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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(64)〝信じる〟子どもたちに救われる瘴奸を二つの角度から分析してみる…さらに「二牙白刃」の由来についても考察してみる

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?〔以下の本文は、2022年6月5日に某小
説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 瘴奸、いえ、平野将監でしたね。その結末は納得ができるものであったとしても、それでも死んでほしくはなかった。ーー読後の余韻が残ってやまない『逃げ上手の若君』第64話のラストシーン。
 このシリーズでも何度もとりあげた瘴奸ですが、登場するごとに魅力が増し、当時の文学や思想と照らし合わせても非常に興味深いキャラクターでした。
 今回は、その瘴奸について、ひとつは子どもたちとの関わりから、もうひとつは〝信じる〟というあり方から、分析してみたいと思います。

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 先日、単行本6巻も発売されましたが、そちらにも収録された第44話で、時行の一度も切られていない髪のことが語られていました。

当時の考えでは 一度も切られていない髪は「穢れなきもの」の象徴だった」「また 子供自体にも神聖な力が宿るとされており 髪を切った事が無い子供はまさに縁起物の塊である

 瘴奸は、最初に時行と戦った際には鬼心仏刀に敗れ、朦朧とする意識の中で時行を「仏様」だと思い、そのまま倒れます。そして、運よく小笠原貞宗に発見されから後、武士として生きることを心に誓い、人が変わったように地頭の役割を果たしてきたであろうことが、瘴奸を慕う一人の少女の登場でわかりました。
 第64話のラスト、「二牙白刃にがびゃくじん」に突き抜かれ、「心残りはなにひとつ」としながら、最後の最後に「…ああ… 死にたくない」と瘴奸が涙を浮かべたのは、「必ず生きて帰ってきてね」と言った少女を思ってでした。
 外道だった過去の生き様について、自ら「罪深い生」と認めることができたのも、この二人の子どもの存在によると考えます。まさに、時行と少女は「穢れなきもの」の持つ「神聖な力」によって、瘴奸を変えたのだと言えるでしょう。
 特に子どもに対して残虐な行いをくり返してきた瘴奸は、もしかしたら子どもの持つそうした力に恐れを抱いていたのかもしれません。ーーでは一体、子どもが大人と違って「穢れなき」「神聖な」存在であるのは、何によってなのでしょうか。

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 「そなたはいつも闇の中におられますなあ 追手の来ないどこか遠くに逃げられよ いずこかには光差す地もあるでござろう
 「嘘をつくな楠木殿 光などどこにも無いではないか

 これは、「鬼心仏刀」に敗れた第22話での瘴奸の回想シーンにおける、おそらく赤坂城が陥落した時の楠木正成との別れ際のやり取りです。
 一方、第63話では、瘴奸は楠木正成との最初の出会いを思い出しています。第22話で瘴奸が正成の軍に加わった時には、すでに悪事に手を染めていたことがわかります。ですが、正成には「平野将監しょうげん」の名を名乗っています。それを正成は「しょうかん」と読み間違えていました。瘴奸はその読み間違いに対して呆れた表情を見せています。これまで、そんな読み間違いをされたことはなかったのかもしれません。だとすると、「瘴奸」と名乗って、これまで以上の外道となったのは、この「大戦に誘われ一発逆転を狙ったが 負け戦で名を上げる事も叶わず」という経験が原因だった可能性は否定できません。
 さらに、瘴奸は正成の「いずこかには光差す地もあるでござろう」という言葉を「嘘」として否定しています。ところが、逃げてたどり着いた諏訪の地で、本当に「仏様」(=時行)が現れて「光」に包まれたことで初めて、正成の言を嘘でないと信じることができたのです。

 また、時行たちが京都で出会った正成を思い出してみてください。
 つまみ食いをして奥方に追いかけられ、汚部屋の住人で、時行にあげた書き物の字もぐっちゃぐちゃ、痛いところを指摘されればヘコヘコ攻撃……まるで子どもです。おそらく瘴奸に対しても、口からでまかせの気休めの言葉を正成は述べたのではなく、瘴奸の持つ闇に「光」の差す時があると本気で信じていたのだと私は思うのです。ーーここで、冒頭で示した〝信じる〟という二つ目のキーワードに至ります。

 「《《この技を》》信じて任せてくれる主君など普通はいない 優しさもお人好しもこの方に限っては必殺技だ!

 ネタバレになるので詳細は記しませんが、吹雪は「二牙白刃」のことを自らこう評しています。ーー信じ合う主君と郎党の間で成立する技だったのです。瘴奸がまさかの展開を予期できなかったのは、おそらく〝信じる〟ことが欠落していたからです。そして、〝信じる〟ことできる子どもたちの技に斃れたことで、瘴奸は救われもしているのです。

瘴奸の最期

 「俺の心を救ってくれた少年が 成長して俺を倒す なんと素晴らしい」 
 「罪深い生の最期に 武士を育て 武士として戦い 武士として死ねた

 そして、「死にたくない」と生への執着を見せる瘴奸。外道だった瘴奸は、生きる意味を見いだせない人生を生きる人であって、生けるしかばねだったのだと思います。
 その事実と、自らの生を愛おしむ自分がいることに気づかせてくれたのは、〝信じる〟力を持った正成であり、時行であり、吹雪だったのです。瘴奸を慕う少女もまた、「地頭様」が生きて帰って来ることを「約束だよ」と言って、疑うことなく〝信じて〟いるのがわかるから、瘴奸は「死にたくない」と言って涙したのです。

 「信といふは、まかすとよむなり。他のこころにまかする故に、人のことばかけり。

 これは、このシリーズでも何度か紹介した、鎌倉時代の僧・一遍の法語集に見られるものです。
 「仏様はね いないんだよ」と、あざけるように時行に教えるかつての瘴奸に欠けていたものは、同時代の僧・一遍が、やはり仏の存在を疑う人々に説いた〝信じる〟というあり方だったのです。子どもたちに非道なことを行い、正成を嘘つき呼ばわりした瘴奸が恐れたのは、子どもたちが疑うことなく他者と世界を〝信じる〟ことができる「穢れなき」「神聖さ」であり、そうした力が自分のうちにあるということもまた、信じられなかったのでしょう(それを求めたら、これまでしてきた自らの行いに苦しめられるのも必然ですし…)。
 仏教の教えでは、瘴奸は地獄に落ちます。それでも、彼の死を悲しむ人の存在を信じることができた彼は、気の遠くなるような時間の果てにであっても、救済があると信じてやまない読者の自分がいます。

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 最後になりますが、「二牙白刃」の名称の秀逸さにも、今回うならされました。
 またまた一遍になるのですが、一遍が最初の悟りは、信濃の善光寺にあった「二河白道にがびゃくどう」図によってもたらされたとされています。

二河白道
 中国,唐の善導の《観経疏》散善義に説かれているたとえ話で,群賊悪獣に追われる旅人の前によこたわる荒波の水の河と炎熱の火の河を人間の貪り(むさぼり)と怒りの煩悩に,その二河にはさまれて西にのびる幅のせまい一条の白道を極楽浄土への往生を願う清浄の信心にたとえたもの。いかに煩悩にまみれても,白道を進めば阿弥陀仏の西方浄土に至りうることを説く。
〔世界大百科事典〕

 今、一人の旅人が盗賊や恐ろしい獣たちに追われている。だが、目の前にはこれまた恐ろしい川が広がっている。荒れ狂う水と炎の川である。向こう岸には仏様がいらっしゃるが、そこに至るのに旅人は、川の上の白くて細い道を行かねばならないーーという図です。
 この絵は、盗賊も獣も水も炎からも逃げられる、大丈夫だと、疑うことなくただただ向こう岸の仏様を信じて、白い道をまっすぐに行けばよいのだ、という教えを説いています。
 吹雪は、主君と郎党が信じ合うことで成立するこの技を、「二河白道」の教えを踏まえて「二牙白刃」と名付けたのではないかと推測しました。いつもながら、松井先生の博識とセンスには驚かされますね!

〔大橋俊雄校注『一遍上人語録』および『一遍聖絵』(岩波文庫)を参照しています。〕


 いつも記事を読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。興味がございましたら、「逃げ若を撫でる会」においでください! 次回は6月7日(火)開催です。

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