沢田の初入院記

こんだけ平和に生きていそうな私ですら入院するときはするらしい。

前提として:沢田家は病院禁止

何度か私の記事を読んでくださっている方はおなじみかと思いますが,沢田家は病院禁止です。
弟はまだ規制がゆるいからいいのだが,私に対する規制はすごく強い(こちらの記事参照)。
なので,そもそも病院というものに縁がなく,社会人になってからも母の目を盗んでこっそり行っています。
そんな家庭で入院することになってしまってさあ大変,というお話。

何があった

ざっくり言うと,不当解雇されそうになって(詳しくはこちらの記事を参照)精神的に体調を崩しました。
病院の先生によれば,双極性障害が悪化したわけではなく,ショックで別な病気を発症したらしい。
病名的には「急性ストレス反応と言いたいところだけどそこまでのショックではないので急性心因反応ってぼかしておきますね」という感じらしい。

症状はこんな感じ

もともと軽症なので症状はほとんどありませんでしたが,目に見えて様子がおかしかったそうです(友人たち談)。

自覚症状
・毎日寒気がすごい
・腹痛がやばい
・眠れない
・出勤するだけで疲れてだるい
・食欲がない(休憩中も食事を摂らずに寝ていた。朝夕も食べられない)

友人たちから指摘されたこと
・電話中のノイズ?で泣き叫ぶ(怖いけど本当らしい)
・言動が明らかにヤバい

知らないうちにやってたっぽいこと
・すごい勢いで自傷(刃物)してる?
・大量に薬飲んでたり,逆に全く飲んでなかったり?
※このあたりは記憶がないので微妙です

普段はたしかにこんな感じではないので,気づいてくれた友人たちに感謝。
一番親しい友人がさっくり休みを取って,私は病院に連れて行かれ,入院しましょう,となりました。

入院までが超大変

普通のご家庭であれば入院となれば大変だけれどなんとかなるのでしょうが,病院禁止の家庭なのでたどり着くまでも一苦労。

保証人はどうする?

普通はご家族だとか,保護してくれている方だとかが保証人的な感じなのでしょうが,そこは沢田家,家族は頼りになりません
無理じゃん
ところがさすがは友人たち,「任意入院にできないの?」。
どうも沢田が聞いたのは措置入院の話だったらしいのですが,そちらは確かに親族の署名が必要らしい。
ただ,任意入院でもよければ親族以外の署名でも行けるらしい
持つべきものは友人だったのだ。
というわけで「やっぱり家族はどう考えても無理なので任意入院でお願いします」と病院にTELしたところ,事情が事情なのはどうしようもないので任意入院できる病院を探してもらうことになりました。

留守中の言い訳はどうする?

先生の見立てによれば,「私の病状であれば長くて1週間程度」とのこと。
1週間も家を留守にしたことなんて修学旅行ぐらいだぞ。
ここは,家族で唯一話が通じる弟が一役買ってくれました。
「1週間は騙せる」
というわけで両親を騙すのは弟に一任しました。
姉ちゃん騙せる自信ないもん。
そして,これも友人を頼って,友人と一緒にいることにしてもらいました。

入院って何が必要なん!?

これも普通はご家族の方であったり,保護してくれている方が荷物を持ってくる…なんてことができるのかもしれないが,私の場合は頼れるのは近くにいる友人や弟のみ。
友人たちはみんな仕事をしているし,そんなささいなことをホイホイ頼むようなことは悪いのでしたくない。
弟もバリバリ働いているので,荷物を持ってきて,というようなことは無理。
ということで,ここは入院経験のある友人たちが一つ一つ丁寧に教えてくれた。
マジで泣いた。
急な入院だったけれど,買い出しはこれまた別な友人が付き添ってくれた。

かくして,とりあえず1週間入院する準備はできたのでした。

入院するまでの流れ

入院前日:
紹介状を受け取る

そのままです。
紹介状を受け取って,明日の○時に✗✗病院に行ってくださいね,と言われた。

入院当日:
指定された時間に病院に行って,診察

当然といえば当然なのですが,紹介先の病院に行って診察を受けます。
これがものすごく長くて,ケースワーカーさんというなんともすごそうな方にお話を30分くらい聴いていただいたり。
私が経験したことのない診察でした。
設備の充実してる病院ってすごいなと思いました。
ただ,充実しているとは言っても,臨床心理士さんなんかはいらっしゃらないらしく,箱庭療法だとか,臨床心理学的なことはもっと大きな病院じゃないとできないみたいです。

さっくり病室に行って荷物整理,入院開始

手続きなんかはそんなにそんなに仰々しくなくて,さらっと終わり,病室に案内されて,入院開始。
聴いていたので何も驚きませんでしたが,病棟に持ち込んではいけないものを持ち込んでいないかなどの荷物チェックがあります。
それからは看護師さんがずっと付き添って入院中の生活の説明だとか,かなり丁寧な聞き取りをしてくれます。
意外と病棟が入り組んでいて,「一度で覚えきる必要はまったくないので,もし分からなくなったら何回でも聞いてもらって大丈夫です」って言ってもらえたのが助かりました(沢田は学校すら迷ってしまうほど方向音痴です)。

4人部屋でしたが結構個人のスペースが広くて,カーテンで仕切られていることもあってプライバシーもしっかり確保されていました。

退院当日:
さっくり事務手続きをして,退院

本当にさっくりでした。
友人が迎えに来てくれたので,友人の手を借りながら退院手続きをして,退院。

入院中に起きたこと

普通に友人ができた

まさかの普通に友人ができました。
隣のベッドの子はまさかのとうらぶが好きな子で,あっさり意気投合。
お向かいの子は三次元のヲタクさんで,初めて入院して不安だった私の世話をものすごく焼いてくれました。
私は夜眠れないくせに昼間はぐったりして寝込んでしまってそのままご飯を食べそこねる…となりかけることが何度かあったのですが,彼女が「ツバキさん!ご飯の時間!」と声をかけてくれたことで,何度も食べそこねを回避しました。
同室だった二人には,今でも感謝でいっぱいです。

他にも,名前は覚えられなかったのですが,いろいろな方が私のことを気にかけていてくれたらしく,退院が近づくにつれ「本当に退院するの?」「寂しくなるなあ」「もっと話したかった」などなど,本当にいろんな方にお世話になった一週間でした。
今でも思い出すとほっこりします。

あまりにも幸せすぎてずっと泣いている

今までこんなに恵まれた環境にいたことがなかったので,こんなに恵まれた環境にいていいのか怖くて怖くて,毎日のように泣いていました。
ただ,看護師さんから「泣いてしまいそうなときや感情がたかぶったとき(たかぶるってどういうときなのか分からなかったのですが)はナースステーションに来てください」と言われていたので,そのたびにナースステーションにお世話になっていました。
その他にもとにかく起きていて一人の間は泣くことが多くて,看護師さんには本当にお世話になりました。

貧血で倒れる

沢田は毎度採血で貧血を起こして倒れます。
ご多分に漏れず,今回も貧血を起こして10m先のお手洗いに行くまで,2回倒れて意識を失いました。
ナースコールなんていつ使うん,と思いましたが,絶対ここだったなと思いました。

ほっつき歩く

どうも父親から電話が入ったらしい。
それでどうしたらいいかわけが分からなくなった私はそのへんをふらふらほっつき歩いて,とりあえずナースステーションの前でぼーっとしていたらしい。
というところをお向かいさんが見つけてくれ,体を支えて話せる場所まで連れて行ってくれ,事情を聞いてくれ,「あんなふらふらした状態で歩いたら危ないからナースコールよ!」と教えてくれました。
あのときお向かいさんが見つけてくれなかったらどうなっていたんだろう…。

こんな軽症者が入院しても大丈夫だった

私は社会的に見れば,あくまで軽症者である(こちらの記事をお読みください)。
「さわちゃんこれ以上はもうあかん」
「正直,入院相当や」
と友人たちがいくら言ってくれたって,私が社会的に見て軽症者であることに変わりはない。
そんな人間が限りある病院のベッド一つなり,看護師さんたちのリソースを頂いてしまうわけである。
…だ…大丈夫なのか…?
こんなの許される行為なのか…?
と思ったが,どうも大丈夫だったらしい。
というか,家の事情があるから1週間で退院にしたものの,最低1ヶ月は入院しなければいけないほどの状態だったらしい。
「社会のいう軽症者」ってアテにならないんだなと思います。
でも,私は社会的軽症者からは抜け出せないのがとても悲しい。

支えてくれたたくさんの人たちに感謝

本来であれば,私は入院なんて出来ない境遇にあったはずです。
入院をするかしないかの判断もできない状態入院して退院に至るまで,本当に多くの友人たちに支えてもらって,今この記事を書いているときでも感謝の気持ちで胸が一杯になります。
入院中は誰も知り合いがいない…という心細い状態から,自分から「はじめまして,わたし,○○っていいます,よろしくね」と声をかけてくれたお隣さん,とにかく私のことを気にかけてくれたお向かいさんをはじめ,当時一緒の病棟にいた方々。
お忙しい中対応してくださった看護師のみなさん…
思い出しきれないほど,今回の入院はいろいろな人たちが支えてくれたからこそできた貴重な体験でした。
支えてくださったたくさんの方々に,この場をお借りして心からの感謝を申し上げます。

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