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こころに開いた黒い穴

こころに黒い大きな穴の存在を感じたことはあるだろうか?

昨日、会社員時代の同僚と久しぶりに再開した。以前彼女と話をしたときに、お互いに「こころに開いた黒い穴」の存在を確認しあった。
私たちはその穴を埋めるために、他者からの承認を得ようとしたり、いい子・優秀な人であろうとしたり、頑張って自信をつけようとしたりと躍起になっていた。
なぜか? 必要とされることや、承認されることが黒い穴を埋める術だと思っていたからだ。

しかし、黒い穴はまるでブラックホールかのようで。なにを放り込んでも、まったく埋まる気配がない。
「これでもダメか」、「これでもか」、と、穴を埋めるためにどんどん頑張る。でも、まったく埋まらない。

こころに開いた黒い穴は、誰もが持っているものではない。
穴の話を3人でしたときに、1人の友人は「まったくなにを言っているのかがわからない」という顔をしていたし、実際に穴の存在を感じたことはないと言っていた。
穴があるか否か、そして、穴の大きさも、人によって違う。私は、3人で話すことで、人によってそんな違いがあるということをはじめて知った。

こころの黒い穴は、なにかの中毒を招く元にもなり得ると思っている。
たとえば、整形中毒。美しさを承認されたくてされたくて、黒い穴に「かわいいね」「きれいだね」という賞賛の言葉をなげ込み続ける。
買い物中毒も。なにかを得ると穴が埋まるのではないかと、アレもほしい、コレもほしいとものを買い続ける。
さらに、キラキラインスタをアップし続けなければ、という終わりなき承認欲求も、黒い穴が大元にあるのかもしれない。

でも、穴はなにを投げ込んでも埋まらない。どんなに美しさを磨きあげても、お金を稼ぐだけ稼いでほしいものをすべて買い尽くしたとしても、穴が埋まることはない。

どうしてか?
私はそれを問い続けてきた。
それは穴には底がないからではないか、と最近思うようになった。どうりで、なにをなげいれても埋まらないはずだ。底抜けだから、放り投げたものすべては一瞬穴を通過するだけ。溜まっていくことはないのだ。

では、
こころに黒い穴が開いた人はどうすればいいのだろう?

一つは、その穴を認め、穴とともに生きることだろう。むりに埋めようとしなくていい。この黒い穴も自分自身の一部だと受け入れる。

もう一つは、穴の底を埋めること。
抜けない底をつくれば、黒い穴はブラックホールではなくなる。底が抜けなければ、承認や自信、成功体験を蓄積し、いつかは埋めることができる。

だが、問題はある。それは、なにが底になりうるか?ということだ。
正直な話、まだ私もこの答えにたどり着いていない。
でも・・・、なんとなく思うことがある。それは、黒い穴の底となるのが愛情というものなのではないだろうか?ということだ。
これまで、愛情なんてきれいごとでしかないと思っていた。これまでの人生で、愛情をもらってきたと思うが、うまく捉えきれずにきたような気がする。
しかし、いま、愛情はもしかしたら人間のこころを大きく支えるものなのかもしれないと、思うようになった。

他者と愛情をつむぐ経験を重ねることで、少しずつ穴の底は埋まっていく。そんな仮説のもと、私はいま生きている。

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