”なにもない”が魅力 「日本一の星空」から考える
長野県阿智村に行ってきた。この村では、「日本一の星空」と出会えるといわれている。もともと、昼神温泉という温泉地で、岐阜や名古屋方面から旅行客も多かった。また、雪が降れば、スキー客でも賑わっていた。
しかし、立地の不便さもあり、観光客数は落ち込む。なんせ、東京からは新幹線でも、特急電車でも、いきにくい。高速バスで行くのが最も好アクセス。車があれば話は別だが、車離れの昨今、なかなか観光の選択肢としてあがりにくいのが正直なところだろう。
しかし、阿智村が環境省による全国星空継続観察で、「星が最も輝いて見える場所」第1位に認定され、「日本一の星空」で売り出すと瞬く間に、人が集まった。多い時には、一晩で2,000人以上もの観光客が訪れる。
私も参加した「天空の楽園 日本一の星空ナイトツアー」は、180度囲まれる星空が圧巻だった。そして、「こんな暗闇を見たのはいつ以来だろう」という、本当の暗闇が印象に刻まれた。
宿泊施設がナイトツアーチケットとゴンドラまでの送迎をセットにして売り出し、”足がない”観光客も山の中で星を楽しむロマンが味わえるようになっている。
なぜ、阿智村からは「日本一の星空」が見えるのか。それは、山々が複雑に入り組んでいる土地柄で、集落の灯りや都市部の光が山で遮られる構造になっているからだという。
つまり、あかりもないほどに”なにもないから”だ。
”なにもない”は、これまでひどくマイナスのイメージとされてきた。
「コンビニもないんだよ?」
「夜になると真っ暗だよ?」
「遊べるところが全くないの」
こうした都会と比較した嘆きには事欠かなかった。
しかし、阿智村の存在は逆転の発想こそが重要であるということを、証明してくれているように思う。
”なにもない”からこそ、”なにかある”。
とはいえ、「さぁ、うちの村は”なにもない”よ。おいで!」と言ったところで人は来ない。
では、なにが必要か?
それは、”なにもない”に意義付ける存在だ。
最近、地域人材の育成について考える機会が多い。私は、その地域で「価値がない」とされているものへ、「価値をつけられる人材」は地域にでかなりニーズが高い存在なのではないかと感じている。
それには、地域の内だけを見ていてはいけない。外を見ながら、あるいは外の世界を体験した後に、自分の地域で見過ごされてきた特徴に価値付ける。そんな力が必要だと思う。
しかし果たして、このような力をつけるには、どんな教育が必要なのだろう? 少なくとも、今のままの教育では足りないように思う。
”なにもない”に意義付けられる人材の育て方。新たなテーマができた。ちょっとワクワクする。
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