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Punk of meー私の音楽遍歴 44

この一連の、音楽について語るマガジンですが、タイトルを変えようか迷っています。「遍歴」って広く渡り歩くって意味じゃないですか。全然広くないもんね、私の音楽の趣味💦

今日はバンドTシャツの話でもしましょうかね。というのも今日、デッド・ケネディーズのTシャツ(ヘッダー画像のね)を着て近所に買い物に行って、はっと気が付いたんです。そういや今日は7月4日。アメリカの独立記念日じゃないかって。で、この辺りは地域柄アメリカの軍人が多くいるんですわ。

先日、何かの記事で「堂々と着るのが憚られるバンドTシャツ」というものを読んだんだけど、不謹慎な柄やヤバい単語が入ってるものは特にアレですな、って内容で。今日、デッケネのTシャツを着て歩くのもある意味ヤバいのかなって思った次第。私は持ってないけど、4thアルバムの『民主主義よ永眠なれ』(←なんて巧い邦題だろうか!)のジャケ柄Tシャツなんてもっとヤバいだろうけど。
※何度か書いてるようにデッケネの4thは私が生まれて初めて買った輸入盤のCDなんだよね。中3の頃、DOLLに載ってた店から通販した。文化祭の準備をサボって学校の近所の郵便局から現金書留を送ってね。当時デッケネは『暗殺』しか日本盤がなかったんだよ。

このデッケネTシャツ、名曲にして代表曲、Holiday In Cambodiaのものだけど、めちゃセンスいいよねぇ。お気に入りのバンドTシャツの1つだよ。

脱線しちゃうけど、Holiday Innっていうホテルチェーン知ってる?海外旅行をしてる人なら泊まったことあるって人もいるかな。私はボスニア・ヘルツェゴヴィナのサラエヴォに行った時に泊まったんだよね。

私は海外旅行するときはその土地ならではの特色あるホテルを選んでいた。画一的なホテルチェーンは絶対選ばなかったね。確かに機能的で世界中どこでも同じような造りだから安心って面はあるけど、つまらないじゃん。出張のビジネスマンとかならそういうところがいいと思うけどさ。あと、そういうタイプのホテルは街の中心部から離れてることが多いんだよね。欧州じゃ旧市街には高層ビルを建てちゃいけない条例、法律とかあるじゃん、景観を守るために。だから私のような旧市街大好き民にとってはそういうホテルはかえって不便だったりする。メトロや路面電車に何十分も乗らないと街の中心に行けないんだもん。タクシーを使って移動なんて優雅なことは出来ないしね、それにやっぱ旅行に行ったら公共交通機関使いたいし(貧乏人の負け惜しみじゃないよ💦現地の市井の人の暮らしを体感したいからじゃ!)。

で、サラエヴォ行った時Holiday Innを宿泊先に選んだ理由ってのがあってですね。ボスニア内戦の時にはジャーナリストの詰め所だったんだよ、あそこは。そして古くは共産圏初の冬季オリンピックが開催された街なので関係者が泊まってた。っていうかオリンピックのために造られたホテルなんだけどね。
こりゃもう、Holiday Innに泊まるしかないじゃんか。他にも色々候補はあったよ。安くて小規模だけどアットホームでボスニアの伝統的な内装&インテリアの雰囲気がいいホテルや少々お高いけどこれまたボスニアらしいホテルとか(けど洗練されてる)。Holiday Innはちなみに一泊98ユーロだった。その少々お高いホテルと同価格帯。

私はオリンピックという輝かしく街の人の誇りだった祭典と、内戦という激動の時代の象徴であるHoliday Innにどうしても泊まりたくてね。ちょっと旧市街から離れてるんだけども。

これがサラエヴォのホリデイインの外観。当時としては前衛的な建物だと思う、
っていうか当時らしいともいえる
五輪のマークが刻まれてる

もうね、すごかったわ。ホテルの前は通称「スナイパー通り」って呼ばれてて、内戦時にはこの通りにいる動くものはすべてセルビア兵の標的にされたからその名が付いてるんだけど。

スナイパー通り

街にはまだ地雷が埋まってる場所もあったな、私が訪れたのは内戦から10年以上経った2005年なんだけど。
私はそれなりに海外旅行をしてきたけど、日本人どころか東洋人らしき人を滞在中一切見かけなかったのは後にも先にもここサラエヴォだけだった。のみならず、(西洋人の)観光客らしい人の姿すらほぼいない。もうね、注目の的よ。「なんだこの一人でフラフラしてる東洋女は?」って顔されるわけ。
今は知らんけど、当時は(旧も含め)共産圏のアジア人がボスニアに職を求めて流入していてね。それを面白く思わないボスニア人(ボスニア人って呼び方が適切かは論じないこととする)のネオナチみたいな人たちがアジア人を襲うということもあったそうだ。「俺たちの仕事を奪うな!」ってね。
私もそりゃ、警戒したさぁ。彼らは日本人にはおおむね好意を抱いてたようなんだが(街には日本のODAが寄付した、日の丸とJAPANの文字が書いてある路線バスも走ってたし)、彼らから見たらどこ人だか区別がつかないわけじゃん。アジア人を見分けられるかって話。特に私はエキゾチックな風貌をしてるからさ(苦笑)。
案の定、カフェにふらっと入ったらいきなり「チャイナ!」って店員に叫ばれたよ。けど私は臆せず席について(ボスニア風)コーヒーを頼んだ。ボスニアコーヒーってのはトルコ風のコーヒーのことなんだが。小さいカップにドロドロしたコーヒーね。底に粉が溜まるような。めっちゃ濃いエスプレッソみたいな感じかな。ちなみに砂糖は後入れじゃなくてコーヒーを沸かす時に一緒に入れるんだよ(砂糖入れる?って注文時に訊かれる)。で、コーヒーと一緒に水(水道水だと思う)が付いてきて、コップの上にはスプーンが載ってるの(ウィーンの伝統的なカフェでもそうやって提供されることが多い)。
私はコーヒーが運ばれてきた時、自分宛ての絵ハガキを書いてたんだよね。
店員が絵ハガキを覗き込み、「JAPAN」と書いてあるのを見たっぽくて急に態度が変わって複雑な思いだったな。わたしゃ、名誉白人的な存在なのかよって。

自分宛てに送った絵ハガキの切手と消印!


サラエヴォってのは東西の交差点、真の意味でコスモポリタンな街なんだよ。色んな民族がいて、信じてる宗教もそれぞれで、色んな国の文化が雑じってて。

わ~、バンドTの話から思いっきりずれてる💦音楽の話を期待していた方、すみません。
けどね、今日デッケネのTシャツでサラエヴォのことを思い出しちゃったの。
たまにはいいかな、こんな話も。まぁ、いつも脱線してるけどね!