『人生すべてネタや!』〜壮絶な体験をも、栄養にして乗り越える呪文〜
この自粛生活の続く中、もしかしたら一人でもんもんとされている、アダルトチルドレン(AC)やADHDの方がいるのでは?
そう思い、先日、少人数のクローズドな「AC/ADHD オンライン茶話会」を開催しました。
「AC/ADHDオンライン茶話会」
ご参加いただいたのは、
「ACやADHDの方で、お悩みの方は気軽にお話しませんか?」
という私のFacebookの投稿に反応いただいたご友人の方々。
でも、実際お話をお聞きしたら
「実は今は悩んでなくて、最近は色々自分の扱い方がわかって、毎日楽しいんですよ」
とお話される方ばかりでした。
ありゃ、嬉しい誤算!
(よく考えたらなんで参加してくださったんだろう。笑 ありがとうございました)
結果、みなさんのお悩みをお聞きするはずが、私の方がたくさん「生きるのが楽になるヒント」とエネルギーをいただいてしまいました。
40を過ぎると楽になるのか
確かに、今回参加されたみなさんは、私も含めて40歳以上だったので、年齢的にたくさんの修羅場を乗り越え、達観や悟りの境地に辿り着かれたと言えるのかもしれません。
発達障害に関しても、私のように診断を実際に受けた方と自覚のありの方と両方いらっしゃいましたが、みなさん
「自分のできないことは他の人にやってもらって、その分自分の得意なところに注力してる」
と肩の力を抜かれていました。
それにしてもみなさんのお話は、本当にすごかった。希望しか感じませんでした。
私も40歳を過ぎたころ、色々な試みが突然結実して、霧が突然晴れたように自殺衝動が消えたのですが、
私だけじゃない、暗闇を脱出された方がこんなにたくさんいらっしゃる!と嬉しくなりました。
「いつか、この苦しみから楽になれる日が来るんだろうか」と絶望していた以前の自分に、「今は信じられないかもだけど、楽に生きられるようになる日がちゃんと来るから大丈夫だよ」とタイムマシンに乗って教えてあげたい。
「もう死んだ方が楽だよな」と考えられている方、本当に死んだらもったいないです。
凄まじい修羅場を乗り越えて、ピンピン現在を楽しまれている方がたくさんいます。
人生の戦場を生き延びてきた同志として
参加してくださったのは、私の知人だけれどお互いはほとんど初めましての、見事なほどバラバラの属性の男女5名の方。
共通しているのは、AC/ADHDになんらかの関係があるということだけ。
私はあくまでも”単なる一サバイバー”ですので、万が一のために、友人のソーシャルワーカーを長年されているメンタルのプロにも入ってもらいました。
始まってみると、最初は少し固い雰囲気だったものの、それぞれがご体験を話しはじめるとあっという間に心の壁が取っ払われて白熱し、当初は4、50分の予定だったのを、1時間半に延長。
最後は、「戦火をくぐり抜けた同志」のような不思議な連帯感も生まれて、「また話したいですね」「コロナが収束したらリアルに飲みましょう!」と伝えあって終了しました。
でもまさに、それぞれの人生の戦場を生き延びてきた者同士。
リアルで会っていたら「あんた、よくそんなところから生き延びたな!」と肩を叩き合って健闘を労いたいような爽やさがありました。
泥だらけの人生賛歌
そして、終わってから気がついたのは、しんみりした空気が一瞬たりとも流れなかったこと。むしろ涙が出るほどの大笑いばかりでした。
しかし、みなさんが話されたのは、揃いも揃って壮絶なご体験。
「普通のご家庭」で育たれた方には、間違いなくドン引かれるレベルです。
が、「お互いとんでもない経験をしてきているから、ここでは何を言っても引かれない」という大きな安心感もあり、
「こんなすごいこともあったけど、どやっ」「いやあ負けますわあ」という、どこか呑気な力自慢大会のような空気。
かといって不幸自慢ではまったくなく、そこにあったのは、
「人生色々あるけどさ、結局はまあなんか楽しいわな」
という、1周も2周も回って辿り着いた、生きていることがなんとも愛おしくなる、泥だらけの野性味溢れる骨太な人生賛歌でした。
心の耐久性をあげる、『痴人の愛』リアル版
中でも強烈なご体験を共有してくださったのは、
「キング・オブ・壮絶」の称号を授与したいほどの、現在もとてつもなくエキセントリックな家庭生活を送られている会社経営の方。
その現状をお聞きして、みんなで「大丈夫なんですか?早く逃げられた方が…」と心配するも、
「プライベートがこんな状態にあると、毎日が苦行みたいなもので、みなさんが辛い辛いとおっしゃられる会社経営とか、もう楽に思えちゃうんですよ。ははは」
「そして自分は圧力かけられてギリギリの状態に追い込まれないとパワーが出ないので、これでちょうどいいのです」
と、大変に涼しいお顔。
お話を聞けば聞くほど、もう達観としか言えない境地が窺い知れて、手の平で暴れる孫悟空を見下ろして微笑しているお釈迦様のように見えてきました。
たしかにその方の状況を情報としてだけ聞いたら、DV案件です。
でも、そこにはギリギリのバランスながら完璧に成立している、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を地でいくような、もはや常人の理解を超えた「究極の愛の形」がありました。
ちなみに、これまでAC関連の書籍で読んだり精神科医に言われた知識として、
「AC同士が結婚する確率は高く、お互い癒し合う関係性ならば良いが、共依存で破滅に向かうカップルも少なくない」
ということがあります。
私はもちろん、夫婦間のDVは絶対に撲滅するべきだと思っていますし、それに悩んでいる方がいたら「すぐに逃げろ!」と確実に言います。
でも、その方の関係は、一部を切り取ると共依存とも取れますが、そんなもので括れるレベルではありませんでした。
何よりその方は幸せそうでした。そして会社もうまくいっている。
こんな関係が実際に存在するのだということに、不謹慎ながら私は感動で震えていました。
「人生すべてネタや!」
しかし一つだけ私が不思議に思ったのは、そういう逃げ場のない理不尽な状況に置かれたときに、相手に殺意を抱いたり、もしくは自殺衝動のように自身に刃が向くことはなかったのか、ということ。
でもその方が言うには、
「そういえば昔から一度もないですね。自分は大阪人なので、何が起きても『また美味しいネタができたわー』と思っちゃうんです」
とのこと…!
以前下記の投稿で、「過去の体験を創造物として昇華していくこと」について書いたのですが、やっぱりそこにも繋がるのか、と得心しました。
そしてなによりも、その方が
「人生すべてネタや!」
と晴々と言い切られたときは、私の心の霧もすっきり晴れていくような最高の爽快感でした。
状況に飲み込まれないための「共感性の無さ」
そして、私も含め今回参加された皆さんに共通していた、興味深かったことは、良い意味での「共感性の低さ、無さ」でした。
人に、状況に、どっぷりと共感しない、できない。
「発達障害はKYだ」などという声も聞きますが、もしかしたらこれは発達障害の人に多くみられる傾向なのかもしれません。
実際、私も自分の中にいくつかの人格が存在していると感じていますが、
ある人格は「人の喜怒哀楽にとことん寄り添う慈悲深い聖母」である一方、別の人格は真逆の「心が動かされない合理的で冷徹なサイコパス」。
熱狂のシーンでも、頭がどこかで冷めている。どんなときでも、どこかからサイコパスの私がじっと冷静に観察しているのを感じています。
小さい頃に母から「子供なのに全く可愛げがない」とよく言われていたのですが、これもどうやら私だけではなかったようです。
とはいえ、人とうまくやっていくことが重要視されがちな社会生活では、「共感力が無いんです」とはなかなか表立って言いにくいもの。
でも、自分に降りかかってくる災難や理不尽な出来事を、「ネタ」として冷静に客観視するためにも、「共感力の無さ」は生き延びるために大事な能力。
これがあることで、俯瞰して判断し、状況に飲み込まれずに済むわけです。
もし「自分はなんて冷酷な人間なんだろう」と悩まれているのなら、人に馬鹿正直に打ち明ける必要なんて無いですし、どうぞ自分の中だけでその「共感力の無さ」をこっそり育んであげてくださいね。
機能不全家庭と発達障害
実はこのような茶話会は、2年ほど前に知人のお宅をお借りして、リアルに開催したことがありました。
そのときは私もADHDの診断を受けて間もなかったこともあり、「ADHD茶話会」として開催し、「こうするといいよ」「この薬が効いた、効かなかった」などという情報交換をしました。
今回は「ACとADHD」とざっくりひとまとめにしてしまったので、正直なところ「分けなくてよかったんだろうか」と始まるまでは不安でした。
でも、「機能不全家庭の多くに発達障害が関係している」と言われている通り、みなさんから出てくる話は両者が複雑に絡まって発生したものばかり。
でもだからこそ、それらの苦難を、自分なりの方法で乗り越えて笑い飛ばすみなさんの姿には、最高に眩しいものがありました。
そして、なによりも本当に楽しかった…!
こんな風に心から共感できるお仲間に出会えることができたのも、過去の辛いネタがあったからこそ。
生まれ変わったら絶対に穏やかな愛情に満ちた家庭に育ちたい、とか、こんな過去を体験しなくて済むのだったらどんなによかったか、と長年思ってきたのですが、初めて「経験してきて良かったな」と思えた瞬間でした。
「人生、すべてネタや!」
「おいしいおいしいネタや!!」
苦しい時には、この呪文、一緒に唱えていきましょう!
※「ネタ」にぴったりくる写真が見つからなかったので、最近はまっているipadで描いてみました。操作になれなくて難しいけど楽しい!これから時々自作の絵を使って行こうと思います。
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《お知らせー山口周さんとの対談が公開されましたー》
3月上旬に、アート仮装「KESHIN」を着用いただきながら対談させていただいた、山口 周さんとの記事が公開されました。
山口周さんといえば、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』や『ニュータイプの時代』などのベストセラーのご著者。
対談させていただけるなんて夢なんじゃないかと当日まで信じられない思いでしたが、
「前から知り合いの投稿で見て着てみたかったんだ!」
と鳩のKESHINを大変喜んでいただいて、ワイワイと本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。
(気に入っていただいて、対談中も鳩胸と羽を着用されたままお話されています。嬉しすぎる…!)
そしてこの対談で、私の活動を説明する肩書きとして、
「リベレイター(解放者)」
という言葉を教えていただきました。
「心の解放の先にある自由は、freedomではなくliberty」
と考えている私にとって、なんとしっくりくる言葉!
これから、造形作家の肩書きの前に「リベレイター」と書いて参ります。
下記の本を読んでいると、独創性が強過ぎてこれまで社会から弾かれ気味だった発達障害の人が、生きやすい、また才能を発揮しやすい世の中になるのではと感じます。
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