え?うちの親,毒親なん?

「どう考えても毒親やろ」
毒親ってすごいなんか,特殊というか,こんなありふれた家庭には縁のない方なのでは!?と思っていたら違った。
友人から毒親認定されたことを中心に,毒親ってこんな感じです,というのを書いてみました。
※というかそもそもうちがありふれた家庭じゃなかった(詳しいことを知りたい方はこちらで)ことが後々分かりました。

そもそも母親に嫌われてる

結局これが一番だと思う。
とにかく母親に嫌われてる。
私はとにかく出来が悪い。
弟は母に言われた通り,思ったとおりにいろいろなことをこなすことができる。
料理・掃除・洗濯,どれをとっても彼は完璧に母からの言いつけをこなしていた。

でも私はなぜかできない。
洗い物を仕分ける(油のついたものとそうでないもの,その他もろもろを母親が指定する場所に置かないといけないのだが,覚えられない)こともできないし,洗濯物を干す場所も覚えられなくてわけがわからなくなってしまい,途中で諦めて叱られてしまう。
料理は点でダメで,指定されたものを指定されたように作ることができない。
指定された材料をそのとおりに作るだけなのだが,それができない。

そんなことを繰り返していたら,いつの間にか母親にめっちゃ嫌われていて,弟とものすごい差別を受けながら育つことになってしまった。
ただ,弟だけは自立して生活できるように育ってくれた(私はできないが,炊事や洗濯・料理などが全てきちんとできる)ので,それだけが不幸中の幸いだと思っている。
よく弟を恨んでいないのか?と聞かれることがあるが,私は弟がしっかり育ってくれて嬉しく思っているし,頼もしく思っているし,友人から過度のブラコンと言われる程度には弟が大好きです。

病院禁止

まんまです。病院は禁止。
弟は小児てんかんがあったことから,病院に普通に行っていた。
でも私は禁止。
具合が悪い素振りをするだけで怒鳴りつけられてしまうくらいなので,具合が悪い素振りをよほどヘマをしない限り母親の前で見せたことはない。

ちなみに,私はときたま生理で貧血を起こすことがあって吐いてしまうのだが,見つかったときは怒鳴りつけられた。

社会人になるまで病院に行ったことがほぼないに等しかったので,保険証という存在を知ったのは社会人になってからだった。

ちなみに,それまで病院に行った記憶があるのは,
・突発性難聴(後に心因性難聴だと分かった)になったとき
※ただし,これは父親が学校から連絡を受けて連れて行かれた
・保険金請求(?)のために利用されたとき
の2回だけである。
突発性難聴のときは,いろいろあってほとんど記憶がない。
風が吹いていて音がするはずなのに,音がしないでそよそよ揺れる新緑の木々が綺麗な不思議な体験だったな,くらい。

保険金請求のときはすごく大変だった。
当時母は新車を購入したのだが,購入したての新車が追突されてしまったのである。
それに怒った母親が相手にお金を請求するために,同乗していた私を利用(とまではいかないが)したのである。
病院になんて行ったことがない私は「行って来い」と言われてもどうしたらいいか分からず,とりあえず友人に病院の行き方を教わって「追突されたので診て,診断書を書いてください」と言って診てもらって,診断書をもらってきた。
ただそれでも母親は納得がいかなかったようで,整骨院(?)かどこか(なんかマッサージのようなことをしてくれるところ)に毎週通わされた。
電気ショックみたいなのがすごく苦手だった。
あのあと納得がいく金額は得られたのだろうか?

私は一時期精神的に体調を崩していたようで,その間の記憶がない。
ただ,その間に日記をつけていたようで,日記によれば,保護司さんを頼って病院に行ったらしい。
だいぶ重篤な状態だったらしく,早めに治療を始めたほうがいいだとか,今日は保護者の人は来ているかとか聞かれたらしく,薬も処方されていたらしい。
ちなみに,行ってすぐ母親にバレたので,薬も飲んでいないし,それ以降は社会人になるまで病院に自分から行くことはなかった。
その結果いろいろと悪化してとんでもないことをしでかしていて,高校の頃の友人をすべて失った。

郵便物・荷物を開けられる

まんまです。
私たち姉弟宛の郵便物や荷物はすべて開封される。

財布の中身を確認される

まんまです。
財布の中身を見られます。
病院に行ったことがバレたのは,その日に財布の中身を見られて,診察券が見つかったからでした。

机の中身を確認される

さっきからこれしか言ってませんがそのまんまです。
机の中身を確認されます。
私が病院に黙って行ったとき,薬は机の中身を確認されたために見つかりました。

お金をすべて管理される

財布の中身を確認されるのと同じ感じかもしれませんが,所持金の行方は母が全権を握っています。
私はネットバンクやら何やらを使ってちょろまかしていますが,弟はかいくぐれていないので,家を出るまでは給料のすべてを管理されていました。
何度も助けようとはしましたが,なかなかうまく手を貸すことはできず,家を出るまでは管理されたままでした。ごめんよ。

突然どこかに行かされる

よく行かされるのは美容院。
すべては母親の機嫌次第ではあるが,突然「DD日のHH時に髪切りに行ってこい」と言われる。
従わないと色々と面倒なので従う。
友人がそれほど多くなくて,理解のある子が多いうえ,土日に予定が入りにくい人間で良かったと思う。
じゃなかったら従えずに大変な目に遭っていた気がする。
ちなみに今でも従います。

食事が独特

独特かどうかはわからないが,うまい表現を知らないので独特,としてみた。
以前,私は「食事が嫌い」ということを書いた(こちら)。
母親はとにかく気分屋というか,気まぐれなので,食事の量も一定ということはない。
基本的に自分の分は体調に合わせて調整しているのだが,私たち姉弟は同じ量を食べる。
ところが私たち姉弟はあまりにも体格差がありすぎる。
私は小柄(153cm)で細めだが,弟はインターハイ出場経験もあって,有名大学からスカウトが来るほどのスポーツマン(180cm超え)である。
かつ,最近知ったところによれば私は少食の部類に入る。
この姉弟が同じ量を食べられるはずなかろう。
ただ,食べないと具合が悪いとみなされて怒鳴りつけられてしまうので,私はとにかく食べた。
当然多すぎるので具合が悪くなって吐いたり,お腹を下したりということはしょっちゅうだったが,とにかく母親に見つからないようにした。

ちなみに,友人と食べてくると告げたあとでも母親が食事を準備している場合も食べる。
もう隠れて吐くのも慣れたもんだと思う。

朝ごはんが食べられなくて遅刻する

我が家には鉄則がある。
朝ごはんを食べずに家を出てはいけない,というものである。
母親が寝坊をして,食事をしたら遅刻するとなっても,それは遅刻を洗濯すべきなのである。
母親が寝坊した場合,自分でご飯をよそってインスタント味噌汁を作るくらいは私でもできるのだが,それは許されていない。
母親が寝坊した場合は,学校に遅刻の連絡を入れて,母親が起きるのを待って,朝ごはんを食べてから学校に行っていた。

ただ,食事については母親が食事を作ってくれるというのはありがたいことで,私は料理ができないので,その恩に報いるのが娘の当然の義務だとも思っている。

その他のエピソード

自動車学校に突然通えと怒鳴られた

自動車学校に通うタイミングはそれぞれだし,一生取らない人もいると思うけれど,弟は大学に通っているタイミングで母親から普通に声をかけられたようで,大学在学中に取っていた。
私は特に声をかけられなかったのと,特に自分が移動する上で困らなかったので取らなくていいのかな?と思いつつ社会人として生活していたときのことである。
突然母親に「自動車学校に通え。そのために父親から30万もらってこい」と言われた。
いや言われてない。怒鳴りつけられた。
母親は基本的に私があまり好きではないのでいつも怒鳴りつけるような口調なのだが,このときは思わず泣くほど怖かったのを覚えている。
私は父親に「母親から自動車学校に通うための30万をもらってこいと言われたからください」と泣きながら取りに行った。
ただ,私が泣いたままの顔を隠せなかったせいで,夫婦げんかに発展してしまった。
父親が母親に暴言を吐き捨てて出ていくと同時にひらひらと舞うお札。
その後「お前がうまくやらなかったから」と言われながらバシッと目の前に叩きつけられた30枚の1万円札の映像と音声は,今でもなかなかきついものがある。

この程度で毒親って言っていいの?

…いや本当に,いいの?
なんか他の人からみたらこの程度どこにでもあるって言われそうで怖い。
ただ,友人に理由を話すと100%毒親認定されるので,もし同じような状況の人がいたら多分毒親なんだと思います。
私は慣れもあって特に不自由を感じることは多くないのですが,もしこの記事を読んで「この程度だけど…」と思っても,あなたがつらさや不自由さ,苦しさを感じるようであれば,それは「つらいこと」です。
慣れてしまった頃には,きっと,あなたの心は疲れ切って,へとへとになってしまうと思います。
誰かにヘルプを出せるようであれば,慣れてしまう前に,誰でもいいのでヘルプを出してほしいな…と願っています。

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