダイエットを二週間続けた。
食事制限、運動に筋力トレーニング、ヨガにエステ。試せるものは全て試したし、効果があると言われるものは全てやってみ

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