見出し画像

僕にとっての「対話」の定義。

自分のやりたいことのどこを切っても「対話」がある。
「対話」なくして、僕の人生はないし、
誰の人生にも「対話」があって欲しいと思う。

ただ、対話の定義は、狭いものから広いものまであって、
今のこの世界で、対話の定義を統一させるのはほぼ不可能だろうと思う。

だから、僕がしたいことを「対話」と言っても、僕がこの言葉に乗せているイメージよりも先に、今、いろんなところで語られている対話の定義が先に浮かんでしまうだろう。

その人の中に浮かぶ対話のイメージを僕が制御することはできないけど、
もしそういうことがあったときに、僕の定義をできるだけすぐ語れるように、自分にとって「対話とは何か?」ということを、自分のためにもここで一度、言葉にしておきたい。

まず、思いつくのは、僕にとっての対話とは、人と人との間を循環するコミュニケーションのことだ。僕の中にある思いや考えや感覚を言葉にして、それを相手が受け取り、それを聞いて相手の中に思い浮かんだ思いや考えや感覚を言葉にしてもらい、それを僕が受け取り、また僕の中に浮かんだ思いや考えや感覚を言葉にして、、、を繰り返す。

そうやって、お互いの中を言葉、思い、考え、感覚、が巡り巡って、新しい価値観や意味が生み出していくもの。

ここで重要なのは「聞く」ということ。

「相手の言葉を受け取り」というのは「聞く」ということだ。聞くことを通じて、相手の言葉を受け取る。でもこれが難しい。自分では相手の言葉を受け取ってるつもりでも、相手が言った通りに受け取ってることはほぼなく、自分の都合のいいように、聞きたいように聞いて、受け取りたいところだけ受け取ってしまうからだ。

無意識に相手の言葉を編集してしまうこともある。編集が起こるのは、相手の言葉を聴いたときに、その言葉に乗っている相手の考えや思いや感覚を感じるとることなく、自分がその言葉に紐づけている意味やイメージを先に想起してしまうからだ。そして、想起した自分の意味やイメージを確立させるために、相手の言った言葉を編集し、勝手に補足し、ときにはまったく違う話しにしてしまう。これを僕は「自分の辞書で聞く」と表現している。

なので、対話を成立させるには、「自分の辞書」で聞くのではなく、「相手の辞書」で聞く必要がある。

「相手の辞書」で聞くには、言葉を聞いたときに反応的に出てくる「自分の辞書」からの意味やイメージを一度「保留」させること。無くす必要は無いが、とりあえず置いておく。すぐに採用しない。簡単に相手の話を分かった気にならない。相手が何を言おうとしているのか、話や言葉を最後まで聴いて、その語られたことの全体から、相手がその語りの出どころとなっている感覚や経験や考え、思いを感じとる。これが「聞く」ということ。

「保留」だけでは、十分とは言えない。相手の言葉の編集癖がついている人は、そもそも相手の言葉を「正確に」聞いていない。編集してることにも気付いてないので、自分が編集したにも関わらず、相手がそう言ったと思い込んでいる。傾聴や対話の研修で、「相手が言ったことをそのまま教えてください」とお願いしても、正確に繰り返せる人はまずいない。

なので、「保留」の他にもう一つ必要なことは、相手の言った言葉を「正確に聞く」こと。

そして、正確に聞き続けるために、自分の考えやイメージは保留しておく。この2つは僕にとって、「聞く」ことや「相手の言葉を受け取る」ために最低限必要なことだと考えている。

ここまでが、対話の半分。

循環するコミュニケーションをするためには、今度は自分が話す必要がある。

傾聴などの研修を受けた人は、「聞く」を大事にするあまり、自分の中に思い浮かんだことを「話せなく」なるという副作用が起きる。「保留」することが習慣になり過ぎて、保留を解除できなくなる。ここには、「自分の話をしてしまったら、聞いてないことになってしまうのではないだろうか?」という恐れがある。自分が過去に話を聞いてもらったときに、そのあと相手がとんちんかんな話をしてきて不快に思った経験がある人は、自分もそのようなことをしてしまうことを恐れて、話せなくなってしまう。

ここは、相手の言葉を「正確に聞く」ことが出来ていれば、そこまで心配する必要はない。とんちんかんな話をしてしまうのは、相手の言葉を編集し、「自分の辞書」を採用して話してしまうからだ。

ただ、正確に聞けたかどうかは、相手に確認してみないと分からない。ならば素直に確認してみるのがいい。「〇〇さんにとっては、1年前に仕事を変えて、今住んでるところに引っ越してきて、で、最初は不安だったけど、最近やっと職場にいてもそこまで不安にならず、安心して仕事ができるようになってきたと」と伝え返すと、「そうですね、、、そうです、うん、、、本当に最近は安心しているなと思います。」という風に、また少し言葉を変えながらも、相手がさらに自分の話を続けることもある。相手の話が続くなら、まだ自分が話す番ではないということ。再度、相手の言葉を正確に聞いていき、またタイミングで確認のために伝え返す。相手が「はい、そうです。」と会話に句点が打たれたような終わりを感じたら、ついに自分が話す番。それまで聞いてきたことを受けて、自分の中に浮かんできた思いや考え、感覚を言葉にしていく。

丁寧な確認を続けて聞いてこれたのであれば、とんちんかんなことを言って、相手を不快することはそうそうにない。もし、相手が話した話しとは、ちょっと違う話をしてしまったとしても、丁寧に聞いてくれた人の話は、新鮮な気持ちで聴けるもの。少し話すのに勇気がいるかもしれませんが、安心して自分中にあるものを言葉にして、素直に話して欲しいと思います。

今日のところはここまで。
まだ全体のほんの一部というところ。

次に書いてみたいのは、
「話す」とは、「自分の声の聞き手になる」ということ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

※フォロー、スキ押してもらえるととても嬉しいです。


「ココナラ」でお悩み相談のサービスを出品しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?