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Wille(意思)について

ちょっとだけ昔、ドイツ語を勉強したことがある。知り合いにドイツ人がいて、いつも英語でコミュニケーションしていたが限界を感じ先方のお国の言葉で語り合いたかったからだ。だが3ヶ月くらいで挫折した。夜、仕事帰りにゲーテ会館に通って集中して学んだりもした。そこでは良かった。一緒に学ぶ仲間がいて楽しかった。それぞれ学ぶ目的が違っていて、ある人は留学のため、ある人はサッカーを観に行くため、ある人は仕事で、、と千差万別であった。挫折を感じたのはNHKラジオのドイツ語講座である。きっかけは文法である。いや、文法を説明する日本語の難解さである。専門用語が講師から立て板に水のごとく流れてくる。複数の用語が頭の中で組み立てられないしドイツ語と結びつかなかったのだ。もう最悪。

さて、Wiile (意思)について、「幸福について」の訳者のあとがきからの引用である。

”「彼の言う〈Wille〉は、日本では「意志」が定訳とされているが、実は一言で日本語にするのが難しい概念で、「人間の内にあって、無目的に人間を駆り立てる衝動」「論理的にはほとんど解明できない不合理な暗い部分」を指す。」(『幸福について (光文社古典新訳文庫)』(ショーペンハウアー, 鈴木 芳子 著)より)” 

世の中で起きている結果は全て人間の意志によるものと理解をしている。自然現象はそうではないにしても、それ以外の不可避であると考えていることも全ては人間の仕業に他ならない。そして、このWilleというやつは、どうやら制御が難しいようである。

コロナはどこそこの国からどうも広がったようである。それを抑えるのは容易ではない。ウイルスはどうもコウモリが宿主であるようだ。それを食した人間が媒介となったらしい。これまでまことしやかに語られている感染拡大の要因の一つである。現在でなければ、つまりグローバルに人の行き来がなければ、その地域の風土病で終わっていたはずだ。ここまで急速に広がったのは「今」だからである。人を外へと駆り立てることが大きな要因であることは間違いない。ステイホーム!って大声で叫んだところで、「だってマスクしてれば大丈夫でしょ」、とか「みんな家にいるのだから私が外に出ても大丈夫よ」とか、まさに人間は身勝手な動物である。

ウイルスは感染をつながなければいずれ消滅するのである。この理屈が理解されていないので、ステイホームには誰も耳を貸さなくなった。昨年の一回目の緊急事態宣言で良いところまでいったのに残念。もう既にステイホームだけではなく、「緊急事態宣言」までも有名無実化してしまったかもしれない。

まさに世の中は不幸でいっぱいである。

「幸福について」つづく


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