見出し画像

「ここにいない人たち」の席

(ひきこもりの対話の場)に参加してからというもの、ひきこもりについて考えることが多い。この場は、私にいろいろなことを考えさせてくれた。これまで、noteにも2本記事を書いている。

ワークショップの中で印象深くて、自分の中で煮上がったら書いてみようと思っていたことがある。それは、会場に、「ここにいない人たちの場所」というテーブルが設けられていたことだ。

「今日来たいと思っていたけれど、来られなかった人」
「勇気を振り絞ってたけれど、外に出られなかった人」
「一度来たけれど、合わずにもう来られなくなった人」
そんな人たちの場所だという。

だから、出席者はその席にはつかない。ワークショップ中、1つのテーブルは終始からっぽのまま。そして、このからっぽのテーブルには、妙な存在感がある。

これは想像だが、
これまでワークショップを何度も重ねる中で、「参加できなかった人の席を設けたい」という思いに、運営の方々が至ったのだろう。
「ここにいない人の場にさえもなりたい」
そのやさしい想像力に、私は言葉を失った。

運営側の自己満足かもしれないし、「ここにいない人」に届くことは決してないのかもしれない。
しかし・・・、
「知らぬ間に自分の居場所はつくられている」ということが人にあるのだとすれば、それはすべての人の救いになる。

人は居場所を求めて生きている。
名誉を得たいのも、お金を稼ぎたいのも、異性にモテたいのも、究極的には自分の確固たる居場所を築きたいからだと私は思う。居場所を探しているのは、決して精神的に弱っている人だけではない。

だけど、もし、
自分が知らないうちに、
自分がそこにいないにもかかわらず、
居場所が設けられているとしたら? ・・・淋しさは、消えるかもしれない。

クリスマスキャロルの話をふと思い出す。3人の精霊が現れなくても、人間は変わることができる。居場所があることさえ知れば、変化は起こる。

「ここにいない人たちの席」、そんなやさしい想像力がもっともっと世界に広がっていくといい。私も、そんな世界に生きていきたい。

<ツマミにこちらもどうぞ>


いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。