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天国へ持っていける物

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自分が死んだ時、ブランドの洋服やエリート旦那、自宅マンションを天国に持っていけないことを知り愕然とした。

「自分は何を持って旅立てばよいのだろう。」

物理的な物を天国に持っていくことは不可能だが、自分が家族へ注いだ愛情や、趣味に注いだ情熱だけは心に留めて持っていけることに気が付いた時、不運にも私の心は空っぽだった。

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恥ずかしながら、以前の私は「自分がどんな人物でありたいか」「どのような人物でありかたいか」という問いを自身に投げかけた際、「周囲から○○だと思われる人物でありたい」というように考えていた。

具体的には「周囲から信頼される人間」「慎重で真っ当な人生を歩む人間」などと評されることを望んでいたし、自分がどんな人間であるかどうかは、周囲の評価で全てが決まると思い込んでいたのだ。

周囲の目を通して、自分を客観視することに異常なまでにこだわっていた。

しかし24歳にして、バツイチのシングルマザーとして実家に出戻り、正式に離婚が成立するまで揉めに揉めて、家庭裁判所で離婚調停を申し立てるにまでに至った。

周囲の私へのイメージが、ガラリと変わってしまった瞬間だった。

評価と自分自身は異なる

しかし周囲の私へのイメージが変わったところで、私自身の内面が変わったことは何一つなかった。

人格が変わったわけでもなく、趣味嗜好に変化があったわけでもない。

周囲の評価=自分の人間性

というこれまでの自分の方程式はあっけなく崩れた。

自分は周囲にどう思われているのかを客観視することに拘っていた私だが、それは客観視ではなく私の妄想でしかなかった。

都度都度私がどんな人間であるかを、周囲に聞いて回ったわけではないのだから。

自分が周囲にどう思われているのかを正確に知ることはできない。

私がそれまでしていたのは、想像や妄想の類だったのだ。

周囲がどんな評価を私に下したとしても、私は私であり続ける。

「どんな人間になりたいか」「どのように生きたいか」これらの問いの答えに、第三者の視点は不必要で、自分がどう生きてきたのか、そしてこれから先自分がどう生きていきたいのかが全てだと感じた。

極端な話、周囲の人間に「あなたは泥棒みたいね!」なんて評価されたとしても、泥棒になる必要はないのだ。

自分が正直に生きているという自信があるのならば、これまで通り正直であり続けるだけだ。

エゴで固めた全身武装

離婚前の私は、年上エリートの夫と愛しい我が子と高級住宅街で暮らす平凡な主婦だった。そしてその状態に満足していると思い込んだ。

自分がどうあるかという問題は放り投げ、どう見られたいかという価値観で自身の身の回りを固めた結果だった。

無論、泥沼離婚をしているのだから夫婦仲は最悪な状態。

しかし自分がどう見られているのかという概念でしか生きられない私にとっては、当時はそれがベストな状態に思えたのだ。

結果的には離婚したこたことで、私の意識はガラリと変わった。

最初こそ、「周囲は私を哀れなシングルマザーと思っているに違いない。だから私は何も持っていない哀れな人間なのだ。」と思い込み、他者の評価は自分自身の人間性そのものだと断定づけた。

周囲の評価の通り、哀れな人間を"装うような素振り"さえあった。

言わずもがな、誰一人として私を哀れなシングルマザーだと口にした者はいない。完全なる被害妄想。

しかし時間が経過するにつれ、何も持っていない状態が心地良くなっていった。

エゴで固めた自分自身の評価を捨て、「自分であることが自分そのもの」だと気が付き、自分がどう生きていきたいかだけを純粋に考えられるようになった。

必死に固めていたエゴを失った瞬間こそ喪失感があったが、その後の意識は軽く、こんなにも生きやすいなんて思いもしなかった。

そう、自分はそもそも最初から何も持っていなかった。失うものなんてそもそもなかったのだ。何を失った気でいたのだろう。

失ったのはゴミ同然のエゴだけだ。

天国へ持っていける物

必要な物はいつだって心の中にある。家族への愛情と感謝の気持ち、趣味を愛する気持ちだけ。

洋服もブランド物も、エリートな旦那もマンションも、死んだらなくなるのだ。天国へ持っていくことは不可能なのだから。

せいぜい遺品として家族が喜んでくれる物があればラッキーだ。

天国に持っていけるものは、心の中にあるものだけ。

その心が充実していればそれで充分。

私はこれまで何も持つことがなかったし、そしてこれからも何も持つことができないのだ。



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