#19 予兆
連日の付き添いで、家族に疲れの色が出てきていた
無理もない
もう1ヶ月以上、母は適当な食事でゆっくり休めていない
仕事にも合間に行っている
文句一つ言わず、夜の部を担当していた兄も
さすがに寝不足のせいでイライラが見える
「またオレか・・・」
兄と交代で夜の部を看ていたジンは
一段と文句が多くなった
「オレは忙しいがよ」
この春から仕事を始めたばかりのジンは
新米教師4ヶ月目、恐ろしく忙しいだろう
だけど、どうしようもない
やめたいとは言わない
みんな、どんなに疲れていても、足が病院に向かう
夫の休みも残りわずかになり、母は一緒に大阪に戻るよう勧めてきた
母なりに、娘や孫に負担をかけていることが
申し訳なくなっていたのだろう
特にソウタの入院には、責任を感じているようだった
ソウタを妊娠したとき、父は真剣にこう言った
「これからは、自分のことよりも何よりも
子どもを1番に考えて行動せんといかん
その覚悟があるか?子どもが1番や」
父は、本当に子どもが好きだ
私も、何よりも1番に守ってもらった自覚がある
「はい」
私は心から、そう返事した
今までも何度かソウタのことで
仕事を休んだり、楽しみにしていた旅行をあきらめたりしてきた
今回も・・・か、
後ろ引かれまくりだが、父が望むなら
いや、親ならそうすることを選ぼう
それに、私とソウタだけが残っても
もう、手伝えることは何もない
疲れたみんなに心配事を増やす、足を引っ張るだけだ
悲しいけど、今の状況に赤ん坊は厄介なモノなのだ
3人で、父に挨拶に行った
「明日、大阪に戻ります」
父は、初めて夫に頼みごとをした
「サロンパス貼ってくれんか?」
いつも、私や母がしているのに
父は夫に貼って欲しいんだなと、何か刹那かった
夫は慣れない手つきで
「ここでいいですか?」
などと言いながら、貼ってくれた
帰り際、夫は父に言った
はっきりと、力強く
「お義父さん、早く元気になってくださいね」
「よっしゃ」
父も力強く答えた
私は、涙が出そうになるのを必死にこらえていた
もう誰も、こんな前向きな言葉をかける人はいなくなっていた
父にとって、1番言ってもらいたかった言葉だったのではないだろうか
本当は私たちがこうやって励まし続けなければならなかったのではないか
「大切な言葉を、ありがとう」
私は心の中で、何度も呟いた
その夜、ソウタが寝ついた後
もう1度、父の病室に向かった
電気がついている
父と母はベットに座っていた
腕を伸ばしていないと点滴が落ちないのに
すぐに腕を曲げるとかなんとか
また、こぜり合いをしていた
私は父の隣に座って、痩せ細った腕を握った
「こうして伸ばしちょかんといかんがやと」
「はいっ」
返事だけはいいが、酔っ払っているときようだ
薬のせいで、ぼんやりしているのだろう
返事とは逆に、すぐに腕を曲げている
「こらっ」
怒るマネをすると、また
「はいっ」
わざとしているような気がしてくる
何度かやりとりをしていると、本当に怒りたくもなってくる
もう夜中の1時を回っている
「全然寝んがよ、ずっとこんな調子
けい、もう帰りや、明日早い汽車で帰るんやろ」
父の目はどこか遠くを見ているようだが、手で私に何か伝えている
「お母さん、お父さんが、頭がパァーって言いようで」
誰のことを指して言っているのかわからなかったけど
お母さんに言っていることにした
「お父さん、私、もう帰るけんね、またすぐ来るけど
パァーの言うこともたまには聞かないかんで」
父の口が開いてこう言った
「がんばらなくっちゃ」
気の効いた返事が見つからなかった
「誰が?」
「オレも、おまえも」
これが、父と私が交わした最後の言葉になった
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