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『となりのトトロ』論

映画『となりのトトロ』の一番重要なシーンは、冒頭のシーンである。

さて、そのシーンを覚えているだろうか?

物語は、皐月とメイとお父さんが田舎に引っ越してくるシーンから始まる。主人公たちの家族を乗せたトラックが、先を走る自転車を追い越すシーンだ。追い抜く時に、トラックと横並びになった自転車に向かって皐月とメイが手を振ってみせる。自転車を漕いでいたオジサンは、それに気づいて、姉妹に優しく手を振り返す。

実は、このシーンこそが名シーンなのだ。このワンシーンに本作の全てが詰め込まれている。

小学生の頃に遠足でバスに乗ったときの記憶を覚えていないだろうか。赤信号でバスが止まると、決まって誰かが道行くオバサンに手を振り出す。優しいおばさんが笑顔で応じてくれた光景を見て、周りの生徒もこぞって真似し始める。しだいに生徒たちの間で競争になってくる。信号で止まる度、我先にと早押しクイズのように歩行者を見つけては手を振りまくるのだ。時代が変わっても永遠に続くだろう、この一連の流れは「学校あるある」の代表格と言っていい。

が、大人になると、事情は違ってくる。窓越しのドラマはもう起きない。再放送はない。大人になっても、車の外にいる知らない人が手を振り返してくれるのは、タクシーの後部座席に乗り込みトークイベントなんかの会場にやってくる時の有名俳優くらいのものだ。入り待ちキャーキャー、本当にそれくらいしか例が無い。

子供の頃に出来たことが、大人になると出来なくなる。

まっくろくろすけやトトロは子供の時にだけ見える精霊だ。大人にはその姿が見えない。かつて子供だったおばあちゃんは、「私も昔は見えたわ」と語る。

子供の頃には見えていたはずのものが、大人になると見えなくなる。『となりのトトロ』は、それを見事に表現した映画であるが、本作を通して表現されるこのメッセージを、冒頭のワンシーンで何気なく提示したところに真の凄さがある。幕明け早々の暗喩が、この映画を名作たらしめているのだ。

私たちがもう一度あの頃に帰りたい時、オバケが見えた頃の自分に戻りたい時、きっと再び『となりのトトロ』を観るだろう。忘れかけていた思い出がポロポロと蘇る瞬間、それは、すてきな冒険に他ならない。

財布に挟んだ近所のレンタル屋の会員カードは、いつだって森へのパスポートなのだ。

西部湯瓜

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