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◇17. 情報とどう向き合うかを教える学校図書館

学校図書館では、国語の授業の一環として図書館へ本を借りに来るクラスの選書を手伝うことや、休み時間に図書館へくる子どもたちとああでもないこうでもないと話す以外にも、わたし自身が一定の準備時間をもって関わっていた業務もあった。たとえば、教員・職員が授業やリカレント教育を受ける際に必要とする資料を図書館間相互貸借(ILL)制度を利用して準備する仕事、中学年向けのブックトーク、3年生と5年生向けの情報検索に関する授業を担当することなどだ。

まずは自分で本を探せるように

デンマークの国語科の学習指導要領には、低学年からインターネットを使って情報を探し出す力や、デジタルコミュニケーションへの記載がある。2年生を修了する頃には「年齢に応じて作成されたWebサイトから必要な情報を選び出せる」こと、「Webサイト上で情報がどのように整理されているかを判断できる」ことや「デジタルコミュニケーションにおいて、情報の発信者と受信者という概念を理解している」ことなどが求められている。

こうしたことから学校図書館での3年生向けの授業では、2年生までに到達されている事項の次のステップとして、

1.学校図書館検索システム(Web上にあり自宅からも見られる)の使い方
2.図書館内で実際に本がどのように配置されているか(簡単な分類を含む)、

について扱った。

授業時間は45分x2。一方通行な授業だと子どもたちの集中力がすぐ切れるので、図書館を歩き回って宝探し風にしてみたり、グループワークで取り組ませたり、早く課題ができた子には「ぼく/わたしが図書館司書」という設定で、実際に子ども自身がキーワードを使いながら図書館検索システム内で本を検索し、選び、本棚から持ってくる、またその本を選んだ理由を発表するといったインタラクティブな学びを取り入れた。検索システム上にある本に関する情報を取捨選択し、本を探し、選び、手に取ること、また実際に手に取った本が求めていたものと同等であるかを判断することなどを体験しながら、自分にとって必要な本(情報)、興味のある本(情報)を見つけられるようになるのがこの2時間の授業の到達目標だった。

情報ソースに批判的に向き合う

メディア(情報)リテラシーを育てる取り組みは日本でもあるが、デンマークの義務教育で特に重視されていると感じるのは、その中でも情報ソースに批判的に向き合うことを徹底させる姿勢だ。これは国語科の学習指導要領だけでなく、3年生から始まる歴史科の指導要領でもどの学年でも必ず触れられており、9年生の現代社会科でも扱われている。


4年生を終えるまでに、国語科の指導要領では「ある情報を得るためにみつけたWebサイトの関連性や適切さが判断できる」こと、「インターネットで検索する際、情報ソースを批判的に吟味することについて、いくつかその方法を理解している」ことが求められる。

そこで情報ソースに批判的に向き合う姿勢をさらにトレーニングするために、5年生の授業では、あるWebサイトの信ぴょう性を判断するために必要な事項(情報発信者はだれか、サイトの目的は何か、最終更新日はいつか、情報源についての記載はあるか、連絡先は記載されているかといった点)を確認し、その後、実際にいくつかのWebサイトについてグループで吟味させ、ディスカッションをするという形を取った。

この授業では、フェイク情報として司書の間では有名な「ユスク原子力発電所」というWebサイトや、情報源を明記していない動物についてのWebサイトを使っていた。どちらも信ぴょう性を判断するためにとても使い勝手がよく、他の学校、公共図書館でも授業時に利用しているらしい。

5年生にもなれば、デンマークに原子力発電所が存在しないことを既に知っているかなと思っていたが、案外知っている子は少なく、というかほとんどおらず、情報検索についても「ネット上にあるから」という理由だけで無批判に信じてしまう子も必ず一定数いた。その一方で、国語科を中心にデジタルメディアの信ぴょう性を判断する項目をすでに授業を通して学び、記憶している子たちが少しでもいるクラスでは「これ習った!」という感覚で、再確認の機会になったり、忘れていた子たちにとっても重要な学びになっていたように思う。またGoogle検索で上位に表示されるもののうち広告を見分ける方法などについてもディスカッションの中で話すこともあった。

「なぜ?」という問いに必ず答えが返ってくる

3年生、5年生それぞれの授業では、なぜその本や情報を選んだのか、Webサイトが信頼に値すると判断したのか、わたしから子どもたちへ問うことが多かったのだけれど、この「なぜ」に対し、必ず反応があったことが今振り返ってもとても印象深い。たとえそれが稚拙な理由であっても、自分で考えて導き出した答えであること、それを説明できることを、ここで育つ子どもたちは本当に小さな頃からたたき込まれているんだなと感じる。正解を当てにいくような回答をする子ももちろんいるが、自分が「こう考えた」ということを言葉にできることに毎回うなった。教える側としても、自分が唯一の正解を持っているのではないことが実感でき、また子どもたちとのこうした言葉のやりとりを通して、かれらとより人間的な関係性のなかで学びの時間が成り立っているようにも感じた。授業に不慣れで、終わった後はグッタリしていたものの、毎回とても多くのことを考えさせられ、刺激的な時間だった。

参考:Dansk Fælles Mål 2019 https://emu.dk/sites/default/files/2020-09/GSK_F%C3%A6llesM%C3%A5l_Dansk.pdf


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