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洪水で残された記憶とは

西会津の父の田舎に滞在中。
村民宅にお邪魔していると、西日本豪雨の話になりました。
すると、「この村も、ひどい大雨の被害が出たことがある」と御年90歳の”しまばぁ”が語りはじめました。
「ちょっと前」という雰囲気で話出しましたが、よくよく年代をたしかめると50年前の出来事でした。
(田舎あるある。10年前=先日、30年以上前=ちょっと前)

でも、集まった村民の記憶はとてもリアル。

ある夏、大雨により川は増水。
村に続くすべての橋が流されて、山間の”極入村”は陸の孤島になった。
木や土砂が押し寄せて、川がせき止められ流れが変わり、水がくるはずのない村へと押し寄せてきたといいます。

逃げ場をなくした村人たち。
家がへばりつくよう立っている山を川の大水がゴリゴリと削り、村に侵食。
どんどん家が浸水していきました。

村には、「緊急時用に」と代々受け継がれてきた古文書がありました。
それを曽祖父が読むと、
「村の真ん中にあるお社よりも手前は、岩山だから崩れない」と書かれてあった。
そこで、村民は岩山側の高台に避難します。
他の山がゴリゴリと削られていく中で、
避難した側はたしかに地盤が固く、削りとられることはありませんでした。

しかし、村人たちはその高台から何軒もの家が川の濁流にのまれていくのを目の当たりにします。

村ではその頃、農業以外に現金収入を得ようと酪農をはじめる家が増えていました。そのため、村人たちでお金を出し合って、牛乳処理場を村の真ん中に建てました。
さらに、釣り客を呼び込もうと、イワナの養殖場も整備していました。

しかし、それらすべてが川に流されてしまいました。

産業は農業だけの村で、それらの事業はどれだけ期待に胸を膨らませた新規プロジェクトだったでしょう。
一瞬のうちにそれらが流されるということは、資産を失うだけでなく、夢を失ってしまうということにも近かったといいます。

いま、村は超高齢化が進み、村民から「この村は、あと20年もてばいい方だ」という言葉が聞かれます。
災害がなかったとしても、衰退は同じだったかもしれません。
しかし、村民の心には「あの大水さえなければな」という思いがいまも少なからず残っているということが、今回話しを聞いてわかりました。

父と父の同級生が、

「俺、まだ夢の中では、あの大水の前の状態の村が見えるんだ。
本当にきれいだったよなぁ」

と最後に言い合っていました。

失ってしまった姿は、いつまでもいつまでも心の中に残っていて、
人はそれに癒されたり、苦しめられたりする。
自然の驚異や時代の流れに、私たちはなすすべがないのかもしれない。
私のような「モノ書き」に生まれてしまったのであれば、こういう話を残していくことだけが、唯一の”なすすべ”なのかもしれない。


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