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天動説から地動説へ〜『君たちはどう生きるか』から得たメッセージ〜

「超」今更なのですが、『君たちはどう生きるか』を読みました。原稿に追われる中なのですが、「今年中に読まなくては」と思い、沖縄への移動中に時間を取ったのでした。
なぜ今年中に読みたかったのかというと、本には「この時代だからこそ流行る」という背景があると思っているからです。もちろん作品自体の素晴らしさはありますが、『君たちはどう生きるか』は、「平成最後」と沸き立つこの年で、2020年という節目を目前としている今だからこそ、多くの人が読まずにはいられなかったのだと思うのです。

余談なのですが、私の父は文学者です。そんな父がいっていたのが、まさに「本の流行りは世相が大きく影響する」という論でした。
バブル崩壊後に日本で起こったのは『リング』などに代表される恐怖の文学ブーム。
人間の力を超えた恐怖。人々の精神的な不安、「なにが起こるかわからない社会への畏怖」などが投影されたムーブメントだった。さらにいうと、不安定な精神だからこそもっと恐ろしいものを見たい心をくすぐったともいえるかもしれません。
落ち込んでいる時に、暗い音楽をあえて聞く。高所恐怖症なのに、崖の下を覗いてしまう。そんな感情でしょうか。違うかな。(笑)

その後、あるいは同時期に出てきたのは、「癒し」の文学でした。『世界の中心で愛を叫ぶ』『いま会いにいきます』、そうした作品に人々は涙し、人間的な美しさや心が満たされることこそが大事だという風潮になっていきます。
恐怖と癒しの文学を、バブル崩壊後の日本人は求めていた…というのが父の論でした。

前置きが長くなりましたが、つまり何を言いたいかというと、流行る書籍には時代的な意味があるということです。
『君たちはどう生きるか』も、そうなのではないかなと私は思っています。1937年に初出の作品が、この時代の私たちが読まずにはいられなかった意味があるはず。それは、1937年が日中戦争へつながる盧溝橋事件が起こった年でいまの社会と重なる部分があったということかもしれないし、「考えろ」「自分の視点を持て」というメッセージが現代社会に結びついたのかもしれない。
少なくとも、読者の心が強く求めているものとマッチしたから、これだけ多くの人に読まれたと思うのです。

だからこそ、「今年流行ったものは今年読まなくては」と思い、この年末のバタバタの中で読みふけったのでした。

あぁ…、さらに前段のボリュームが増してしまいました。すみません。

『君たちはどう生きるか』の中で、私が強く印象に残っているのが、人間は成長とともに「天動説から地動説へ移行する」という考え方です。
赤ちゃんは、泣いたらすべての問題が解決するということを体験し続けます。「自分が世界の中心」なのです。むしろ、呼んだら誰かが来てくれるということを感じさせることが、自己肯定感を養うという考え方もあるほどです。
少し成長して小学校低学年くらいまでの子どもは、「僕の学校」「僕の町」「僕の家の隣の隣の家」など、自分軸で話をします。いわゆるそれが、天動説。自分は動かない。

そういう状況から、一般的に成長とともに少しずつ社会的・他者的な視点が備わっていきます。天動説から地動説へと転換していくのです。

なぜ、私がその部分に強い印象を持ったかというと、私自身は天動説から地動説への移行をうまく受け止められていない人間だからだと感じたからです。
過剰に社会に合わせようとして心身ともに疲れ切ってしまったり、「なぜ自分だけが」という気持ちに苛まれて苦しくなったり。天動説から地動説へ。それは成長とともに「自然と起こる」ものではなく、意識的に自分で獲得していかなければいけないものなのかもしれません。

「地動説だということを知る」ということは、他者軸で生きるということではありません。正確に社会の仕組みを知ることで、自分の社会への生かし方を具体的に考えられるようになるということだと私は思っています。
「自身を取り巻く社会は地動説で動いている」という俯瞰した理解があるからこそ、自分軸の視点を持って、社会の中で自分を”使っていく”方法を探すことができる。だとすると、「したいことをする」という教育だけでなく、地動説への正確な理解も必要なのではないだろうか。そんなことを思った年末のフライトでした。

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