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学校に居場所なんてなくていい。高校生のきみへ

高校生のとき、私は生きるのが苦しくて苦しくて仕方なかった。特に、いじめられていたわけでも、勉強が極めてできなかったわけでもなかったが、学校がしっくりこなかった。
友達のことも、先生のことも、好きではなかった。ただ便宜上、私は学校にいた。

もしかしたら、私と同じようにそんな不具合を感じながら通い続けている高校生がいるかもしれない。そんなことを思って、「#8月31日の夜に 悩める10代ヘの投稿を募集します! 」というnoteの企画に投稿してみることにした。

海水魚なのに淡水に入れられたような息苦しい高校時代を経験した私から、わずかながら言えることは3つだ。

1つめは、
あなたのこころが落ちつかないことに、誰かはきっと気づいているということ。
私は高校に行きたくないことを、親にも中学の友達にもずっと言わずにいた。第一志望の高校に落ちて、不本意入学した学校。そこで、楽しめていない自分をさらけ出してしまうと、入試に落ちた、そして、学校にも馴染めていないという二重で惨めになるような気がしたのだ。

加えて、親には心配をかけたくないという気持ちもあったと思う。

しかし、母は私の気持ちに気付いていた。
30歳を過ぎた最近になって、「あんたが高校生の時は心配だった」と話し出したのだ。

「お母さん、いつから私の気持ちに気付いたの?」
と聞くと、新入生歓迎のイベントから帰ってきた時点だという。だいぶ早い段階だ。

「新入生歓迎で、レクリエーション大会を開いたみたいなのよ。そこで、綱引きをしていて、男子がふざけて『せーの』とかいって、みんなで手を離したらしいの。相手のチームの人たちはバタバタバターってひっくり返ってね。それを見て、クラスメイトはゲラゲラ笑っていた。
あんた、それを烈火のごとく怒って帰ってきたのよ。まじめにバカをやることができない人たちだって」

そんなこと、いわれるまですっかり忘れていた。
たしかに、中学時代に行事に夢中に打ち込んできた私は、なんで学校のイベントを単なるおふざけの場にするのか理解できなかった。自分たちの手で、忘れられない思い出に仕上げることもできるのに。感動をみすみす潰すその行為に対して、痛烈な価値観の違いを感じたのだと思う。

母はそれを覚えていて、ずっと不安で高校生の私を見つめていたのだった。
だから、「誰も私のことなんて見ていない」と思っても、意外に見ているものらしいということが、今更ながらわかった。声をかけなくても、心配している人はいる。そう思うと、ひとりじゃないと思えるかもしれない。

2つめは、
あなたはあなたでもう十分素晴らしいということ。他人に憧れる必要なんてないということ。
高校時代の私は、常に「自分ではない誰かになりたい」と思っていた。それは、クラスで悩みなんてなさそうに振る舞うあの子だったり、ひとりで弁当を食べても何も気にしない男子だったりした。自分の外面も内面もどう変えるかばかりに執着していた。
自分で自分を認めていなかったから、他人も自分を認めることはなかった。本当の自分を出せていなかったから、こころはいつもひとりだった。

3つめは、
別に学校に居場所なんてなくていいということ。私もそうだったけれど、学校に通っているときは、「学校が世界のすべて」と思ってしまう。
だから、当時の私がなによりも怖かったのは、学校で居場所がなくなることだった。居場所を確保するために、気があうわけでもない友達と一緒にごはんを食べて、辞めたいと思いながら部活を続けていた。
私は物理的にひとりきりになってしまうのが怖かった。

でも、社会に出て気がついた。
世界は学校の中だけでは完結しない。仕事でつながることも、趣味でつながることも、今ならばインターネットの力で世界とつながることもできる。だから、高校生のきみは、たとえ学校で居場所がないと感じても、世界でひとりぼっちでは決してない。

20年後、きみは意外と楽しく生きているはずだ。
いまは、組織に縛られることも、判で押したように”オトナ”の価値観を踏襲することもなく生きられる時代だ。閉塞感はある。しかし、その閉塞感の殻を自分でつっついていかようにでも壊せる時代だ。
だから、大丈夫。あと、20年、ちょっと生きてみようよ。大丈夫、私ができたから、きっとできる。

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