虫でもいいからそばにいて

ゴキという二文字から始まる黒い虫ついて考えたい。考えたくもない、という方もいると思うが私はあえてここで考えてみたい。
(以下、彼らの呼称を仮に黒さんとする)
長らく忘れていた黒さんとのことを思い出したのは、昨日読んだ岸本佐知子さんのエッセイ集に黒さんとのひと夏戦いの記録が載っていたからだった。
やあ、と現れるだけで家中がひっくり返るような騒ぎを巻き起こす黒さん。
私はいつの間にか、目を細めて黒さんとの戦いを懐かしんでいた。
ブラックキャップという素晴らしい発明が我が家に導入されてからというもの、とんと黒さんと会う機会は減ってしまったから。

黒さんと初めて出会ったのはいつだったかわからないが、もっとも鮮明に覚えている最初の記憶は小学校低学年のころだったと思う。

深夜、ふと目が覚めて小用に立った私は、部屋と台所をつなぐ格子扉をそっと開けた。
開けてすぐ右に曲がって、何歩かいけばそこはもう便所である。
ペタシペタシと裸足を床の間に貼り付けるようにして歩いて、暗闇の中手探りで便所の電気をつける。

その時、私はなんだか、台所の方から、声がするなと思った。
ふふふ、ススス、というような、何かの声がするなと思った。

私はその声の邪魔をしないように、ゆっくりと、振り返った。
振り返る音がそれをかき消してしまうくらい、ささやかな声だったのだ。

だんだん慣れてきた眼をそっと凝らして、私はくらい台所の真ん中を見つめた。
そして、
一歩を踏み出した。
なんでアンタ行くねん!黙ってそこにいとき!あ〜あ〜言わんこっちゃない、おばちゃんいるって言うたで、なぁ、言うたやんか、なぁと鶴橋のおばちゃんにどや顔をされかねないお決まりのTHE ホラー映画のヒロインってなんで一人で音のする方へ行くんだろうかモーメントである。
しかしこの時の私には、なんだかそれ以外の選択肢はないような気がしたのだ。

黒さんたちは、そこにいた。

6、7匹の黒さんらが円陣を組んでそこにいた。
私には声もなかった。
黒さんと目があった。
そして、黒さんらはお互いの目を見合わせて「――行く?」的な申し合わせでもって、鮮やかに解散した。
黒さんたちはあっという間にそれぞれの寝床に帰っていき、私は丑三つ時の台所で一人きりになった。

私はまた、そろりそろりと布団に戻って、同じ布団に眠る大型の妹を押しのけて(ちょっとでもスペースができるとすぐに手足が伸びてくる)
ぎゅっぎゅっとかけ布団を半分より少し多く奪って、天井を見た。
いつもはじっと見ているとうねうね形を変える木目も、今日は眠っているようだった。
普段は、1匹くらい夜更かしの黒さんがそろそろっと天井を歩いていたりするのだけど、今日はいない。
この家で、今起きているのは私だけみたいだった。
うちの実家は2LDKのボロアパートで、そこに7人と何匹もすし詰めになって住んでいたので、こんな風に家であ、ひとりなんだなと感じるのは人生で初めてだった。
だれかれも目を閉じていて、私だけが眠れなかった。

それから――十年ほどたって私は、はじめての一人暮らしを始めた。
三重県の田舎町の、見渡せども見渡せども田んぼばかりの土地にドデンと建つ、社員寮の3階に住んだ。
高校を出てから、とにかく人口密度が高い実家から離れたい一心で出稼ぎに出たのだ。

なんとなくささくれた雰囲気のアミューズメント施設の中の、日本料理屋で働いた。
煮物の上にのっている 端のピンクの長細い野菜を、これなんだろうと呟いたら、
これはな、はじかみって言うんやで
と言ってくれたおばちゃんにすすめられて、初めてはじかみを噛んだ。

寮に帰って何にもない部屋から田んぼばかり見ていると、心の根っこからさびしかった。

ほのかに恋心をあたためていたキツネ顔の店長のことを考えたり、
銭湯でバタフライの練習をしたり、
コンビニまで30分ほど走って菓子パンを買い込んだり、
そういうことをして、なんやかんやこれでもか一日終わったぞオーイと家に帰っても、部屋はずっとずっと私がいたままの形で時が止まっていた。
布団は私が飛び起きた形で固まっており、食べた後の食器は微動だにせずそこにあった。
それは、ひゅっとからだの冷たくなるような光景だった。
アーーーーー
アーーーーーアややーー
と妙な歌を歌って見たりして、コロンとへやに転がった。
うす灰色の天井を見た。

そこに、黒さんはいた。

私の胸が、しみ豆腐みたいにジュンと鳴った音を聞いた。

天井の脇にそっと。
かさり、と少しだけ動いて、こちらを見た。

なつかしかった。

おーい、久しぶりだよー

黒さんはしばらくじっとしていて、
一緒になって私も転がったままじっとしたらいつの間にか眠ってしまった。

起きると、黒さんはいなくなっていた。

その朝も、朝の送迎バスに菓子パン抱えて飛び込んだ。
うす灰色の空気が澄んでいて、いつも田んぼの風景が湿って、水面が妙にきらきらしていてうれしかった。

わたしは別に、黒さんのことを好きとか、そういう風に思ったことはないけれど、
いつでもどこでもおんなじ姿で、そしてどこにでも現れる黒さんを、
私は折に触れてたくましく、そして懐かしく思った。
たまに会うとその変わらなさで私を驚かせ、その変わらなさで私をなぐさめてくれる黒さん。

都合のいい時だけいい顔して何さ、お前んちブラックキャップ置きまくってるくせによ、
そんなにいうなら止めろよなんて言われそうだ、それは確かにそうなんだな。
でも私は、初夏になると家中にブラックキャップを置きまくる家族を止めない。

わたしの黒さんに対する気持ちをどのようにして言い表せばよいのだろう。

晩夏に弱々しくキッチンの隅にいる黒さんを見るとかなしい。
それでも私はぎゃっと声をあげて、遠くから見ているだけである。

私たちは一生このまま、お互いに「ああ、いるな」と存在を確認しあうだけの関係で、それぞれの生をまっとうするのだろうか。
私たちの人(虫)生は、このまま交わることのない点と点のまま、ただすぐそばに存在しつづけているだけなんだろうか。

どうなのかな。
おーい、黒さん。

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