見出し画像

自己肯定感問題は恋愛に現れる。

「わたし、どうしてもみんなからモテるような人が好きなんだよね。でも、そういった人は大抵チャラチャラしているし、あまり恋がうまくいかない。これってどうしたらいいのかな?」

友人から連絡がきた。
その「好き」が自分の完全なる好みならば、それを受け入れるしかない。
例えば、
「からすみみたいな匂いがする人が好き」
とか
「シャランQのハタケが超理想のタイプ」
とか
「眉毛が繋がっている人が好き」
とか、もうそれは好みの話で、他人が「え? まじ?」と行ったところで、直るものではないし、直す必要もない。もはや、DNAレベルでそのタイプの人が好きということなんだと思う。

では、先の友人はどうか?
その友人とは以前に自己肯定感について、長く話し合ったことがあった。
「なんで、私の自己肯定感は低いんだろう? 家族はいたって普通だし」
普通どころか、彼女はすごく大切に育てられたように私には見えていた。だから、私は、「自己肯定感の低さ」=「家庭環境に問題」と簡単に図式化できるものではないと、思うようになったのだ。

で、先の恋愛話と自己肯定感がどう関係してくるか?

完全な私見だし、大いなる的外れかもしれないが。
「モテる人が振り向いてくれる」ということで、自己肯定感を充足させようとしているのではないか?と考えたのだ。

人の恋愛を分析するなんて失礼な話だな、と思う人もいるかもしれない。
しかし、私がそんなふうに感じたのにはワケがある。
それは、私自身、自己肯定感の問題が恋愛に紐付いてきた人間だったからだ。

私はこれまで、「かなりダメだよね」みたいに言われるタイプの男性を好きになることが多かった。以前までは率直に言えば、だめんずウォーカーであった。
それはなぜか?
たぶん・・・、
自己肯定感を満たすために、「ダメな人」を求めていたのだ。(これまで付き合ってきた人がこのnoteを見ないことを切に祈ります…笑)「自分がいなければ、この人はダメ」という思いで、自分を満たそうとしていたのだと思う。いわゆる、共依存というやつだ。
(今では、少しだけ自己肯定感の欠落が埋まったように思う。よかった。)

この関係性の特徴は、結局「彼を好き」なのではなく「自分がかわいい」だけであるということである。かわいそうな自分を慰めたいから、恋愛をする。もうそれは、恋愛ではなく「恋愛もどき」なのかもしれないが。

だから、冒頭の彼女にも、そんな私の経験を伝えてみた。
自分を埋めるための恋愛は、相手を見ていない。錯覚の中の恋は、愛へ深まることはない。
だから恋愛するなというわけではない。自分の特性を知った上で恋愛すれば、これまでの恋愛と何かが変わるのではないかと思うのだ。他者を見極めようとするのではなく、自分の中に深く潜っていくことで、ちがう恋と出逢えることがきっとある。

<ツマミにこちらもどうぞ>
自己肯定感は大人になっても高まるのか?(高まると言いたい。)
こころに開いた黒い穴

この記事が参加している募集

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。