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タヒチの女 ー母の死についての覚書 18


母が、長い長い旅に出る。
タヒチへか、地獄行きかは私は知らない。

それぞれ持ち寄った品々を棺に入れた。伯母が持って来てくれたドレス、タヒチのガイドブックと写真集、カラーの花、母の好物の和菓子、ショートホープ......。
父が持参した、母に入院中着せる予定だったというパジャマも棺に入れた。
私と妹は、そんなものを......と思ったが父は
「おかあ、急に衣装持ちになったなぁ」とご機嫌だった。

儀式が終わってもわずかな参列者は何をするでもなくまだ葬儀社に残っていた。
私は伯母らと近況報告とも雑談ともつかないような話をしていた。ちらっと母が納められた棺の方を見ると、父と妹が母の顔を覗き込んでいた。二人の会話が聞こえてくる。

「里香、あんたは綺麗な顔に産んでもらってよかったじゃんか。おかあに感謝しなきゃな」
「そうだねぇ。里香、ブスって一度も言われたことないもん。お母さんありがと~」

私はこの父と、妹と血がつながっていることが苦しくてたまらなくなった。伯父は、本当にこの男の兄なのだろうか?
倒れそう、死にそう、消えたい、パラヒ、いや違う。「パラヒ」は残された人が去る人へ向けた挨拶だったっけ。去る人が残された人にするさよならの言葉もガイドブックに載っていたはず......必要ないと思っていたから覚えてなんかいなかった。まだ釘打ちされていない母の棺に駆け寄って、ガイドブックを取り出そうか......

「美穂ちゃん、お腹空いてない?疲れたでしょう」
「いえ、大丈夫です。伯母様たちこそお疲れではないですか?今日は母の
ために来てくださって......」
なんで私、伯母さんの子じゃないの.....? 何であんな奴の子なの......?
父をキッと睨みつけたがこちらには全く気付いていない。

吊りバンドの親父は母の棺のそばで何やら作業を始めながら、父と妹に話しかけていた。仏具にはどんな意味があるのかとか、聞かれてもいないのに一方的に喋っているといった様子だった。父はまるで興味なさげだったが、妹はあのーー子供の頃の、父が撮って額に入れて自慢気に飾っていた写真のあの表情、仕草を吊りバンドの親父に一瞬向けたのを私は見逃さなかった。肩をすぼませ、少し左に首を傾げて......。

私は耐えられなかった。母親が死んだというのに、普通の母子の今生の別れのようには涙を流せず、自分の血を呪うばかりだし、生前あれだけのことをして私を苦しめたのに幸せに死んだ母も、妻がじきに死ぬというのに愛人がいると公然にして、今は殊勝な顔して妻を亡くした夫のような振る舞いをする父も、こんなときにまで容姿の良さを鼻にかけ、吊りバンドの親父に色目を使う妹も、それを見ているだろうに黙って見ている妹婿も嫌でたまらなかったし、いつも私たち家族に優しくて穏やかに暮らしている伯父夫妻、そしてその誰にも嫉妬をしている自分が一番嫌で、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で、たまらなかった。

ずるいだろう、何故母は穏やかに死んだ?愛する人だけに看取られて?
私が同じことをしたら一度で友人も恋人も去ってしまうようなことを平気で何度もしておいて、どうして母からは誰も、家族の誰も去らなかった......?

私は今すぐ消えたかった。何故私ではなく母が逝くのか。これじゃまるで逃げ得じゃないか......。母のように安楽に、且つ愛して憎んだ人に看取られて死ねる幸せは私にはとても得られそうもない。
私は今、母の代わりに棺に納められて構わなかった。けれどどこの誰より父と妹が私の臨終の場にはいてほしくはないし、和菓子なんて要らない。せめてタヒチのガイドブックの代わりにリスボンとパリの地図でも入れておこうか......方向音痴の私が迷わぬように。Adeus...... でもまだ死ねそうもない。