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愛情ポイント

「ねぇ、あそこ寄ってみようよ」
彼がそう言って指差した方向には、ショッピングモールによくある保険の相談所だった。開けたテラステーブルが並び、手前に受付がある。開放感溢れる清潔感のある空間は、昔のような保険に対する心理的ハードルを下げてくれるような印象がある。
「え、今?」
今日は二人の休みが揃う休日で、食品の買い物に来ているところだった。それ以外は確かに特に予定はなかったのだけれど、突拍子もない提案に私は目を丸くした。
「うん。だってそのうち入ろうって、話してたじゃん」
「まぁそうだけど」
互いの手に光るまだ新しい結婚指輪。
まだ新婚の余韻に浸っていた私は、保険という現実的手続きにあまり乗り気になれないでいた。
でも彼は意外にノリノリに、私の手を引っ張った。
「善は急げだよ。試しに話だけでも聞いてみようよ」
少し強引な彼に、こういうところが好きになったんだな、と思いながら私は小さく頷いた。

そうして互いを受取人として、私たちは生命保険と医療保険に入ることにした。
不思議なことにそうなることによって、夫婦のかたちがぐっと強くなったような気がしたから不思議だ。
これで何かあっても、相手への負担を和らげることができる。
それは愛情とはまた違う心情があるように感じたのだ。
死んでも相手に何かを残そうという誠意ある行為。ある意味結婚式での誓いなんかよりも現実的で効果的なものだ。
それから私は毎月引き落とされる通帳の保険料を目にするたび、ああ、愛されていると感じるようになった。引き落とされる額がそのまま彼から私への愛情ポイントのように溜まっていくように思えた。


トントントン、とリズム良く響く包丁の音。
料理の腕も大分上がってきた私は、すっかり新妻ではなくなっていた。今日も遅くなるであろう彼の帰宅時間に合わせて、お味噌汁のネギを刻む。
ふいにスマホの着信音が鳴り、彼からのメッセージが届いていることを確認する。
『もうすぐ着く』
マメに連絡をくれるところは新婚時代から変わらない。
私はふふ、と笑みをこぼすと『気をつけて帰ってきてね』と返信した。
さあ、この連絡が来たならあと十分ほどで彼は帰ってくる。
私はテーブルにお箸やラップのついた惣菜を並べ始めた。そしてキッチンに戻り、お味噌汁の仕上げにネギを投入。そして食器棚から、一つの小瓶を取り出した。
「さあこれが本当の最後の仕上げ」
パラパラと粉雪のように落ちるそれをお味噌汁に入れかき混ぜると、私は満足して頷いた。

ねぇ、私最近思ってるの。
あなたの愛情がちょっと薄れてきているんじゃないかって。
だって私ももうおばさん、若くないのよ。貴方は「愛してる」なんて簡単に言ってくれる性格じゃないし、言うことはもうないって覚悟しているの。
だから今まで溜めた愛情ポイント、ちょっと見たいなって思ってしまった。
それさえ見れば私、愛されているって幸福に思えると思うの。

玄関が開く音。
私は笑顔で帰宅した彼を出迎えた。

#小説

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