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#推薦図書『八本脚の蝶』

「こびりついて離れない」
これほどまでに、この表現がふさわしい書籍はない。
著者である二階堂奥歯は、2001年から2003年頃までWEB上でブログを書いていました。その内容が、著者の死後、『八本脚の蝶』という一冊の書籍にまとめられたのです。(Amazonでは残念ながらプレミアム価格がついたものしかないようです…。)

著者であり主人公の二階堂奥歯は、本を愛し、自身の美意識で生き抜いた方でした。どうすれば、そこまでの知識が手に入るのか、そして、どうしたら若くしてそこまでの哲学を抱けるのか。
この本を読んだとき、私は書籍の中の奥歯と同世代で、嫉妬に似た感情を抱きました。

特に彼女は「幻想文学」を好んで読んでいました。私は、そのジャンルはほとんど読んだことがなかったけれど、『八本脚の蝶』を読み、書店の幻想文学の棚に張り付くようになりました。
私は文学者ではないので、正確な批評をすることはできないけれど、幻想文学というジャンルは素人からすると結構ハードルが高い。しかし、そのあり方、その価値観の隅々までを吸収したくて、私は日々大規模書店の棚の前にいました。棚をにらみ続けて、奥歯と同じなにかを吸い込みたかったのです。

私は当時、出版社の書店営業部員でした。
実は『八本脚の蝶』も、私が足しげくかよっていた書店の女性店員さんが教えてくれました。お互いにオススメの本やマンガを話すのが、営業に行ったときの日課だったのです。

当時の私は、いまよりもずっと「なぜ生ていくのか」を考えながら歩いていました。自分をわかってくれる人は所詮いない、その前に、怖くて自分を出すこともできませんでした。
1日の大半を使う仕事の時間では、たったひとつだけの「好き」である文章に携わることもできませんでした。(編集部に配属になったからといって、自分のしたいことができたかといわれれば謎ではあったのですが。)
楽しいことがあれば、必ず悲しいことがある。そんな摂理を持つ人生に対しても、信頼感を抱くことができませんでした。

「なぜ生きていくのか」
その思いは、どんどん私の心に膨らんでいきました。

二階堂奥歯は、うつ病を患っており、書籍の後半では街を歩きながら死ぬ場所を探します。あぁ、そういう気持ちわかるな。読み進めながら私も思いました。
私はうつ病ではなかったけれど、死ぬことと生きることはいつも紙一重でした。
このビルから飛び降りたら
この電車に飛び込んだら
…なんで、そんなことを思ってしまうのか罪悪感を覚えながらも、湧き上がってきてしまう気持ちに戸惑い続けました。

奥歯には、思ってくれる家族がいて、心許せる彼氏がいて、編集者としても執筆者としても才能が認められていました。また、『八本脚の蝶』の中に登場する彼女と同じように本を愛する同志にも恵まれていました。
しかし、彼女は最後、自殺という道を選びます。
主人公の自殺。普通であれば、それはあまりにひどい結末なんだけれど、なんだか必然のような気もして、残り少なくなったページを眺める当時の私は不思議な感覚に見舞われたのでした。

彼女は、自分の想い・自分の哲学と向き合い続けた結果、どうしたって「死」という結論しか見つからなかったのだと、そんなことを感じていました。結末は、最初からたったひとつしかなかったようにすら思えたのです。

しかし、私は納得する一方で、「なんでこんなに愛してくれる人がいるのに」「なんでこんなにあなたの文章を待ち望んでいた人がいるのに」という思いも、同時に抱いていました。その気持ちは、非常に社会的な「人間ぽい」感情で、私は自分の心に対して、なんだかほっとしてしまいました。

今でも、この本を読むとき、自分の心をリトマス試験紙にして彼女の死を見つめます。「愛してくれる人がいるのにもったいない」と思えば、私はまだ社会で生きていける。自分の心に体を砕かれることはまだない、と思える。
彼女に憧れながらも、彼女に追いつかない自身に安心する。そんな不思議な感覚とともに、私はこの本と生きています。

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