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#13 手紙

7月13日 

昼前、風呂に入るといって家に帰る

リンパ球も打ちました

でも、痛い、とっても痛い


7月16日 

調子がいいようにも思えるが、モルヒネの量は増えている


7月19日

昼から仕事を休んで付き添いです

「あれやれ、これやれ」「遅い、とろい」

と、ケンカばかりです

モルヒネがキツくなっている分、痛みも和らいでいるだろうし

東京の薬も効いていると信じて、できるだけ側にいようと思っています


7月28日

こちらはグッとしんどくなっています



母からのメールは続く


離れていてもできることはないか?私はいつも考えていた

花を贈っても喜ばないし、食べ物を送っても食べれない

電話をかけても出ることはないし、メールなんかしたことない


メール・・・・・そうや、手紙を書こう

それなら、読んでくれるはず


なんて書こうか考えたあげくは、こんな内容だったと思う


お父さんへ

お腹の調子はどうですか?と聞くと

「毎日どう?と聞かれても、すぐには変わりゃあせん」

と怒られそうなので聞くのはやめます


暑いねえ、夏といえばやっぱり、高知へ帰りたくなります

私が保育園の頃

お父さんはよく高校のプールに泳ぎに連れていってくれましたね


こんなことを憶えていますか?

小さかった私は

深くて広い25m幅のプールをどうしても泳げるようになりたくて

目をつむって決死の犬かきで挑戦しました


その日は夏休みも終わりの季節で

掃除をしていないプールには、たくさんの藻が生えて

水が緑色に濁って、底が見えず、あんな汚いプールに入ったのは

あの日以降1度もありません


よく可愛い一人娘をあんな汚いプールに入れたなと、超絶感心します

とにかく、目を開けられなかったのです、汚すぎて

もちろん、ゴーグルなんて持っていませんでした


私は小さい頃から、水の中で目を開けるのも得意だし

水泳が大好きだった


でも、あの日だけは

ドロドロの沼に入ったようで

途中で大きなサメかナマズがいたらどうしようって、恐かった


これは裏山の沼じゃない、プールだから大丈夫と

自分に言い聞かせて飛び込んだ


泳いでも泳いでもゴールに着かなくて

急に不安になって沼から顔を出して、目を開けてみた


プールサイドを真っ直ぐ泳いでいたつもりが

いつの間にか右に旋回していて

私は深いプールのど真ん中に浮かんでいることに気づいた


ビックリして、恐くて泣きました

「戻らないと息ができずに死んでしまう!

 それより、なまずが来て食べられる!」


泣きながら、また決死の犬かきで、プールサイドに着いたとき

お父さんは大爆笑をしていましたね


その笑顔を見るとなんだか安心して

つられて私も笑ったよ


お父さん、痛くて恐くて泣きたいね

だけど、私は笑うことにします


あの時のお返しに、今度はお父さんがつられて笑えるように

何もしてあげられなくてごめんね


また、笑いに行きます

けいより


私とソウタの思いきりバカ面な写真を入れて、完成


父は読んでくれたのだろうか?

もちろん返事はないし、感想も聞いてない

母も何も聞いてないと言うし


今となってはこの手紙がどこにいったのかもわからない

適当な家族だ・・・・


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7月30日

気になって仕方がないので、それなら帰ればいいやん

そう思い、また、私は実家へ向かっていた


顔を見れば安心できると、すぐに病院へ行った私は

たった2週間の間に、ドロドロのプールを彷彿させる空間に会い

ショックを受けることになる


父は娘の姿に

「おう」

と、反応はしたものの、部屋の空気は異常に重く、緊迫していた


声を発することも

ましてや笑うことなどできる状況ではなかった


睡眠薬事件からずっと

毎晩交代で母・兄・弟が泊まり込み

母は昼間もほとんど仕事を休んで付き添っていた


もう、部屋のトイレまでも歩くことができない

おしっこの管をつけることを

「かっこ悪い」といって、絶対につけなかった

父の最後のプライドだったのだろう


面会謝絶で見舞い客はほとんど入れていないのに

誰にかっこつけているのか疑問だったが

そんな父をどこか応援していたように思う


おしっこになると

起き上がってビーカーのようなものにするのだが

念のため、オムツを履いている


この紙オムツはかっこ悪くないのだろうか?

ウンコは、もう出ない

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