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ブラッドベリと日本

子どもの頃、漫画もアニメも映画もSFブームだった。東西冷戦の時代背景からだろう。SFジャンルは冷戦の中で深まっていったジャンルという面もあるので。ブームだった松本零士もそうなのだが、自分の中で印象に残っているのが石ノ森章太郎の「サイボーグ009」。

当時、何度目かのアニメ化がされ、それに連動するように少年サンデーで009の新連載も始まった。1979年だったと思う。ネオブラックゴースト団編とでも言うのか。長編と長編の間に短編が描かれるスタイルでコミックスも買い求めた。

アニメがきっかけで、この作品がもっと前からあって、連載誌を変えて延々と続いているシリーズであることを知ることになって、旧作?もコミックスで読んだ。何々編という題がつくんですよね。長い作品なので初期とは絵柄がずいぶん変わるのだが、作者が亡くなって、結局未完に終わりましたね。完結編は作者なりに宗教や信仰について考える内容になる予定だった。

地下帝国ヨミ編のラストで、002と009が流星のように地上に落下するシーンがある。本来はここで終わっていたのだろう。しかしファンの期待に答えてのカーテンコールとでも言うべきものがその後の描き続けられたシリーズになる。流星のように落ちる元ネタはアメリカのSF作家、レイ・ブラッドベリの短編「万華鏡」だ。地球に落下する宇宙飛行士の最後からのインスパイア。

石ノ森に限らず、ブラッドベリは

様々なクリエイターに影響を与えている。たとえば手塚治虫「火の鳥」のキャラクターにレイ・ブラッドベリの名を模したキャラクターが出てくるし、「鳥人体系」はブラッドベリの「火星年代記」が下敷き。女性では「ポーの一族」の萩尾望都がブラッドベリのファンで作品に影響を与えたことは知られていて、萩尾望都作品経由で遡ってブラッドベリの読者になった現象もありそうだ。

日本の特撮史にも大いに関係ある作家で、恐竜好きなのがよくわかる短編小説「霧笛」。太古の恐竜の生き残りが孤独感から灯台の霧笛を仲間の声と思い、現れる。これが映画化されて「原子怪獣現る」になる。特撮部門を撮影した監督レイ・ハリーハウゼンとレイ・ブラッドベリが学生時代の友人だった関係からだ。

もっとも映画と原作ではテイストがかなり異なる。さらに「原子怪獣現る」を見た東宝がインスパイアされて日本版をと作ったのが「ゴジラ」。そういう意味で、レイ・ブラッドベリはゴジラのルーツのひとつとも言ってもいい。

特撮で、原作の幻想的テイストを忠実になぞったのは、「帰ってきたウルトラマン」で、光怪獣プリズ魔が灯台を襲うのは「霧笛」が下敷き。この時の脚本は俳優の岸田森だった。間違いなくブラッドベリを読んでいたのだろう。平成ウルトラマンの「ウルトラマンティガ」にも鎌倉の江ノ電の警笛を母親だと思って現れる怪獣のエピソードがあるが、これも霧笛のオマージュだろう。一方、アニメではポケモンに「霧笛」に似た話が。世界に一匹だけの幻のポケモンが灯台の霧笛を仲間と思って出現。

禁書時代の近未来の恐怖を描いた「華氏451度」のタイトルはマイケルムーア監督の「華氏911」に影響を与えたし、最近では、有川浩の「図書館戦争」だって明らかにルーツはこのブラッドベリ作品からだ。本家では地上に残った最後の一冊として聖書が登場するのはクリスチャンとしては重要。「火星年代記」に影響を受けて作家になろうと決心したのがショートショートの名手、星新一。


モダンホラーの騎手、スティーブン・キングもブラッドベリをリスペクトする。ブラッドベリなしには映画の「スタンドバイミー」も「ショーシャンクの空に」もあり得なかったということだ。
影響は音楽の世界にも及んでいて、山下達郎がブラッドベリのファンだと公言している。「パレード」という作品はブラッドベリの世界からイメージを喚起している。

こう考えると、今まで触れてきた作品は小説であれ、漫画であれ、特撮であれ、音楽であれ、知らないうちにレイ・ブラッドベリの影響圏にあるものだったということは多い。残響とでも言えばいいのか。クリエイターの作品はいったん、発表されたなら、母国語であれ、翻訳であれ、媒体の違いを超えてであれ、ずっと響き渡り続ける。


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