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なんのために逃げるのか

基本、つらくてどうしようもなくなったら、逃げるのがいいと思っている。なんて、いろんな物事から逃げに逃げてきた私が言っても、自己保身にしか聞こえないのだろうけど。

多くの人は私よりもずっと真面目でしっかりしているから、頑張り過ぎてしまう。体も心も疲れ果てているのに、それでもまだやるべきことをやろうとする。それが自分のやりたいことならば、他人には止められないのかもしれない。でも、それが自分の望まないことであれば。それで心身を壊し、本来の望みをも失ってしまうとしたら、悲し過ぎる。

だから、体か、心か、その両方が、悲鳴を上げていると気付いたならば、原因と思われる物事から一刻も早く逃げたほうがいい。逃げるなんて卑怯だ、なんて思わないでいい。誰かの物言いは時に無神経で無責任だ。自分のことをどうにかできるのは、最終的には自分だけなのだ。その自分の声を信じた方がいい。

もし、今まさにつらいと感じている人がいたら、この文章を読むのはここまでにして、早めに寝てほしい。以下は、特につらくはない人と、つらいんだけど続きが気になるという人に、目を通して貰えると嬉しい。


さてここからは応用。逃げに逃げ続けてきた私も、少しは落ち着いてきた。そして、どうしてここまで逃げてきたんだろう、と考えた。それは、本当に頑張るところを探すためだったのではないか、と思う。いじめられに行くような学校では頑張れやしない。失敗ばかりで何の役にも立てない会社でも。

もちろん、場所を変えたところで、簡単にうまくいくわけはない。場所が変わっても自分は急には変わらないのだから。それでまた失望して別の場所を探す、なんてことも私は繰り返してきた。でもどこに行ったって、自分が変わらないと、周囲は変わらないのだ。たくさんの逃げを重ねてやっと気付けた。

本当のことは大抵厳しい。それを受け入れるのはつらい。弱いから見ないふりをしてきたのだ。直視なんてできるだろうか。

すぐにはできない。だから私は逃げたのだと思う。自分の弱さを受け入れるために、心に余裕を作る必要があったのだと思う。余裕を作るために一番重要な要素は時間だろう。その他には人、場所、物、お金、など。言うまでもないが睡眠も大事だ。いろいろな物事に甘えさせてもらって、少しずつ余裕を蓄えてきたのだと思う。

万全とは言えないが、逃げだした時の自分と比べると、いくらか余裕を持てているのではないかと思う。そして、やりたいと思うことを持てている。そのために私は逃げてきたのだ、と言っていいのかはわからないが、頑張りたいと思えている。これまで甘えさせてもらってきた恩を、何らかの形で返せたらと思えている。

本当に頑張れるところならば、私は死にたいとは思わないだろう。つらいと思う何かから逃げるのは、生きるためなのだ。


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