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「千の風になって」って案外正しいのかもしれない。

「千の風になって」
って案外正しいのかもしれない。

これは僕が自分の祖父が亡くなったときに思ったことだ。


 不謹慎で生々しい話なのかもしれないが、火葬が終わって骨になった祖父を見たときに、僕が考えていたことを以下に記す。

人間は概念じゃなくて物質なんだな。
周りのモノと何ら変わらないんだな。
特別じゃないんだ。
平等に"原子の塊"なんだ。
少々複雑になってるだけだ。

でも、これって悲しいことか?
人間もモノと同じなのであれば、
さっきまでそこにいた実体は、
消えて無くなったわけでも、
天国に行ったわけでもなくて、
ただ燃焼されて別の物質へと姿を変えただけじゃないか?

人間は燃やされたら、
体内の炭素は二酸化炭素になる。
水分は水蒸気になる。
他の元素も酸化されて気体となる。
つまり、人間は火葬されると大気中へと飛んでいく。 
そして、それらは風が吹くことによって舞う。
これは「千の風になった」と表現しても
あながち間違いではないのではなかろうか?

失礼な話だが、この曲が流行った当時、
僕は「そんなわけねぇだろ」とバカにしていたな。

とある漫画に触発されて、人間は死んだら”無”だとも思っていた。

今になって、物質的に考えると
人間の成分は地球上を循環するわけだから、少なくとも"無"ではないよね。

もしかしたら、
自分の周りには元々は祖父の一部だった原子や物質が飛び回っているかもしれないね。


千の風になって / 秋川雅史(抜粋)

私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に、千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています

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