大好きな沖縄が語れない。
私は、沖縄が好きだ。今、好きが極まって2拠点生活をするほどに。「#とは」のnoteの募集を見て、真っ先に「沖縄のことを書こう!」と思ったほど。しかし、沖縄の歴史や政治的なあり方になると、途端に言葉が見つからなくなってしまう。そんな思いを、今日は恐る恐る書こうと思う。
沖縄には、本土で育った私たちには知らない歴史や思いがある。
例えば、私は中学校・高校くらいまで、「沖縄の人たちは全員基地を撤廃してもらいたい」のだと思っていた。「基地全廃=戦争反対」だと思い込んでいた。
だから、こちらに来てみて、「平和を保つために基地が必要なんだ」という意見や「日々の暮らしのために基地は必要なのだ」という人たちがいて、仰天した。しかも、そうした意見は決して少数派というわけではない。
この意見に私は、本土で思いを馳せることはなかった。
もちろん、興味を持って詳しく調べている人や、政治に関心がある人には周知のことなのかもしれないが。無知な私は、驚きをもってこの意見を胸に刻んだ。要は、そこまで想像力が足りていなかったのだ。
今日、「沖縄列島」という記録映画を観て、その思いはさらに強まった。そこでは、「本土復帰に反対する沖縄人の姿」が描かれていたのだ。
沖縄の本土復帰は、1972年。1969年に撮られたこの映画は、ちょうど復帰の分かれ目にある沖縄の姿を描いていた。
そこに出てきたおばあさんはこう言った。
「本土のときは、すべてを絞りとられた。復帰したらまた同じことの繰り返しだ」
当時、こうした意見を持っていた人はごく一部だったかもしれない。(実際に、「沖縄列島」は基地からの解放論が主軸となっていた。)その人数は推しはかりようがない。
しかし、私が問題視したいのは、「そうした考えを持っていた人がいたことを、私は想像もしていなかった」ということだ。
歴史の授業を思い返してほしい。
「1972年沖縄が本土返還になります。やっと戻ってきたわけですね。沖縄の人たちの戦争がやっとここで終わったということでしょう(メデタシ、メデタシ)」
そんなトーンではなかっただろうか?
だから…。
私も、沖縄の人はみんな「本土返還」を切に願い、実際に返還された時は万々歳となったのだとばかり思っていた。それを疑うこともしなかった。
全国的に知事選が注目されるのは、東京と沖縄くらいだ。今回の県知事選もいろいろと報道されたし、意見も出されていた。そうした報道を見て、沖縄県民の意見はひとつではないということを薄々感じ取った人もいるかもしれない。
そうなんだ。私たちの予想の何倍も、沖縄県民の意見は分かれ、それぞれが沖縄の未来を本気で考え・悩んでいる。
東京に入る沖縄の情報は、残念ながらごくごく一部だ。それは、他の地域の情報も同じことなんだろうけれど。
メディア批判で、思考停止すべきではない。実際問題、情報を全方位的に取り入れることはなかなか難しい。で、あれば、せめて私たちは想像力を持たなければいけない。
沖縄の歴史や政治的なあり方について、まだ私には語る言葉がない。しかし、想像だけは誰にも負けないよう持ち続けようと思う。
もしかしたら…、
「こう傷つく人がいるかもしれない」
「こう苦しむ人がいるかもしれない」
そんなふうに。
想像力では、世界を変えることはできないのかもしれない。でも、今、私にできることはそれだけだ。だから、必死に目の前にあるものを見つめて、想像力を働かし続ける。
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