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The Lost Universe 古代の巨大鰭脚類④巨大セイウチ

水族館で初めてセイウチを見たとき、多くの方は何よりもまず「めちゃくちゃでかい!」と思われたことでしょう。アシカやオットセイよりずっと大きな巨体、長大な2本の犬歯に誰もが度肝を抜かれたはずです。
大きくて強そう、でもどこか可愛い。そんなセイウチにも、永い進化の歴史があります。アシカともアザラシとも異なる彼らはどのような過程を経て現代に至ったのか、その秘密を探っていこうと思います。


セイウチとは何者か?

寒冷適応を果たした極地の海獣

アシカの数倍はあろうかという巨体と、サーベルタイガーのごとく長い牙。一度セイウチを見たら、誰もがその姿を忘れられないと思います。鰭脚類の中でも得意な形態をしているので、ユニークな容姿から水族館では人気者となっています。
種類の数こそ少ないものの、セイウチ科はアシカ科・アザラシ科と並ぶ鰭脚類の一大グループです。ただし、厳密にはセイウチ科とアシカ科は「アシカ上科」に含まれており、セイウチはアシカと近縁な種類だと考えられています。

とにかく大きなセイウチ(横浜・八景島シーパラダイスにて撮影)。成体のオスは体重1 tにもなり、なおかつ長大な牙を装備しているので、輪にかけて迫力があります。

動物のドキュメンタリー番組でよく見るように、セイウチは北方の寒冷な海域に生息しています。その巨体は分厚い脂肪で覆われており、寒冷地でも体温を一定に保って活動することができます。
強力なオスはハーレムを形成し、たくさんのメスを従えて繁栄しています。群れを統括する役割があるので、オスはメスよりもはるかに大きく、成熟したオスは全長3.6 m、体重1 tにも達します。オスに上顎で発達する牙(犬歯)は長さ約1 mに及び、同種間の闘争や天敵との戦いで重宝されます。

立派な風格のオス(おたる水族館にて撮影)セイウチの特徴的な牙は、犬歯が長く伸びたものです。オス同士の闘争で使用されるだけでなく、ホッキョクグマなどの天敵に対する打突武器にもなります。

主な食糧は貝類などの軟体動物ですが、他の鰭脚類を食べたという記録もあります。オスのセイウチは規格外に大きいので、小型のアザラシならば捕食対象と見なすのかもしれません。
天敵はホッキョクグマやシャチですが、成獣となったセイウチのオスはかなり強大なので、捕食者もなかなか手が出せません。逆に亜成体は真っ先に狙われやすく、ホッキョクグマにとっては格好の獲物です。

水槽の底へ向かって身を屈めるセイウチ(伊豆・三津シーパラダイスにて撮影)。自然界でも水底に口を近づけ、主に貝類などの底生動物を捕らえています。

パワフルであり、どことなくユーモラスなセイウチ。それほど魅力的な彼らも、壮絶な進化史の中で戦い続けてきました。セイウチという不思議な鰭脚類が誕生した過程を、古生物学的な見地から調べていきたいと思います。

見事にショーパフォーマンスをこなすセイウチ(鳥羽水族館にて撮影)。飼育個体は人々から大人気であり、水族館や動物園のイベントで活躍しています。

古代には牙の短いセイウチがいた?

現生のセイウチ類はセイウチ属1つのみですが、進化の過程においてセイウチ科には様々な種類が生まれ、新生代の各地の海で繁栄してきました。その中には我が国も含まれており、日本国内の幅広い地域から古代のセイウチ類の化石が出土しています。古代アシカ類やデスマトフォカ類と同じく、古代セイウチ類の進化を解き明かすうえでも、日本は重要な場所となっているのです。

鮮新世の地層から出土した福島県産セイウチ類の犬歯化石(福島県立博物館にて撮影)。巨大な牙を有するセイウチが、日本にも棲んでいたのです。

世界最古のセイウチ類の化石は、アメリカ・オレゴン州の中新世前期(約2000万年前)の地層より出土しています。当時のセイウチ類の犬歯は現生種よりもずっと短く、セイウチというよりもアシカやトドに近い姿をしていました

我々がよく知る「牙の長いセイウチ」の誕生は、まだまだ永い時代を越えた先となります。新生代で数多く生まれたセイウチ科は、大半が現生種ほど長い牙を備えていませんでした。
我が国でも化石が見つかっているイマゴタリア属(Imagotaria)もその1つであり、やや大きめの犬歯を有しているものの、現代のセイウチの種類ほどは顕著ではありませんでした。イマゴタリアは中新世中期(約1200万~約1000万年前)に生きていた全長およそ1.8 mの鰭脚類で、生態的にはアシカに近く、主に魚を捕らえていたと思われます。

イマゴタリアの左前脚の化石(戸隠地質化石博物館にて撮影)。本種の犬歯は現生セイウチほど大きくはなく、アシカ型の姿をしていたと思われます。

「牙の短いセイウチ」たちの化石は、日本において複数発見されています。好例として、国内外でセンセーションを巻き起こしたトウベツアカマツセイウチ(Archaeodobenus akamatsui)があげられます。
本種は中新世後期(約1000万~約950万年前)に生きていた鰭脚類で、北海道の当別町から化石が発見されています。全長3メートル、体重470 kgほどの大きさと推定されており、セイウチ類としては中型サイズです。ライフスタイルはアシカ類と似ていて、泳ぎながら魚やイカを捕食していたと考えられます。このように、永い進化史を眺めてみれば、「決して牙の長さだけがセイウチ類の証ではない」とわかります。

トウベツアカマツセイウチの復元図(北海道大学総合博物館にて撮影)。外見的には、ほとんどトドのような姿だったと推測されています。
当別町の文化財に指定されているトウベツアカマツセイウチの骨格(北海道大学総合博物館にて撮影)。生態的にはアシカやトドに近く、魚やイカを捕食する遊泳性のハンターだったと考えられます。

それでは、お馴染みの「牙の長いセイウチ」は、いつ地球上に現れたのでしょうか。実は、セイウチの牙の大型化には壮大な軌跡があります。巨大セイウチの考察をすると共に、牙の謎についても迫ってみましょう。

古代の巨大セイウチ

オントケトゥス ~牙の時代が到来! 伝説の礎となった巨大海獣~

いよいよ、セイウチ類は巨大な牙を獲得していきます!
数あるセイウチ科の中でも牙が顕著に発達するのは、「セイウチ亜科」と呼ばれるグループのメンバーたちです。興味深いことに、彼らの犬歯は時代を経るに伴って長くなり、現代の超長大なセイウチの牙へとつながっていきます。その軌跡を体現している種類こそ、古代セイウチ亜科のオントケトゥス属(Ontocetus)です。化石は北アメリカと日本から発見されていて、鮮新世(約530万~約180万年前)の北半球に広く栄えていたと考えられています。

頭骨を比較してみると、オントケトゥスと現生セイウチはかなりの相違点があるとわかります。最大のアイデンティティである犬歯の長さはもちろん、細かい点も含めれば、形態的な差異は多くあげられます。

オントケトゥスの復元頭骨(信州新町化石博物館にて撮影)。犬歯は長大化の兆しを見せており、セイウチ亜科の進化の軌跡を感じさせてくれます。

◎オントケトゥスの頭骨の特徴

  • 犬歯の長さは約20 cmであり、強く湾曲している

  • 門歯がある

  • 吻部が狭い

◎現生セイウチの頭骨の特徴

  • 犬歯の長さは約1 mであり、湾曲は弱い

  • 門歯がない

  • 吻部が広い

上記の内容が主な頭部の相違点となります(他にも違いはありますが、やや専門的な内容となるため割愛します)。牙の長さなら現生セイウチの方が上ですが、決してオントケトゥスが体格で劣っているわけではありません。アメリカで発見された個体は推定全長4 m以上もの巨躯を誇っており、オントケトゥスの成獣は現生セイウチよりも大きかったと思われます。もしかすると、特大のオスは体重2 tを超えていたのかもしれません。

オントケトゥスの復元模型(信州新町化石博物館にて撮影)。がっしりした巨体を備えており、現生セイウチよりも大きかったと考えられます。

オントケトゥスの基礎生態は、多くの部分で現生セイウチと共通していると考えられます。巨大で力強いオスが群れを支配し、たくさんのメスを従えてハーレムを築いていたことでしょう。ときには、ハーレムの所有権をかけて、オス同士で激しい闘争をしていたかもしれません。
現生セイウチ以上の巨体なら、オントケトゥスには怖いものなしだと思われるかもしれませんが、当時の海には恐ろしい天敵・メガロドン(全長10 m以上にもなる超巨大サメ)が生息していました。メガロドンの顎の破壊力はすさまじく、オス成体のオントケトゥスといえども、水中でメガロドンに狙われたら大ピンチだったことでしょう。
特大のセイウチ亜科であるオントケトゥス。これほどの巨体を備えながらも、彼らは恐ろしい敵の影に警戒しながら暮らしていたのです。改めて、自然界の厳しさと計り知れないスケールを感じます。

マンダノセイウチ ~日本の巨大セイウチはマッチョだった?~

更新世チバニアン前期(約60万年前)の日本では、現生とほぼ同じ見た目の大型セイウチが暮らしていました。当該種に与えられた和名はマンダノセイウチ(Odobenus mandanoensis)。オントケトゥスに次ぐ巨体を誇る特大のセイウチ亜科です
千葉県の房総半島から化石が発見されており、骨格は現生セイウチと比べて大きく頑強になっています。全長は約4 mに達したと考えられており、体重1.5 tを軽く超えていた可能性があります。犬歯は湾曲が強く、現生セイウチの牙よりも短めに見えます。

マンダノセイウチの頭蓋(千葉県立中央博物館 令和5年度特別展「よみがえるチバニアン期の古生物」にて撮影)。骨格はかなり頑強であり、全身のサイズは現生セイウチよりも大きかったと考えられています。

骨格の頑強度などのわずかな差異を除けば、マンダノセイウチは身体的特徴が現生種とほぼ共通しており、現生セイウチの絶滅亜種だと考えられています。おそらく、チバニアン期に大平洋北部から南下してきた現生集の地域集団であると思われます。
全長4 mのセイウチが日本に棲んでいたことを想像すると、とてもロマンを感じますが、マンダノセイウチはチバニアン期を乗り越えられずに絶滅しています。他の超大型鰭脚類と同様に、当時の激しい環境変動の波に呑まれて滅んでいったのかもしれません。結果的に、現代まで生き残ったセイウチ類は1属1種のみとなりました。

それでも、進化の過程で培われた雄々しさは、確かに現代に受け継がれています。巨体を翻して力強く泳ぐセイウチたちの姿には、アシカやアザラシを大きく超える迫力があります。まさしく彼らは、北方の海の偉大なる海獣なのです。

【前回の記事】

【参考文献】
著:Francis H. Fay, 訳:新妻昭夫(1986)「セイウチ」『動物大百科 2 海生哺乳類』監修:大隅清治, 編:D.W.マクドナルド, 平凡社
長田英己 (1992)「『移動レック』と丁寧な育児 セイウチ」『動物たちの地球 哺乳類II 3 アザラシ・アシカ・オットセイほか』第9巻 51号, 朝日新聞社
Palmer, D., et al.(1999)The Marshall Illustrated Encyclopedia of Dinosaurs and Prehistoric Animals. London: Marshall Editions. p. 227.
Tanaka, Y., et al.(2015)A New Late Miocene Odobenid (Mammalia: Carnivora) from Hokkaido, Japan Suggests Rapid Diversification of Basal Miocene Odobenids. PLOS ONE. 10 (8): e0131856.
Mieczyslaw, W., et al.(2020)Parallel loss of sweet and umami taste receptor function from phocids and otarioids suggests multiple colonizations of the marine realm by pinnipeds. Journal of Biogeography, Volume 47, Issue 1, John Wiley & Sons, Pages 235-249.
編:加藤久佳, 八木令子(2023)『千葉県立中央博物館 令和5年度特別展 よみがえるチバニアン期の古生物』千葉県立中央博物館, ミュージアムクルー
長野市文化財データベース 裏沢の絶滅セイウチ化石 http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1384.html
北海道大学総合博物館の解説キャプション
信州新町化石博物館の解説キャプション
戸隠地質化石博物館の解説キャプション

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